非常階段 その4 サイコパス
金山と話した当日、由衣は例の如く大樹のアパートに立ち寄った。
二人がテーブル着いた途端、大樹がいきなり切り出した。
「由衣は人を騙したり、わざと怒らせたりするの得意でしょ?」
「えっ! あたしってそんなに酷い人間?」
「ごめん、そういう意味じゃない」
大樹はすぐさま首を振った。
「僕は苦手だから、代わりにやって欲しくて」
由衣は吹き出した。
「アハハハハ、確かに大樹には無理よね。たわいない嘘でもすぐ顔に出るし。この前だって、あたしのアイス食べたって聞いたら、口が変な方向に曲がってたもん」
「ごめんなさい」
素直すぎる謝罪に、由衣は顔をほころばす。
最近では、由衣は当然のように大樹の冷蔵庫を使っている。その距離感が、二人の関係を象徴していた。
「それで、誰を騙くらかすの?」
由衣は、こういう“役回り”は嫌いではない。頬杖をついてニヤニヤしている。
「金山です」
由衣は少しがっかりした。
「……なんで?」
「おそらく、金山が沢木さんを殺害したから」
「んー……正直、あたしも何か変と思ったけど。証拠は? 芝生の具合とか?」
「それは、金山がやった証拠にはならない」
「じゃあ、どうすんの?」
「転落現場を観察していた僕に、金山は接触してきた。沢木さんの絵を見せたとき、一瞬目を逸らし、顔面にごく小さな震えが走った。不安と緊張が混ざった反応でした」
(そこまで見えるんだ……)
由衣は、感心はするも首を傾げる。
「でもさ、本当にやってたら、もっと分かりやすく出るんじゃない?」
「はい、普通なら。でも彼は普通じゃないです」
「どういうこと?」
「サイコパスの可能性が高いです」
「……」
由衣は唖然とし、声が出ない。
「サイコパスは良心や共感が欠けている。感情が浅いから動揺を隠せる。自己中心的で責任感が薄い。自尊心は高い」
大樹は淡々と説明した。どこか実感がこもっていた。
「彼は"付き合っていたのか?”って聞きました。ということは、沢木さんと僕の関係を気にしていました」
由衣は深く頷く。
「うん、もし動機が沢木さんに振られたことだとしたら。プライドが高いから理由を知りたい。説明がつくわね」
「お願いできますか?」
大樹は由衣を見詰める。視線は思わず息を呑むほど鋭かった。
あの弾ける笑顔のイラスト……沢木さんの人生は無理やり断ち切られた。無性に腹が立つ。だけど、ここまで真剣にはならない。
(大樹は、やっぱり何か抱えている……)
「わかった。あたしも金山は普通じゃないって思っていたし。協力する」
大樹の顔が一気に明るくなった。
「ありがとう」
「で、具体的には?」
「警察が証拠を見つけられればよいけど、金山は頭が良く犯行に当たって細心の注意を払ったはず。さらに昨夜は激しい風雨だった」
「証拠の発見は期待できないわね」
「それで、由衣が会話して録音する」
「興奮させて余計なこと口にさせるの?」
「そう、由衣は得意そうですね」
由衣はニッと白い歯を見せる。
「うん、お兄ちゃん達にさんざんやったわよ。大樹にだってそのうち……。あっ! 何を言わせるのよ!」
勢いに任せて大樹の頬をつねる。
「イテテテテ」
完全なとばっちりである。
「あっ! ごめん、つい。お詫びにオッパ……。ん!」
大樹は慌てて身を乗り出し、由衣の口を塞いだ。
「それ以上、口にしないでください」
由衣は、大樹の手をペシペシし叩く。
「ふー……分かったってば。もう言わないから」
大樹は手を離し、深く息をついた。
「重要なことを話します」
「うん」
「サイコパスは冷静で簡単には興奮しない。でも、彼らの特徴の一つに、己の合理的な行動や知性を誇示したい欲望が強い。そこを刺激するといいです」
「なるほどね。”分かってる風”の人って、そこ突かれると弱いもん」
「他には?」
「サイコパスはウソをつくのが得意だから、見破れば動揺します」
「でも、それって見破れないと意味ないじゃん」
「僕が分かります」
「じゃあ、合図決めなきゃ」
「いい方法ありますか?」
由衣の目が、いたずらっぽく光り、自分の胸を指差す。
「ここ、肘で押して。程度に応じて強さ変えるの」
大樹の顔と耳が忽ち真っ赤になった。
「きゃ、却下します」
「キャハハハハ、冗談よ」
「こういうとき、ふざけないでください」
「ごめん。じゃあ、膝を当てて」
「いいですね。相手から見えないし」
由衣は速やかに姿勢を正して真顔になった。
(今、距離をつめるチャンスかも)
「大樹、今回は協力するけど、これを機にあたし達、別れない?」
「えっ!」
「大樹は正義漢が強くて優しくて良い人。でもね。子供過ぎてあたし疲れちゃったの」
大樹はゆっくりと視線を落とし、唇を噛む。両手を握り締め、肩が僅かに震えた。
その姿を、由衣はじっと見て、ふっと笑った。
「なーんてね」
空気が一気に緩み、大樹は顔を上げる。
「嘘に決まってるでしょ。あたし、騙すの上手でしょ?」
「二度とやらないでください」
心底嫌そうな顔で言った。
「絶対、離さないから」
由衣は、迷いなく大樹に抱きついた。
いつもと違って大樹は距離を取らない。互いの顔が引き寄せられるように接近して瞼が閉じ、唇が重なった。
二人とも初めての経験で、短く、不器用である。それでも確かな接触だった。
唇が離れ、由衣は心躍る。
(やった!)
だが次に、その高揚の奥で気を引き締めた。
(覚悟を決めなきゃ)
大樹はすでに、次の局面を見据えていた。
(あるゆる事態を想定し、準備万端整えよう)
そして、決意を固めた。
(何があっても、この人は絶対守る)
同時に瞼を開く二人の視線の先には、テーブルの上の二枚のイラストがあった。




