夏空 その1 子供の骨
前期試験の最後の科目が終わったその日、示し合わせたかのように梅雨が明けた。湿り気を帯びた空気は一変し、強烈な日差しが照りつける。明日から夏季休暇である。
全科目そこそこの手応えだった由衣は、頬が自然と緩み、足取りも軽い。
大樹の自宅アパート、由衣はコンビニで買ったプリンを自分と大樹の前に置いた。
「ねえ、北海道の伯父さんのところには帰らなくていいの?」
「うん、お金がないから。でも、春休みには帰るよ。命日がある」
「じゃあ、あたしも一緒に行きたいなー」
「寒いよ」
「大樹と一緒ならいいもん。夜は抱き合って寝たりして」
「えっ!」
大樹の顔が忽ち赤く染まる。
由衣は楽しそうに笑い、わざとらしく肩をすくめる。
「アハハハハ、すぐ赤くなるんだからー! いい加減、治さないとね」
「うん」
「一つ手があるわよ」
「なんですか?」
大樹はプリンを一口含む。
由衣はニッと白い歯をこぼす。
「本当にやっちゃうのよ。慣れちゃえばいいの」
「ブッ!」
大樹の口から噴き出したプリンが、弧を描いて飛び、由衣の額にベチャリと命中した。
由衣は身を持って学習した。
(……飲食中の人間を茶化してはいけない)
「ごめなさい」
大樹は素早くティッシュケースを差し出す。
動きが速い。その実直さがかえって腹立たしい。
(食べ終えたら、もう一度)
この夏の予定は、すでに決まっている。
運転免許を取得すること。
長野県安曇野市の上田美穂の実家に車で行き、しばらく滞在して周辺を観光すること。
美穂の実家は野菜中心の農業と農閑期限定の民宿を営んでいる。民宿を営業していない農繁期は、客室は好きに使ってよいとのこと。
教習料で一杯一杯の大樹も、由衣の誘いに応じた。
橋田和也も一緒に行く。
美穂と和也は、由衣と大樹に頻繁に接触するうちに付き合うようになった。
四人は、いつの間にか二組のカップルに落ち着いていた。
由衣はチラリと大樹を見る。
プリンを均等に減らすことに集中しており、なかなか食べ終えない。
(こういうところ呆れる。……カワイイというか、ヘンチクリンというか)
やる気が失せる由衣、自分でもよく分からない。
四人の内、運転免許を持っているのは、高三で取得した和也だけだ。
由衣と大樹は、お盆明けまでに取得を目標にスケジュールを組んだ。基本は、一日に二時間、可能な限り毎日である。
大樹は規定時間ぴったりでAT車の終了検定を通過し、仮免許を取得した。
一方、由衣は三時間オーバーした。
「ブレーキが遅い」、「確認が甘い」などの指導員の指摘に対し、「説明が分かりにくいのよ」、「その言い方、感じ悪いんだけど」など、三度言い返し、結果、落ちた。
(納得いかないけど……まあ、仕方ないか)
由衣はそう割り切った。ただし、同じ指導員に当たったら、またやる可能性は高い。
その日、教習所近く、丘陵の崖沿いの道、路上練習中の大樹が、急ブレーキを踏んだ。
「どうした?」
指導員の言葉に耳を貸さず、大樹は教習車を左に寄せて停車。外に出て斜面を凝視した。
「何やってるんだ!」
降りてきた指導員の叱責に、大樹は、崩れて樫の木の根が見える斜面を指差す。
「子供の骨です」
「なにっ!」
小さな白骨化した指が地面から突き出ていた。指の骨はカギ状に曲がり、一見、木の根のよう。
指導員は息を飲み、すぐさま携帯を出して通報した。
二人は、帰路についた。強い西日を避けるように木陰を歩く。
「大樹がまた見つけちゃったね」
「運転中は特に注意してます。ゴミムシも避けます」
「えーっ! そこまでするんだ」
「命は大事です」
「急ハンドル切るの?」
「その必要はありません。1センチ程ずらせばよい」
「えっ! ……そんのことできるんだ。タイヤが手足みたいな感覚になってんの?」
大樹は首を傾げる。
「ん?」
「はあぁー……」
(普通のことだと思ってる。まあ、いつものことか)
由衣はふと大樹の横顔を見る。心地よさをもたらすボーッとした顔、似た表情を見せる子がいた。
(あの骨、……まさかね)
発見されたのは、子供の右手中指の骨、推定年齢、十歳から十二歳だった。
発見現場の斜面と上部の雑木林が捜索された。
結果、左足の小指を除いた全身の骨が回収された。遺体は一旦埋められて白骨化した後、掘り起こされ、バラバラになり、再度埋められたと可能性が高いと判断された。
先日の大雨で、右手中指の骨が台地の斜面にまで流されたと推測された。不可解なことに、回収された骨には、推定生後三か月の子猫のものが混在していた。
三日後、白骨化した遺体の身元が判明した。
白骨は、さいたま市大宮区在住・刈谷夫妻の長男・当時十一歳・小学校六年生・刈谷英真君だった。
七年前の七月十六日に失跡届が出されていた。白骨の状態から事故死の可能性は低く、死体遺棄事件とされ、捜査本部が立ち上がった。
失跡当時、警察・消防・消防団・学校・自治会から可能な限りの人員が動員され、河川や雑木林など各所を捜索した。警察は、目撃情報の洗い出し、防犯カメラの確認と多くの人員を割いた。だが、発見には至らなかった。
大樹の自宅アパート、夕刻、テレビで遺体の身元が報道された。
「えぇぇぇー!」
由衣が金切り声を上げ、大樹が振り向く。
「どうしました?」
「この子、小学校の同級生。五、六年のときクラスが一緒」
「えっ!」
「親御さん、七年間、生きてるって信じてたのに。すごいショックだろうな」
「最後の希望を僕が断ち切ってしまった……」
「それ、絶対違う。遺族は楽になる。事件だったら犯人がいるし」
由衣にしては珍しく、どこか遠くを眺めるような目付きになった。
「あたしも楽に……」
「由衣は、仲が良かったんですね?」
「まあね。変わった子でさ。ASDだったの。絵がすごく上手だった」
「そうですか。……親近感を覚えます。残念です」
翌日、康太と由衣と大樹が待つアパートに米田刑事と青山刑事が訪れた。
席に着いた途端に米田刑事が切り出す。
「いやー、またまたお世話になります。あなた方と我々は、まことに縁が深いですなー」
由衣の眉がピクリと動いた。
「米田さん、縁が深いなんて縁起でもないこと言わないでください!」
「そうでした、そうでした。失敬、失敬。まあ、これが最後だと思ってご協力ください」
「あたし達は、午後から運転免許試験なんです。手短にお願いしますね」
「ほおぉー! それはそれは。合格したら非番のとき我々が同乗しましょうか? 何しろ取り立ては、事故起こすことが多いですからなー」
「けっこうです」
間髪入れない拒絶である。
延々と続きそうな二人の掛け合い。堪らず康太が割り込んだ。
「米田さん、本題に入りましょう」
「そうでした。そうでした。では……」
米田刑事は額に手を当て、ヒョイと頭を下げた。
「私も当時は、誘拐を視野に入れて捜査に参加してました。英真君は自閉症で、変わった子だったそうですな。国語と社会は苦手だけど理科と算数と図工は得意で、取り分け絵が上手で、何かのコンテストで一等を取って県知事から表彰されたとか」
言葉使いは軽いが、内容は正確だ。そして視線が由衣に向く。
「高見沢さんは、六年生のとき同じクラスで学級委員だったとか。失跡当時、何か気になったことはないですかなー?」
由衣は流れるように喋りまくった。
「英真君は、決まった時に決まった場所で決まったことをして、邪魔されるとすぐに癇癪を起してましたよ。例えば、帰りに駄菓子屋に寄っていつも買うラムネ菓子が売り切れてたとき、ひっくり返って手足をバタバタさせるとか」
由衣は間を置かない。
「あと、耳がとっても良くって、クラスの子達が英真君の話をしていると、すぐ傍に来て『僕はね、僕はね』って叫び立てるの」
そして、声の調子が変わる。
「行方不明になる少し前、様子が変だった。普段はそんなことしないのに、授業中に突然奇声を上げてブルブル震えてたんです」
部屋の空気が引き締まった。
「だから、帰り道で何か怖い物とか、見たんだと思います」
ボリボリ頭を掻きながら、米田刑事は何度も頷いている。
由衣は声高に文句をつけた。
「米田さんフケが飛びます!」
「すんません」
悪びれた様子もなく、手を止めるが、話は途切れない。
「そうそう、英真君は自宅でも思い出したように壁にバシバシも頭をぶつけ、抱え込むと大暴れしたそうで。で、失跡当日の目撃情報はもちろん、失跡前に何か見た可能性が高いと踏んで、通学路付近を徹底的に洗った」
淡々と総括し、最後にため息を吐く。
「はあー……。親御さん、同級生、近隣住民に聞きまくった。だが、何も得られんかったなー」
「……遺体の分析、遺留品の捜索、目撃情報の再収集。いずれも必要だが、それでけでは進展は鈍い」
康太は腕を組み、視線を一巡する。
「他に、打てる手はないか?」
皆が考え込んでいると、大樹がおそるおそる手を上げた。
「あのー……。英真君が描いた絵はありますか?」
「おっ! 我らがヒーロー、福光さんが突破口を開いてくれるかも」
米田刑事が笑みをこぼすと、由衣が睨み付けた。
「米田さん、”我らがヒーロー”は余計です。大樹は、あなた方のお仲間じゃないですよ!」
青山刑事が珍しく発言する。
「高見沢さん、済みません。班長はこういう人なんで。親御さんは、英真君の部屋をそのままにしてあるそうです。絵もあるはずです。見せてもらえるよう手配します」
米田刑事は青山刑事の肩を軽く小突く。
「お前も、いっちょ前の口をきくようになったか! ワハハハハ」
笑い声の中、由衣はふと横の大樹を見た。前方を凝視しているようで、焦点は定まっていない。
(段取りを組んでいる? 事件には関わって欲しくないけど、今回は違う)




