戦いの準備
その日の午後、真十郎、エーリヒ、コリンナの三人は隠れ家として使用している廃屋の一室に集まっていた。
彼等は部屋の中央にある丸テーブルを囲んで立っている。
小屋の外から聞こえてくるのは、小鳥の囀る声と風が木々の枝や葉を揺らす音だけだ。
一国の王都とは思えぬ程に街は静かだった。
本来なら聞こえてくるであろう、道行く人々の足音や話し声、馬や馬車の行き交う音なども全く聞こえてこない。
まるで町中の全ての人が死に絶えてしまっているかのようだ。
かつては賑やかであった街をこのように変えてしまったのは、この国の王ゲオルグである。
三人はその元凶をどのようにして暗殺するか、その計画について話し合っていた。
「前回襲撃時にゲオルグ王が作り出したという空間は、おそらくこちらの世界と異界の狭間に存在しているはずです。儀式のために作られたものなのでしょう。異界への道を開くためには目的とする場所にできるだけ近い場所で儀式を行う必要があります 。儀式はその場所で行うに違いありません」
「場所はそうだとして、儀式を行う時間は? 五日後の深夜が最も魔力が強くなる時間帯だって話だったけど、儀式はその時に行われると思っていいんだよね?」
「はい、その時間帯が最も魔力が強くなる時間帯です。間違いなく、あの悪魔はその時間に儀式を行うでしょう。それを何としてでも阻止しなければなりません。それが出来なければ、もはや我らに打つ手はなくなってしまいます」
「そうか……あの空間を儀式に使うってことは、あそこへの入口は今も城の地下に残っているという事?」
「それはわかりません。既にゲオルグ王がその入り口を閉じているかもしれません」
「……ならあの場所で待ち伏せして儀式を妨害するっていうのは無理なのか」
「いえ、それは可能でしょう。異界への扉は何処にでも開けるわけではありません。一度開いたのなら、次も同じ場所に開くはずです。また開いた場所には必ずその痕跡が残ります。それが分かりさえすれば、私でもその空間へと至る入口を作ることは出来るでしょう」
「ならもう一度あの場所に忍び込み、待ち伏せして倒すって事は可能かな? 前回奴は一人だったが、次は護衛を連れてきたりするかもしれない。それも考慮に入れなきゃな」
「その時は俺が何とかしよう。あの場所で身を隠すのは難しくない。護衛相手ならば魔力を帯びた武器も必要無い。排除するのは難しく無い筈だ」
懸念を示すエーリヒに、何でもないことであるかのように真十郎が言葉を返した。
それを聞いたエーリヒは楽し気な笑みを浮かべて見せる。
「ハハッ、そうか……いや、本当に君がいてくれて良かったよ。じゃあ、決行は五日後ということでいいかな? 何か意見があるなら言って欲しい」
「私はそれで良いかと思います」
「俺もそれで構わない」
エーリヒの問いにコリンナと真十郎が肯定の意思を返す。
五日後にゲオルグを殺す……真十郎がそれを意識した途端、抑えていた憎しみの感情が大きくなり心を乱し始めた。
彼は大きく一つ息を吐き、腰の後ろに差していたアンナの短剣を取り出した。
短剣を半ばまで鞘から引き抜きその刃に目を落とす。
その刃を見ているうちに感情は和らぎ、心が落ち着きを取り戻していく。
心の中でアンナに礼を言いながら、真十郎が短剣を鞘に納めようとした時だった。
視線を感じて顔を上げると、コリンナと目が合った。
一体何があったのか、驚きの表情で目を見開きこちらを凝視している。
真十郎が短剣を腰の後ろに戻して、どうしたのかと尋ねようとした時だった。
彼が言葉を発するよりも早く、コリンナが口を開いた。
「待ってください! 真十郎殿! それを、その短剣を見せてはくださいませんか!」
大声でそう言って、コリンナが真十郎に詰め寄るように身を乗り出す。
随分と興奮した様子で、息も荒くなっていた。
真十郎はその異様な剣幕に戸惑いながらも、短剣を取り出し彼女に手渡した。
コリンナは短剣を鞘から引き抜き、その刃を食い入るように凝視する。
短剣を持つ彼女の手がわずかに震えているようにすら見えた。
「これはあなたの物ですか? どなたかに譲られたものではありませんか?」
「これは友人から預かったものだ。譲られたわけでは無い。お守り代わりにと持たされた」
「その方とあなたはどのような関係ですか? その方は女性なのではありませんか?」
「確かに相手は女だが、それが何か……」
「ああ、やはり! 素晴らしい!」
そう言ってコリンナが歓喜の声を上げる。
その奇妙な反応に真十郎は戸惑っていた。
先程された質問の答えに彼女を喜ばせるような何かがあったのだろうか?
コリンナが一体なぜそんな事を聞きたがるのか、そして何をそんなに興奮しているのか理解できなかった。
「すまないが……説明して貰えるだろうか? その短剣に何かおかしなところでもあったのか?」
その真十郎の問いに、コリンナは一瞬驚いたような表情を浮かべたのちに、気まずげに咳ばらいをした。
「……失礼いたしました。その……この短剣の由来などは聞いておりますか?」
「持ち主が死んだ母親から譲り受けたと聞いた。代々護り刀として伝えられてきたものなのだそうだ」
「代々伝わる物でさらに母親の形見……そんな大事な物をあなたに預けたと言う事ですね。その方はあなたの恋人ですか?」
「いや、そういうわけじゃない。だが……」
「だが?」
「ここに来る前、オステンブルクを出発するときに好意を伝えられた。任務を無事達成できたなら……その彼女と婚姻を結ぶという話になっている」
「そうですか、ああ……やはり間違いないようですね」
「どういうことだ?」
短剣を真十郎に返しながら、コリンナはその顔に満足げな笑みを浮かべていた。
先程までの興奮は既に冷めたらしい。
その声も口調もいつもの落ち着いたものに戻っていた。
「愛する者を想う心にはとても強い力が宿るのです。子を思う親の心、恋人を思う心……邪悪な者共にとって、そういった強い想いが込められた道具は脅威となります。たとえ魔力を帯びていなくとも、この短剣をもってすればあの悪魔に傷を付けることが出来るでしょう」
そのコリンナの言葉に真十郎は驚き、手にした短剣に視線を向ける。
あの悪魔に傷を付けることが出来る……その言葉に強い興味を引かれていた。
魔力を帯びていない物であれば、ゲオルグに察知されることも無い。
実際、前回王城に潜入したときにもこの短剣を身に着けていたが、ゲオルグに察知されることは無かった。
コリンナの言葉が真実であるならば、ゲオルグに気付かれること無く近付き暗殺することも出来るかもしれない。
そこまで考え、ふと躊躇いを覚えた。
これはアンナにとっては親の形見なのだ。
御守りとして渡されたそれを武器として使い、折れたり壊れたりするような事があれば、アンナに申し訳が立たないと思ってしまう。
「どうかなさいましたか?」
「これは……持ち主にとっては親の形見で大事な……かけがえの無い物のはずだ。武器として使うために預けられたものではない」
その真十郎の言葉にコリンナは顎に手を当て、思案するようなそぶりを見せてから口を開いた。
「良く考えてくださいませ。あなたの任務が無事終わるようにと預けられた物が、標的に対するこの上ない武器となるのです。こんな偶然があるでしょうか? きっと運命なのだろうと、私はそう思うのです。あの悪魔を倒すために神がその女性を通じてあなたに加護をお与えくださったのではないでしょうか?」
「……そうなのだろうか?」
「ええ、私はそう思います。それに、相手の方はあなたの事を想ってその短剣を預けたのでしょう? その短剣があなたの任務を遂行する助けになるのだとしたら、その方もきっと喜ぶのではありませんか?」
この短剣を武器として使い、壊してしまったとしたらアンナはどんな顔をするだろうか?
目を閉じて、それを想像してみた。
何度そうなった場合の光景を思い浮かべても、彼女が機嫌を損ねている様子は浮かんではこなかった。
アンナは許してくれる気がする。
任務のため、ひいてはこの国を救うためであったなら、アンナがそれを不快に思うことはきっとないだろう。
短剣を鞘から抜きその刃に目を落とした。
こんな偶然があるだろうかと、コリンナはそう言った。
「運命か……」
呟き、短剣を鞘に納めた。
戻ったらアンナに謝らなければならないだろう。
それでもし許して貰えなかったなら、己の一生を費やしてでも彼女に償いをしようと思った。
元々アンナに救われた命なのだ。
残りの人生を彼女のために費やすことに何の抵抗も感じない。
……すまないアンナ。
心の中でアンナに謝罪し、真十郎はコリンナへと向き直った。
「わかった。これを武器として使うことも考慮に入れよう」
「ええ、そうなさいませ。あなたの帰りを待ちわびているであろう、そのお方の為にも」
コリンナの言葉に頷き、再び短剣に視線を向けた。
まさかこんな形で再びアンナに助けられるとは思っていなかった。
「それから、これをどうぞ」
そう言ってコリンナは真十郎とエーリヒに銀色のつややかな光沢のある布を手渡してきた。
「これは?」
「この布は魔力をある程度遮断することが出来ます。完全に遮断できるわけではありませんが、それでもあの悪魔に察知され難くはなるでしょう。持っていればきっと役に立つのではないかと」
完全に遮断できるわけでは無いということは、近付けば気付かれてしまうのだろう。
だが多少なりとも察知され難くなるというのはありがたかった。
これをどのように使えば効果的か真十郎は考えを巡らせる。
「ではどのような方法でゲオルグを倒すかの作戦を話し合おう。何か意見があれば言ってくれ」
そう言ってエーリヒが他の二人を見回す。
「いくつか質問があるんだがいいだろうか?」
「ああ、もちろんだ。何でも聞いてくれ」
真十郎の問いにエーリヒとコリンナは頷きを返す。
それを受けて、真十郎はコリンナに問いかけた。
「まず、深淵の盃というのはどんな形をしているんだ? あなたはそれを見たことがあるのだろう?」
「はい。形は特に特徴のある物でもありません。何も知らぬ者が見ればただの石でできた盃だと思うでしょう」
「石で出来ているのか?」
「はい、それが何か?」
「それを破壊したりはできないだろうか?」
「破壊ですか? 出来なくは無いでしょうが……強力な魔道器ですので、通常の方法で破壊する事は不可能です」
「そうか……ならば、それの偽物を作ってくれと言ったら可能だろうか?」
真十郎のその言葉に、コリンナはわずかに驚いたような表情を浮かべた。
「偽物ですか? ……おそらく可能だとは思います。見た目は何の飾りもない盃なので、見た目だけ似た偽物を作るのは難しくは無いでしょう。……しかし、何に使うのですか?」
「偽物とすり替えて本物を盗み出すことも出来るかもしれないと思ったんだ」
「盗む? 深淵の盃を?」
「そうだ。儀式を阻止することが第一であるなら、必須となるその盃を奪ってしまえばいいと思ったんだが……」
「確かに深淵の盃さえ奪ってしまえば、かの者が異界への扉を開くことも難しくなるでしょう。魔力は……私が付与を行えば何とかなりますか……わかりました、それについては私が準備いたします。他にも何か必要なものがありますか?」
「ゲオルグ相手に通用するような毒を用意することは出来るか?」
「毒ですか? それも用意は出来ますが……通常の毒は効果が無いと思うので、魔力を帯びた物になってしまいます。使おうとすれば、きっとあの悪魔に察知されてしまうでしょう」
「それでもかまわない。使うかどうかわからないが、可能なら用意して貰いたい」
「承知しました。他にも何か必要ですか?」
「いや、今のところはそれ以外には無い。すまないがよろしく頼む」
「はい、お任せください」
コリンナとの会話を終えた真十郎に、エーリヒが話しかけてくる。
「君の頭の中ではどういう方法で行くか、既に考えがあるみたいだね」
「ああ。俺の考えた方法を説明させて貰ってもいいだろうか?」
「ああ、もちろんだよ。聞かせてくれ」
「ありがとう。おかしなところがあれば遠慮なく言って欲しい」
そう言って、真十郎は自身の考えた作戦を他の二人に語り始めた。
その後も三人は話し合いを続けて意見を出し合い、計画の詳細を詰めていった。
カールはオステンブルクからアーデルラントへと繋がる街道の入口となる場所に立っていた。
彼の視線の先では兵たちや臨時で雇った大勢の人足が作業に従事している。
それを眺めるカールの元に一人の騎士が近付いて来て、彼に声を掛けてくる。
「カール様。物見の兵の報告によればアーデルラントの軍勢は三日後には到着するだろうとのことです」
「そうか、準備はどうだ?」
「はい、そちらについては今日中には整うかと」
「ご苦労。引き続きよろしく頼む」
一礼して下がっていく騎士を見送り、カールはアーデルラントがある北の方角へと視線を向ける。
「ヴァルター……」
カールはアーデルラントの軍をこの街道の出口で迎え撃つつもりだった。
地の利を生かして敵の騎兵の動きを封じ込めるために、できるだけ狭い場所で戦いたいと思っている。
地の利はこちらにある。
相手は死を恐れぬ戦士達だ。
それを相手に真正面から戦えば、相当に苦しい戦いを強いられるだろう
だがそれは、あくまでまともに相手にするならばの話だ。
彼等は今アーデルラントの軍勢を迎え撃つために、いくつかの仕掛けを施していた。
ヴァルターとは騎士として、友人として稽古で何度も剣を交えたが、指揮官として対峙したことは無かった。
出来ればそのような仕掛けなど用いず、正面から戦って雌雄を決したかった。
だが、そんなわがままのために配下の者達に犠牲を強いることなど出来る筈もない。
心を失くしてしまった者たち、殺戮のみを求める怪物のような者たちを相手に戦わねばならない。
負けるわけにはいかない。
手段を選べる程の余裕も無い。
もし敗れたなら、オステンブルクの住民たちもどのような目に合うかわからないのだ。
必ず勝つ。そしてヴァルターを悪霊の支配から解放する。
それは彼を殺すということになる。
「許せよ、ヴァルター」
アーデルラントの方角に目をやり、呟くように友への謝罪の言葉を口にする。
かつての友と戦わねばならない事と己が負わねばならない重責に圧し潰されないように、強く息を吐き出す。
そうやってカールはその気を引き締め、戦いに臨むための決意を固めていた。




