非常階段 その1 猫のお仲間
「どうも、ごちそうさまでした」
高見沢家の玄関で大樹が頭を下げると、美代子は顔をほころばせた。
「こちらこそ。由衣の勉強見てくれて、里芋もたくさん、ありがとうございます」
美代子は礼を返す。そして言い添えた。
「これを機に遠慮せず、またいらしてくださいね」
「大樹、行くわよ」
由衣がサンダルを履き、大樹の手を取って玄関ドアを開けた。
「どこ行くのよ?」
「コンビニ」
由衣は一言返すのみ、もう一度頭を下げる大樹を引っ張って出ていった。
「また大樹君のとこに入りびたるんでしょ! 長居しちゃダメだからねー」
「まったく……」
美代子がぼやきながらダイニングに戻って来た。
「由衣がまた何かやらかしたか?」
対して由衣の父親、高見沢宗一は至って機嫌がよい。
宗一は五十三歳、環境省再生資源局局長を務める。若い頃はなかなかの美青年でモテモテであった。今は酒太りだが、温厚な面差しの中に、威厳と、かつての面影が垣間見える。
「いえ、もっと居て欲しかったのに由衣がね……」
美代子はふと微笑んだ。
「大機君がいると何となく気分が良くなるのよね」
「うん、まだ飲めないのが残念だが、今日の酒は旨い」
「確かに。言葉遣い堅苦しいのに、妙だなー」
康太も同意した。
由衣の次兄・康史が、宗一に酒を注ぎながら自説を語り出す。
「彼は、心地よく感じるよう無意識に相手を観察し、感情を捕え、言葉ではなく、表情や仕草でコミュニュケーションを取っていると思う」
宗一がふいとグラスと止めた。
「ほう!」
「人類は言葉を発達させた反面、そういう能力を退化させたと、そんな論文を読んだ覚えがある」
康史は二十四歳、背が百八十センチ程の、知的な印象を与える整った顔立ちの青年である。大学院電子工学科修士課程を終えた康史は、この春、経済産業省に入省した。現在、研修中で配属先は未定だ。
康太が何度も頷いた。
「なるほど! 犬猫同様、一緒に居ると癒されるってことだ」
「ニャー」
絶妙なタイミングで足元に来た寛太を、美代子は抱き上げた。
佐藤家の飼い猫だった寛太は、高見沢家に引き取られたのである。
「お前、お仲間ができて良かったねー。さっきは大樹君ばっかりにスリスリしていたもんねー」
高見沢家の面々は、ごく自然に、大樹を”猫のお仲間”として受け入れた。親しみのつもりではあるのだが。
その頃、コンビニでプリンを買った二人は大樹のアパートにいた。
肩を落とし、ホッとした顔を見せる大樹に、由衣は思わず笑ってしまう。
「クスッ……ずいぶん緊張してたみたいね」
「疲れました」
素直な一言である。
二人がプリンを食べ終えると、由衣は立ち上がり、大樹の後ろに立った。
「ほぐしてあげる」
「ん?」
由衣は大樹の肩を揉み始める。硬くなっていた筋肉が、少しずつ緩む。
そして何げない調子で切り出す。
「美穂に言われちゃった。”キスはとっくにしてるんでしょ。その先は?”って」
「……」
由衣は、大樹の隣に座って身体を密着させる。
大樹は応えるかのように、由衣にもたれかかった。
「ねえ、あたし達……、お互い分かり合ってるんだからさ。……分かるでしょ?」
「……スー」
「え?」
由衣は顔を覗き込む。
「寝てる?」
「スー」
「はあぁぁぁー」
深いため息が漏れる。
由衣は大樹の肩を揺すった。
「起きなさい。風邪ひくよ!」
大樹はフラフラと立ち上がる。足がもつれそうに歩き、ベッドに倒れ込んだ。
「スー」
すぐにまた寝息が聞こえる。
由衣は大樹に布団を掛け、肩の辺りを軽く二度叩いた。
「おやすみ」
そして、また深いため息を漏らす。
「はあぁぁぁー」
由衣は机の上のルームキーを取って外に出る。玄関を施錠し、ドアポストにキーを放り込んだ。
一方、高見沢家のリビングでは、話題が変わりながら宴会が続いていた。皆、酔いが回っている。
「わしは、サヴァンだろうが何だろうが、大樹君に偏見は持ってないぞ」
宗一はゆっくり口を開き、グラスを揺らした。
「むしろ由衣は、いい相手を見つけたと思ってる。それだけに心配なんだか」
「何がですか?」
康史の問いに、宗一はグラスを飲み干して、口を開く。
「間違いが起きなきゃいいが」
「大樹君に限ってそれはないわ」
美代子は即座に不定するも、対象が違うとばかりに、康太が確かめた。
「いや、父さんは由衣の方を心配してるんだろ?」
「そうだよ」
宗一は当たり前のように言ってのけた。
「父さん、大丈夫さ。仮に由衣が迫っても、彼は何とかしてその場を逃げる」
「兄貴、その光景を想像すると笑っちまうんだが。……ブッ」
康史が吹き出し、各々ニンマリしながらイメージを膨らませていると、由衣がぶつくさ言いながら帰って来た。
「寝ちまいやがんの。……はあぁー……、大樹はガキ……」
「アハハハハ」
「なによっ! みんな笑い出してー」




