非常階段 その5 ボイスレコーダー
翌週の月曜日、機会は思いのほか早く訪れた。
大樹と昼食を済ませた由衣は、トレイを片づけるついでに食堂を見回す。窓際の席、一人で食事をする金山を見つけた。
由衣は、自然な足取りで近づき、適度な距離で立ち止また。
「お食事中、失礼します」
金山はゆっくりと見上げた。
「福光君と一緒にご相談したいことがありまして。明日以降、講義の後、少しお時間取れますか?」
「そうですか…… ここのとこ忙しくてね」
金山は視線をそらし顎を摩る。もったいぶった振りのようにも取れる。
「明後日の水曜日、五時半では?」
「はい、ありがとうございます」
由衣は笑みをこぼした。
「学内では落ち着きませんので、場所は裏門を出たところの喫茶店でよろしいですか?」
「了解した。確かに静でいいね」
「では、そのときに。よろしくお願いします」
由衣は一礼して離れ、遠くから眺めている大樹に、指で小さなOKサインを送った。
水曜日、由衣と大樹は待ち合わせの喫茶店に三十分前に行った。
良い具合に壁際の四人掛けのボックス席が空いていた。周囲からの視線を遮りつつ、逃げ道も見える。
二人は並んで座った。
約束の時間通りに金山は喫茶店に来て、二人の向かいの席に着いた。
由衣は、講義、実習、将来の進路など無難な質問をする。
金山の答えは、模範的というか教科書的。言葉が借り物のようで実感がない。
大樹も時折口を挟むが、金山のプライド傷付けないよう、浅い内容に留めた。
頃合いを見て由衣は話題を変えた。
「金山さんって、すごく冷静ですね」
金山がわずかに眉を動かす。
「この前、沢木さんのイラストお見せしたとき、無表情でした。普通は親しくなくても何らかの反応を見せますよね」
「いや、内心とても悲しかった」
よどみのない返答である。
「だが、医者を目指す者としては、たとえ親しい人が瀕死の状態だとしても、冷静さを保つ必要がある。僕は日頃から心がけている」
金山は嘘を吐いていると思われるが確実ではない。嘘だと指摘して少しでも動揺すれば、大樹が気づくはず。由衣はあえて踏み込んだ。
「あなた今、ウソをつきましたよね。あなたはちっとも悲しんでない」
大樹の膝が、軽く当たる。やはり嘘だった。
「なにを根拠に?」
由衣は思い切って突っ込んだ。
「あなたはサイコパスよね? だから良心のかけらもなく、無責任で感情が浅いから平静でいられる」
「アハハハ、ヒヨッコのくせして精神科医の真似事かい?」
大樹の膝が当たる。やはり金山はサイコパスだった。
由衣は追い打ちをかけた。
「あなた今、平静じゃないでしょ。図星だったのね」
「出任せはやめてくれ。君は何かたくらでいるんだろ?」
由衣は視線を外さない。
「すぐに分かりますよ。で、あなた沢木さんに振られましたよね?」
「アハハハ、何を言っている。振られる何も、僕は彼女なんか目じゃなかった」
金山は一笑に付したが、大樹の膝は強く当たっていた。
「あなたまたウソつきましたね? 本当はきつく断られたんじゃないですか?」
「君はしつこいね。僕がウソをついているって証拠があるなら出してみろ」
大樹の膝がさらに強く当たり、由衣は、ほくそ笑んだ。
「クスッ! 当たりですね。ショック受けてるのでは?」
「そこまで言うとは、君こそ何か精神的な障害を抱えているんじゃないのか? こんなことをする暇があったら講義の復習でもやったらどうだ。沢木さんみたいに取り残されないようにな」
さすがはサイコパス、自分の言葉に酔っている。
だが、大樹の膝は勢いを増していた。精神的打撃は貯まっている。
由衣は攻撃の手を緩めず、転落現場のイラストを出した。
「この絵を見て何か思い当たることがありますよね? 福光君が描きました」
「くだらない。そんなつまらない絵を見せて何のつもりですか?」
大樹の膝が勢いよく当たった。金山の泰然自若とした態度はあと一歩で崩れそうである。
金山が普通の人間なら、ここで捨て台詞を吐き、席を蹴って出ていくだろう。だが、金山の高いプライドはそれを許さない。まして相手はついこの間まで高校生だった女の子である。
「これも、つまらないですか?」
由衣は、沢木愛のポートレートを出した。
「っ」
金山は、小さな呻き声を上げた。
大樹の膝が激しく当たった。
(効いてる)
由衣はもう一押しとばかりに最後の一撃を放った。
「彼はサヴァン症候群です。あなたの微妙な変化を見逃さない。あたしは、彼のサインを受けてあなたの気持ちが分かります。あなた、沢木さんを殺害したでしょ!?」
大樹の膝が思いっきり当り、由衣は思わず「イテッ」と洩らしてしまった。
「彼が僕の心を読もうと、君が何を言おうと無意味だ。証拠がないからな」
金山は表向き何とか平静を保っているが、頭はほぼ回らない。ここで自尊心を刺激すれば、いらぬことを口にする可能性が高い。
由衣が顔を向けて小さく頷く。
大樹は、恐る恐る決定打に繋がる言葉を口にした。
「あの……お言葉ですが、証拠は必ず見つかります」
由衣は、あえて大樹に後を託した。
立て板に水の自分より、口が重くガキっぽい大樹が切り出す方が、プライドをより傷付け、より動揺すると考えたからだ。それは正解だった。
硬く引き締まっていた金山の表情が瞬時に変わった。顔は赤く染まり、目は炎のように燃え上がる。金山の怒りと自惚れは平常心を圧倒し、爆発した。
「お前、出まかせ言うなっ! 雨ざらしで吹きさらしの非常階段に証拠が残るわけがないっ! サヴァン君は記憶力と観察力は優れていても知性は足りんようだな。ワハハハハハ」
金山の声が店中に轟き渡り、由衣はニヤリと笑みをこぼした。
「警察は建物から転落したとしか発表していませんよ」
「あ!」
金山の顔から血の気が引き、由衣はボイスレコーダーを見せる。
「全て録音してます」
「よこせ!」
金山は椅子を蹴り、由衣に飛びかかる。
大樹はとっさに由衣に覆い被さり、振り下ろされた拳が側頭部に向かう。
大樹は瞬時に首を捻ってかわし、拳はテーブルに叩きつけられた。
「アイテテテテ」
隣接する席に座っていた四人の男が一斉に立ち上がり、金山に飛びかかった。テーブルに頭と上半身を押し付け、一人の刑事が腕を捻り上げた。
「暴行容疑で逮捕する」
立ち上がって唖然する客達が見守る中、手錠の音が響いた。
連行されて行く金山に、由衣が後ろから声をかけた。
「金山さん、左の腕毛がはみ出て見苦しいですよ」
金山は反射的に袖を眺める。
店の奥から出て来た米田刑事と青山刑事が、その後ろに着いた。
二人に向かって、米田刑事がニコニコ顔で手を振り、青山刑事が頭を下げる。
刑事たちに連行されていく金山を見送りながら、もう一人の男が近づいてきた。康太である。
「お兄ちゃん、やっぱり来てた」
由衣が軽く手を振り、傍に来た康太は叱責した。
「お前、なぜあそこでレコーダー見せた!? 金山の行動は予測できたろっ!」
由衣はシャアシャアと言ってのけた。
「だって、カッコいいじゃん。刑事ドラマみたいで」
「バカたれ!」
だが、由衣は無視して大樹の頭を撫でる。
「大樹、大丈夫?」
「うん、当たってないし」
康太はため息を吐き、大樹に頭を下げた。
「済まない。由衣はとんでもないが、こちらの対応も遅れた」
由衣と大樹は、事前にすべてを康太に話していた。
康太は、二人が危険な目に遭う恐れがあると、強く反対した。しかし、二人の様子から勝手にやってしまう可能性が高い。そこで対策を練った。
康太は、埼玉県警本部に出向き、捜査一課を動かした。
金山及び由衣と大樹を監視し、緊急時に二人を保護するという案を示す。
違法捜査になる恐れがあって本来なら取り合わない話だ。だが、他殺の証拠がなく、自殺の動機も薄く、事故死の説明もできず、捜査は八方塞がりの状態だった。
一連の事件での大樹の活躍は県警内で周知されており、捜査一課長は、康太の案を了承した。
当日、捜査一課は、喫茶店に刑事六人を送り込み、ボックス席に盗聴器を仕掛けた。二人が来るまでボックス席を確保。その後は、四人は取り囲むように席に着いた。バックヤードに米田刑事、青山刑事、康太が待機した。
由衣は、「フウー」っと大きく息を吐き、大樹を見据えた。
「ねえ、あたし、どうだった?」
大樹は、少し考えてから答えた。
「……八十五点くらい」
「えー、なんでよ! 百点とは言わないけど、九十五点はいくでしょ」
「レコーダーは必要なかった。テーブルの下に盗聴器があった」
由衣はしばしポカンとして、口を尖らせた。
「なんだー! お兄ちゃん、そこまでお膳立てしてたんだ」




