非常階段 その6 シャツのボタン
取調べで金山は、一貫して沢木愛の殺害を否認した。
「あの、おしゃべり女の口車に乗せられただけだ」
「沢木が非常階段から転落したことぐらい、想像はつく」
由衣からレコーダーを奪おうとした件を追及しても、
「あの女が、録音をネタに嘘八百言いふらすと思うと、我慢できなかった」
と平然とかわし、最後には、椅子にふんぞり返って言い放った。
「証拠を出せるもんなら出してみろ! ワハハハハハ」
逮捕拘束後の期限、四十八時間が迫る。決定的証拠はなく、自白もない。
やむなく、金山は一度解放されることになった。
暴行容疑での送致する意見もあったが、康太は、「しばし泳がせる」と言って反対した。
拘束が解かれる当日、康太は、米田刑事と青山刑事を大樹のアパートに呼んだ。
「大樹君が重要なこと思い出した」
大樹は、折り目だらけの画用紙をテーブルに広げた。先日、丸めてゴミ箱に捨てたものだ。
「沢木さんの遺体が発見される前日、食堂で金山を見かけました。気になったので描きました」
指先が、絵の一点を示す。
「青いシャツの左袖にボタンが二つありました。喫茶店でも金山は同じシャツを着てました。連行されるとき、ボタンは一つしかなかったです」
「事件の夜、奴は現場でボタンを落としたんだ!」
すぐさま、えびす顔を見せる米田刑事、対して青山刑事は苦い顔をしたままだ。
「でも班長、徹底的に調べましたよね。皆が這いつくばって探し回ったけど、何も見つからなかった」
「はあぁぁー、雨で流されちまったか……」
ため息を漏らす米田刑事である。
一方、康太はニヤリと笑みを浮かべた。
「見つからんでもいいんだ。奴を監視する」
由衣が得意げな顔を見せる。
「あたしが、腕毛がはみ出て見苦しいって、言ったでしょ」
「奴は気づいているだろうな」
康太は二度頷いた。
当日の夜半過ぎ、小雨がパラつく中、懐中電灯の光が揺れている。
足元を照らし、地面を凝視しながら、転落現場付近を歩く金山の姿があった。金山は建物の裏口辺りから、非常階段へと何度も往復していた。
その後、金山が自宅アパートに帰って程なく、換気口から異臭が漂い出した。
青山刑事がインターホンを押す。
「金山さん、何か燃やしてますね。開けてください。強行突破しますよ」
応答はない。
捜査員の一人が合鍵で錠を外し、ボルトクリッパーでチェーンを切断した。
米田刑事らが踏み込むと、金山はキッチンの流しでシャツを燃やしていた。
米田刑事が怒鳴り付けた。
「火事になったらどうすんだ!」
青山刑事が急ぎ蛇口を開けて火を消し、青シャツを押収した。
金山は任意同行を求められ、抵抗することなく従った。
翌日、大宮警察署で金山の取調べが始まった。
暗視カメラで撮影された金山の動画を、青山刑事が再生する。
米田刑事が半分焼け焦げた青シャツを見せる。
「お前はこのシャツのボタンを探していた」
「……」
金山は、反論できずに口を歪ませる。
「沢木さんの遺体が発見された前日、お前が、このシャツを着ていたとの証言がある」
「あのガキ……」
「先回、追及されなかったから警察はまだ発見してないと考えたんだろ?」
「……」
「で、見つからなかったから証拠を消そうと、このシャツを燃やしたんだ!」
米田刑事は一気に畳み掛けた。そして金山は、あっけなく崩れた。
自分の力を誇示したいのか、金山の供述は、どこか得意げだった。
沢木に告白したが、散々馬鹿にされたあげくに振られた。イケメンで高身長、筋トレで鍛えた細マッチョの俺を袖にした沢木は、存在する価値はない。俺を振ったと言いふらされるのは我慢できない。
沢木は毎晩、実習室に残り、ダミーを使って苦手な解剖の練習をしていた。いつも九時過ぎに裏口付近を通って帰宅する。あの夜は風雨が強いとの予報で、非常階段から落とせば証拠は残らないはず。
沢木が出て来るのを、植え込みに隠れて待ち、背後から襲いかかった。声を上げないように口を塞いだ。気を失ったので抱いて非常階段を五階まで上って投げ落とした。沢木は軽くてわけもなかった。
防犯カメラは、建物内部と正面のみ映しており、沢木を襲った裏口付近、非常階段、建物周辺は映ってないことを、警備室を覗いて確認していた。
金山宏平・二十七歳・さいたま市西区在住、は厳重処分で送致された。
土曜日、由衣と大樹は、アパートでいつものように昼食後の一時を過ごしていた。
由衣が、顔をニヤつかせてブラウスのボタンに手を掛けた。
「大樹、いいもの見せてあげる」
「えええ、遠慮します!」
大樹の顔が一瞬で赤くなった。
「キャハハハハ、何想像してんのよ」
由衣は、大樹の目の前で握りこぶしを開いた。そこには糸の付いたボタン。由衣が、母親から貰ったロケットペンダントにしまい込んでいた物だ。
「え! それって……」
大樹の目が大きく開く。
「金山のシャツのボタン?」
「そうよ」
「何で由衣が持ってるの?」
「喫茶店で飛びかかられたとき、糸が緩んでたから引きちぎったの。沢木さんが襲われたとき、引っ張ったんでしょうね」
大樹、目は丸くして声も出せない。
「誰にも言っちゃダメよ」
大樹はやっと平静を取り戻す。
「金山が否認するかもって考えたんだ! 由衣は……、怖い」
「ん!」
由衣が険しい目を向けると、大樹は慌てて付け加えた。
「ほほ、ほど気が回る」
由衣が、顔をニヤつかせてブラウスのボタンに手を掛けた。
「大樹、いいもの見せてあげる」
「えええ、遠慮します!」
大樹の顔が一瞬で赤くなった。
先ほどと、全く同じ展開である。
その後、沢木愛の遺族から大樹宛に小包が届いた。中身は、高級品のコーヒー挽き豆だった。
母親からの手紙が添えてあった。
…………
娘の絵、ありがとうございます。
あれ以来、家族みな、涙に暮れる日々でした。
でも、この絵が届いてから、少しづつ変わりました。
はち切れきれんばかり笑顔が、すぐ傍に居るのようで、声が聞こえてきそうです。
居間に飾っています。
遊んでばかりだった高校二年の弟が、
「姉ちゃんの意思を継ぐ」
と言って、机に取り付くようになりました。
これからは、前を向いて生きて行けそうです。
…………
ほんとうに感謝に堪えません。
このような絵を描かれる貴方様、きっと立派な医師になられます。
そして、私どものように、たくさんの人が救われると確信しています。
追伸:
絵を持って来られた刑事さんから、コーヒー好きだと伺い、こちらを送ります。
…………
後ろから覗いていた由衣が、満面の笑みを浮かべた。
「あの絵、米田さんに託して良かったわね」
「不安だったけど」
「早速、これでコーヒー入れる?」
「うん」
コーヒーを一口含んだ大樹は、感嘆の声を漏らす。
「はあぁぁー……」
そして、言い掛けた。
「僕も……」
由衣は心の中で、後を綴った。
(……前を向かなきゃ)
そして、確信した。
(大樹は、間違いなく抱えている)
さらに考えたくないことが頭をよぎる。
大樹は授業料免除で入学した。家族の話をしたことがない。というか避けている。ときどき遠くを見るような目をする。
(親が……?)
振り払うかのように由衣は、明るい声を上げた。
「大樹、さっき持ってきたプリン食べよっか?」
「はい」
大樹は、嬉しそうに声を弾ませた。




