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見える僕と理解する君  作者: 芳里 匡喬


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夏空 その2 最後の絵

英真君の母親と妹、まだ状況を理解しきれていない様子の弟が見守る中、由衣と大樹は祭壇の前に立った。

遺影の前には、小さな皿に盛られたラムネ菓子。英真君が、決まって買っていた菓子だ。

二人は静かに手を合わせる。


仮葬儀はすでに済んでおり、本葬儀は遺骨の返還後に執り行われるとのこと。

七年という時を経て、ようやく区切りが訪れようとしていた。


由衣は目を伏せたまま、思い出していた。

由衣は、学級委員として英真君をよくサポートし、周囲にも接し方を教えていた。

だが、それは最初から出来ていたわけではない。

五年生になったばかりの頃、初めて会った英真君は、人の良さそうな印象だった。だから、つい、軽く茶化した。

期待を裏切り、英真君は奇声を上げて校庭に飛び出してしまい、連れ戻そうとする先生から逃げ回った。


あの光景は、今でも鮮明に焼き付いている。

(あのときの顔……)

驚きでも怒りでもない。ただ、処理できない何かに押し潰されそうな顔だった。


以来、由衣は変わった。

二度と、同じ失敗を繰り返さないために、言葉、仕草、表情、声音と、相手が何にどう反応するかを観察する訓練を重ね、次第に読めるようになった。

それは当然、大樹にも適用された。胸の内が表に出やすい大樹は、分かりやすく茶化しやすい相手だ。但し、天然から来る言動は、時と場所を選ばす何の前触れもなく発露し、由衣も予測困難である。




英真君の部屋に入ると、空気が少し違った。整然としているが、密度が高い。

壁には十数枚の絵。本棚には、きちんと並べられたスケッチブックが数十冊。ページをめくれば、色鉛筆やクレパスで描かれた絵が空きもなく続く。机の上には、絵の具で描きかけの風景画。そして部屋の隅の段ボール箱には、ぎっしりと詰め込まれた過去の作品。

風景画、家族、飼い猫の絵、それだけではない。円、楕円、三角、四角、多角形、星形、細かい点、ジグザクの線などの図形から成る抽象的な絵も数多くあった。


大樹は一通り目を通したあと、あちこちを見回す。引き出しを開け、本棚の隙間を覗き込む。まるで、”あるはず”と確信しているようである。


「何を探してるの?」

由衣が問いかけても、大樹の視線は止まらない。

「英真君が最後に描いた絵です」

「机の上の描きかけじゃない?」

「それは梅雨明け前の風景画です。時期が合わないと思います」


大樹の視線が壁に向く。

「……あっ! もしかして」

それは、失跡当時のままのカレンダーだった。大樹はめくって裏側を覗いた。

「あった!」


大樹は、カレンダーを外して机の上に広げた。それは、六月のカレンダーの裏側にクレパスで描かれていた。

「なにこれ?」

由衣が首を傾げ、康太と青山刑事が覗き込んだ。


奇妙な絵であった。

白、黒、茶など大小の歪んだ車輪のような図形が飛び跳ねている。車輪から雷のようなジグザクの線が放出されている。鋭い三角形があちこちに飛んでいる。全体としてバランスを欠き、混乱、抑圧、危機、見る者にそういった不安感を与える抽象画だった。


大樹は、他の全ての絵を一秒もかけず眺めた。何かを比較しているのは明らかだ。

「福光さん、必要なもの借りていきますか?」

青山刑事の問いに、大樹は頷く。

「はい」



 

自宅アパート、大樹は、テーブルに着き、腕を組んで目を閉じている。眠っているように見えるが、英真君が絵に込めたメッセージを必死に解き明かそうとしている。借りてきた絵は一度も見ていない。既に頭の中に焼き付いてた。


由衣は頰杖をついて大樹を眺めている。

(寄り掛かかる。頬をつつく。耳元でエッチなことをささやく)

ちょっかい出したくてウズウズしている。だが、何をしているか分かっているので我慢せざるを得ない。


大樹がパッと目を開いた。

「解けました」

「やったー!」

由衣は弾かれたように立ち上がり、大樹に抱きついた。




捜査本部が置かれた大宮警察署の一室、由衣、康太、米田刑事、青山刑事、他捜査員達。誰もが椅子に浅く腰掛け、無意識に前のめりになっている。


大樹は、テーブルの上に絵を並べた。英真君が最後に描いた一枚と、比較対象として選んだ五枚。配置にも、順序にも無駄がない。全員が立ち上がり、六枚の絵を取り囲んだ。


大樹は、静かに口を開く。

「英真君の絵を総合的に分析すると、いくつかの規則が見えてきます」

指先が、一枚目をなぞる。

「彼は、人や動物、風景などを、そのまま描く場合と、図形に置き換える場合があります」

そして、次の絵へ。

「置き換えには明確な傾向があります。好ましい対象は円や楕円。嫌悪や恐怖の対象は多角形です」


部屋の空気が、わずかに緊張し、理解が追いつき始めている。

「写実的な家族の絵と照合すると、円と楕円は主にご両親、妹さん、弟さん、飼い猫を示しています」

別の絵を示す。

「図形は色々な感情により変容します。”喜び”は躍動的に、”怒り”は凹凸がある、”恐怖”は潰れる、”信頼”は縦長に、”悲しみ”は不安定に、などです」


そして、問題の絵へ。

「他と類似したパターン、大きさ、色合いから、端にある多角形は”怖い人”です」

指先が多角形を示す。

「”怒り”と、”快楽”が混じっています」

次に別の図形に飛ぶ。

「幾つかの歪んだ車輪のような図形があります。全て恐怖に満ちています。ただし、大きいのだけは、凹凸があって”怒り”が混じっています」

さらに次の図形に移る。

「他の絵から分かりましたが、鋭い三角形は危険の象徴、ジグザグの線は叫び声です」

次に指先は黒い枠をなぞる。

「全体を囲むこの黒い線は、閉じ込められている状態を表しています」

そして大樹は、大きく息を吐き、車輪のような図形に指を置いた。

「車輪のようなこの図形、やっとわかりました。これらはネコだと思います」

大樹はふいに顔を上げる。

「部屋に親ネコと子ネコ達が閉じ込められ、そこへ、何らかの凶器による攻撃。ネコ達は鳴き叫びながら逃げ回る」

由衣が怒りを帯びた声を上げる。

「えーっ! 酷過ぎる!」

(英真君のあの震え、あの表情、確かに普通ではなかった)


全員が無言で自分の席に戻る。理解が、言葉にならない形で共有される。

やがて、康太が口を開いた。

「ネコが虐待されている絵か……」

確認というよりも結論である。

「一つ確認したい。車輪のような図形が、なぜネコなんだ?」

「猫車(ねこぐるま)だと気づきました」

「なるほど、車輪が一つだ」

「猫車って?」

由衣が首を傾げると、康太は、そんなことも知らんのかとばかりに苦笑した。

「土などを運ぶ手押しの一輪車だ。単に”ネコ”とも言う」

「なんだー……。校長先生がよく使ってた。英真君は一緒に花壇の手入れをしてた。ネコが、かわいそうで描きたくなく、置き換えたのかな?」

「はい、多分そうです。他の絵では、ネコは中央に”ω(オメガ)”マークがある円です。彼にとってリアルなネコも、図形のネコも一緒です」




青山刑事が身を乗り出す。

「英真君はそれを目撃したんですね?」

康太が腕を組み、視線を一点に固定する。思考が組み上がる速度が速い。

「現場は、駄菓子屋に寄り道可能な通学路近くの一軒家だろう」

誰にともなく言った。

「塀や垣根がないなど侵入が容易で、ピアノなどを演奏する防音設備付きの部屋がある。そこからは、ネコの鳴き声は外には漏れない。しかし、聴力の優れた英真君には聞こえ、窓から覗いた」


米田刑事かふと顔を上げた。

「学校から帰ったらすぐに出かけ、日が落ちても帰って来ない。それが第一報だったな」

「そうだ!」

青山刑事がテーブルを叩いた。

「遺骨の中に、子ネコの骨が一体混じっていました!」

点と点が、線で繋がり、米田刑事が続ける。

「英真君はネコを助けるために、その家に入った」

「しかし、見つかってしまい、英真君は、ネコと一緒に……」

青山刑事の言葉が途切れる。だが、結論は誰の中にもあった。


「よし! 行くぞ!」

米田刑事の号令一下、椅子が一斉に引かれ、捜査員達が立ち上がった。




しかし、康太が推定した条件に合致する家は、すぐには見つからなかった。

それでも捜査は止まらない。少しづつ範囲を広げながら、通学路周辺の住民への聞き込み、市役所に提出された建築届の精査。捜査員らは、地道だが確実な職務を遂行する。

そして、一つの情報が、近隣住民からもたらされる。

「以前、ピアノ教室を開いていたが、二年前に陶芸工房へ改築された家がある」

さらに、同時期に市役所に提出された同家の建築届が確認された。


その家は、桧山(ひやま)家の自宅だった。両親と、長男・祐也(ゆうや)・二十二歳・大学生の三人家族である。

ピアノ教室を開いていた祖母が八年前に亡くなった。その後、二年前に夫妻が趣味の陶芸のため、教室部分と裏庭の一部を含め、増改築した。

外見は、よくある住宅だが、内部構造は、過去の用途である防音室を引きずっている。


桧山夫妻はともに上場企業の社員で、それぞれ重要なポストに就いている。

英真君失踪当時、二人とも多忙で、帰宅は二十二時を過ぎることが常態化していた。つまり、家には、長時間の空白があった。

捜査本部は、祐也に任意同行を求めた。

当時、高校一年だった祐也は、学校に馴染めず、欠席がちだった。家にいる時間は長く、条件は揃っていた。


しかし、桧山裕也は英真君の死亡について関わりを一切否定した。

「関係ありません」

祐也は視線は逸らさない。声も震えない。

それが真実を意味するわけではないが、証拠も目撃証言も皆無で、物的にも人的にも、何一つ、決定打がなかった。

これ以上の聴取は困難で、祐也に対する追及は、いったん打ち切られた。




高見沢家のリビング、コーヒーを一口含んで、由衣はポツリと呟く。

「これで終わりじゃないでしょ?」

「うん」

大樹の膝の上には、香箱座(こうばこずわ)りの寛太が、安心しきったように眠っていた。


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