BとG その2 嫌な奴
六月半ば、梅雨入り直前、重く垂れ込めた灰色の雲が覆う金曜日。
由衣と大樹は並んで帰宅の途についた。二人はサークルには入っていない。
理由は単純である。
大樹は早く帰ってイラストを描きたいから。
由衣は、隣にいる時間そのものが楽しいから。講義のノード整理や少女漫画を読む。そして、ときどき茶化す。先日の決意はもちろん忘れてないが、由衣にとっては生きがいである。
だがその日、大樹の様子がどこか違っていた。
「大樹、何かあった? 朝から変よ」
「うん…… 嫌な男を見た。今朝、電車の先頭車両にいました」
「先頭? 乗ったのは最後尾……ああ、窓越しに見えたのね」
電車は高速でホームに侵入する。由衣は、毎度のことだからさして驚かない。
「で、嫌な男って?」
「高校の同級生の大村、中明大学に入ったの忘れてました」
中明大学は法学部が有名な私立大学で、一回生が通学するキャンパスの最寄り駅が、二人と同じだ。
「もしかして苛められていた?」
「というより、自分は優秀で人格者で指導力があって、将来大物になると思い込んでて、勝手に子分扱いされました」
「うわ!……面倒くさいタイプ」
由衣は顔をしかめた。
「でも大学が違うし、そうそう会うことないでしょ」
由衣の予想はあっさり外れた。
「新井!」
背後から大きな声が響く。
振り向くと、コーヒーショップから一人の男が駆け出してくる。大村だった。
”新井”とは大樹が養子だったときの姓である。
大村は、大樹が高一、高三のときのクラスメイトだった。といっても高校入学で浪人しており、さらに一年生のとき落第しているので二歳上だ。
大村は尊大な振る舞いが目立ち、クラスの中でも浮いた存在だった。それでも打算的なメリットからか、数人の取り巻きがいた。
大村の父親は神奈川県秦野市の大地主。県会議員で地元の有力者である。
大村は、二人の前で立ち止まり、馬鹿みたいに口を開けて立ち竦んだ。
「そっ、その子は……お前の彼女か?」
由衣に嫌らしい目を向ける大村に、大樹は無言で頷く。
「そうか、まあ、そのうち……。ところでお前、今どこに住んでる?」
「さいたま市大宮区」
「やっぱりな。どうせボロッちい安アパートなんだろ? 貧乏なお前が行ける大学の近くだからな。俺は中野のマンションさ。一年間我慢すれば乗り換え無しで通える。所詮、お前とは格がちがうからな」
「あなたねっ!」
由衣が口を挟んできたので、大樹は慌てて手の平を見せて抑えた。
大村がスマホを取り出す。
「ところでお前、番号変えたろ? 一年間は近くて楽しみにしてたのに。待ち伏せしていたんだぜ。まあいい。連絡先交換しよう」
「君とは交換したくない」
大樹は小さくはっきりと洩らす。
大村は目をむいて険しい声を放った。
「勝手に変えておいて何のつもりだ! それでも親切に言ってるんじゃねえかっ!」
今度は、大樹は大きな声を上げた。
「だから、君とは交換したくないです」
「苛められていたお前を、助けてやったのは誰だっ!」
「鈴木と山田と斎藤が、君に言われてわざとやってたと、卒業式の後で謝ってくれた」
「ウッ」
大村は言葉に詰まる。その隙に由衣が一歩前に出た。
「そのくらいにしておきましょ。あなた、大樹君に嫌われてるって分かったでしょ。ここで終りにした方がスッキリするわよ」
「男同士の話だ! 口を出すな!」
大村が怒鳴り付けるが、由衣はまったく怯まない。
「男同士? お友達じゃないのに? なぜ大機君に付きまとうの? もしかして、BLの対象と見てません?」
図星を突かれたのか、大村の顔面が紅潮した。
「なな、何言ってる、女がいいに決まってんだろっ!」
「じゃあ、なおさら不思議ですね」
「お前だって、こんな女に生まれた方が良かったような奴より、男らしい俺の方がいいだろ?」
「あなた相手にするくらいなら、ゴリラの方が百万倍ましっ! あなたの顔と身体つき、残念過ぎる。顔はオタフク風邪ひいたツチブタみたい。身体はふくよか過ぎて便秘のアザラシの方がまだまし。性格だって自分本位で傲慢。女の子は誰一人相手にしないから、ターゲットを美少年に切り替えたんでしょ?」
「黙れっ! このアマァァァー!」
「少年って……」
大樹がぼやくが、由衣は無視した。
「やっぱりそうじゃん。でも大樹君だって選ぶ権利あるし、そんな嗜好はまるっきりないから残念ね。あなた、外見が酷過ぎるんだから、せめてその性格直す努力しないと友人、ましてパートナーは一生できないわよ」
大村の真っ赤に歪んだ顔がブルブル震えている。
延々と続きそうな由衣の毒舌。止めさせようと大樹は由衣の袖を引く。
「それくらいで」
同時に大村が跳躍し、由衣の両肩に両手を突き当てた。
大村の憤怒の形相が消え去り、雲天が視界を覆う。由衣は最悪の事態を自覚した。
(まずい! 後頭部が縁石に叩き付けられ、最悪死ぬ)
だが、衝撃は来なかった。代わりに、しっかりとした腕の感触。大樹が寸前で受け止めていた。
大村は両手を前方に突き出したまま、駅の方に向かってドタドタと走り去った。何ともコミカルな姿だ。
大樹が由衣の手を取って一緒に立ち上がる。
周囲の人達が安堵し、拍手が起こる中、由衣は満面の笑みを浮かべて大樹に抱き着いた。
「大樹、ありがとう」
「人が見ているよー」
大樹は、真っ赤になった顔を逸らした。
大樹がスマホを取り出すと、由衣は止めた。
「あいつを通報するつもりでしょ。よした方がいい」
どうせ大した罪にはならない。それより長く恨みを持たれる方が怖い。と、由衣は考えた。
二人がアパートに帰った途端、大樹は由衣の胸を指し、真剣な顔で尋ねた。
「ねえ、大村にそこ押されなかった?」
由衣は笑いを堪え切れず、大樹の手を取る。
「クスッ、そんなこと心配してたんだ」
そもまま自分の胸元に引き寄せる。
「大丈夫、肩だけ。じゃあ、大樹が押して確認する?」
大樹は慌てて手を引っ込める。顔は一瞬で真っ赤になった。
「えっ、いや、遠慮します!」
「アハハハハ」
笑い声が部屋に広がる。
だが、由衣の胸の内には、不安が渦巻いていた。
(あの大村という男、次は、もっと厄介な形で関わって来るかもしれない。やっぱりお兄ちゃんに……)
由衣がスマホを取り出すと同時に着信があった。仲が良かったのに、卒業以来連絡が取れなかった高校の同級生だった。
パソコンに取り付いている大樹を横目に、笑いを交えながら会話が続く。
スマホを片手に何気に画面を眺めた由衣は、「ブッ」と吹き出した。
口をポカンと開けてバカ面を晒す大村。両手を突き出して逃げ出す大村。二枚のギャグ漫画風のイラストが出来上がっていた。正面を向いた鼻の穴、頬が膨らんだ長い顔、突き出た上唇、ボテ腹などが誇張され、迷いのない滑らかな線のみで描かれていた。大村を知る誰もが一目で本人と判る。
「これから面白い絵、二枚送るから」
不安は跡形もなく吹き飛んでいた。




