かつての友
エーリヒは王城の地下牢の壁に背を預けて座っていた。
窓も無いその部屋では時間もわからなかったが、おそらくもう夜になっているはずだった。
その部屋には何も無かった。
ベッドすら存在しないその部屋でエーリヒは壁を背にして床に座り、これからのことを考えていた。
明日彼は王城の前の広場で公開処刑されることになっている。
彼以外の仲間は皆拷問を受けていた。
地下牢の奥には囚人を拷問するための部屋がある。
そこから仲間の苦しむうめき声や叫び声がずっと聞こえていたが、今はもう聞こえなくなっていた。
拷問吏が三度彼の入った牢の前を通った。
外に出ていくとき、拷問吏はピクリとも動かなくなった仲間たちを引き摺っていた。
彼らは死ぬほどの苦痛を与えられても、口を割らずに死んでいったのだ。
おそらくは情報を引き出すことよりも、苦痛を与えて殺すことを目的として拷問していたのもあるのだろう。
そうでなければ捕らえたその日に殺してしまったりなどしないだろうから。
エーリヒは拷問を受けなかった。
その身分故に情けを掛けられたわけではない。
拷問により衰弱させないためだった。
明日の公開処刑で出来るだけ長く苦しんでから死ぬようにとの、ありがたくない配慮によるものだ。
ここで自ら命を絶つことも考えた。
出来なくはないだろうし、そのほうがずっと楽に死ねるだろうとも思う。
だが彼はそれを選ばなかった。
自分だけが楽に死ぬのは、拷問を受け最後まで苦痛に耐えながら死んでいった仲間たちに申し訳が立たない気がした。
どんな苦痛を与えられようとも、声一つ上げずに死んでやろう。
お前の思い通りになどなりはしないと、父の姿をした異界の存在に思い知らせてやるのだ。
エーリヒは目を閉じた。
最期の夜だ。
まだやり残した事が山程あったが、もはやどうにもならない。
残っている兄弟姉妹のことを考える。
シャルロッテは問題無い。
神聖帝国が守ってくれる。
兄は……ヴァルターはどうなるだろうか。
コリンナの話では、ヴァルターを元に戻すことはできないということだった。
誰かが止めてくれるのだろうか?
このままいけば、いずれ神聖帝国と戦うことになるだろう。
かの国の騎士達が兄を止めてくれることを願うしかない。
クラウディアはどうなるだろう?
自分が死んだあとは、彼女一人で全ての重荷を背負わなければならない。
この国の行く末はもちろん、下手をすればこの世界全ての行く末をも左右することになる。
……すまない、姉上
そう、エーリヒが心の中で呟いたときだった。
「エーリヒ王子」
突然何者かに呼び掛けられたエーリヒは驚き、目を開いた。
牢の鉄格子の前に何者かがうずくまっていた。
ローブを纏い、その顔はフードで覆い隠されている。
驚き、声を出せずにいたエーリヒに、その何者かが再度呼び掛けてきた。
「あなたがエーリヒ王子で間違いないだろうか?」
落ち着いた声で、再度男は語りかけてきた。
呼びかけられたエーリヒは、戸惑いと警戒を隠しきれぬままに男に問いを返す。
「何者だ?」
「狩人……と言えばわかるだろうか? あなたを助けに来た」
男はそう言って、扉の鍵穴に鍵らしきものを差し込み扉を開けた。
男は扉の横に立ち、エーリヒが出てくるのを待っていた。
だがエーリヒはその場から動けずにいた。
その狩人と名乗る男を信じてよいか迷っていたのだ。
「急いでくれ。それほど余裕があるわけでは無い」
男にせかされ、エーリヒは数瞬迷うが、立ち上がって男のほうへと近付いていく。
ここにいてもどうせ死ぬのだ。
ならば目の前の男を信じて見るのもいいだろう。
「怪我はしていないか? 自分の足で脱出が可能か?」
「あ、ああ。怪我は無い。脱出も可能だ」
男の問いに、エーリヒは戸惑いながらも返答する。
その言葉に男は頷き、視線を地下牢の入口のほうへと向ける。
「ついてきてくれ」
そう言って、男は歩き出した。
エーリヒは警戒心を残したまま、その男の後を付いて行く。
地下牢の入口の周りには、四人の兵が倒れていた。
全員、頭や喉といった急所に矢を受けて絶命していた。
「これは君がやったのか?」
「ああ」
「君は……狩人と言ったが、シャルロッテを救ってくれた、あの狩人なのか?」
「ああ、そうだ。詳しいことはここを出てから話そう。今は出来るだけ早く戻りたい」
「ああ、そうだね。すまない」
地上に出たのち、狩人は物陰に隠れながら城壁に向かって歩いていった。
エーリヒも辺りを警戒しながら、その後ろを付いていく。
そうしてたどり着いた城壁からは一本のロープが垂れ下がっていた
そこは光が当たらず暗がりとなっているせいで、余程注意して見なければそこにロープがあるとは判別できなかった。
「登れるか?」
「ああ、問題無い」
「そうか。俺が先に登る。ついてきてくれ」
「わかった」
短いやり取りの後で、狩人がロープを登り始めた。
エーリヒはそのあとをついてロープを登る。
いつ見つかってもおかしくない。
エーリヒはそう思い周囲を警戒していたが、何事もなく無事城壁を越え、城の外へと出ることが出来た。
「ありがとう。あのまま死ぬものだと思っていた。まさか脱出できるとは思っていなかったよ」
そう礼を言いながらも、エーリヒは目の前の相手に対して警戒を解こうとはしなかった。
神聖帝国から来たというのは嘘で、助けた振りをして仲間のいる隠れ家に案内させようとしているのかもしれない。
だが、狩人は城を脱出して以降ほとんど口を開こうとはしなかった。
街中の裏通りを足早に歩いていくその後ろを、エーリヒは黙って付いていった。
やがて、良く知った景色が見えてくる。
男の辿っている道筋は、間違い無く隠れ家へと至るものだった。
彼は隠れ家の場所を既に知っているということだ。
その頃になると、エーリヒの心から狩人に対する警戒心は消え去っていた。
それから程なくして、二人は町外れの教会にたどり着いた。
そのまま二人は教会の中へと入っていく。
礼拝堂には誰もおらず明かりも灯されていない。
だが窓から差し込む月明かりのおかげで、内部を見て取るのに不自由は無かった。
エーリヒは先に立って礼拝堂の奥にある扉を明けて先に進み、隠し階段の上の扉を開いた。
階段を降りて行くと、扉の前に立つ二人の見張りが驚きの声を上げてエーリヒを出迎えた。
「エーリヒ様?! おお! よくぞご無事で」
「ああ、彼が助けてくれたんだ」
そう言って後ろに立つ狩人に向かって肩越しに視線を送って見せる。
「ああ! まさか本当に殿下を救い出してくださるとは」
衛兵は喜びながら、ドアを開けて二人を招き入れた。
地下の広場に入っていったエーリヒは、すぐに前方から駆けてくる姿を見た。
姉がこんな風に周りの目も気にせずに走るのを見たのは久しぶりだった。
「ああ! エーリヒ!」
走ってきたクラウディアは目に涙を浮かべながらエーリヒに抱きついてきた。
「すまない、姉上。心配を掛けた」
「あなたはもう助からないと、そう覚悟をしていたのです。まさか、本当に……ああ、良かった」
喜ぶ姉の言葉に、エーリヒは後ろめたさを感じていた。
自分以外の仲間は皆死んでいったというのに……。
「一緒にいた仲間は皆拷問されて……死んだ。俺一人が大した怪我も無く生きて戻ってきた」
「そう……それでも、あなただけでも生きていてくれて良かったわ」
クラウディアはエーリヒから身を離し、真十郎に視線を向ける。
「真十郎様、本当にありがとうございます。まさか、本当に弟を救って下さるとは……」
「気にしなくていい。俺はあなたたちを助けるようにと言われてきた。ただその仕事をこなしただけだ」
クラウディアは目尻に涙をためたまま、笑みを浮かべる。
「本当にシャルロッテの手紙に書いてある通りなのですね」
「そうなのか?」
真十郎に問われたクラウディアは楽し気にくすくすと笑い始めた。
それを見た真十郎もつられたように苦笑を浮かべる。
「おかしいだろうか?」
それに対して、エーリヒが口を開いて答えた。
「妹を救ってくれた事もそうだけど、君は自分のしたことをもっと誇ってもいいと思うんだ」
「きっと、あなたにとっては造作も無い事で、賞賛されるようなことでは無いのでしょうね。しかし私たちにとってはそうでは無いのです。もう一度お礼を言わせてください。本当にありがとう」
その言葉を聞いた真十郎は、少し戸惑ったような表情を浮かべていた。
「ああ……すまないが、少し休ませてもらってもいいだろうか?」
「ええ、もちろんです。真十郎様を案内して差し上げて」
そう言って、クラウディアが傍に控えていた騎士に声を掛ける。
その騎士に連れられ、離れていく真十郎の姿をクラウディアとエーリヒは見送った。
「もう死を覚悟していたんだ。助かるとは思っていなかった」
「ええ。私も、あの方ならばもしかしたらとは思っていたけど、本当にあなたが戻ってくるとは思っていなかったわ」
そう言って、クラウディアはもう一度エーリヒを抱きしめた。
そしてすぐにその身を離して大きく息をつき、表情を引き締めた。
「あの方はとても心強い助っ人だけど、私たちの目的は未だ困難なまま残っているわ」
「ああ、そうだね。でも今は多少は楽になったって事を喜ぼうじゃないか」
そう言って笑うエーリヒに、クラウディアもその頬に小さな笑みを浮かべて答えていた。
オステンブルク城内の一室でヘルマンとカールは兵からの報告を受けていた。
アーデルラントの北方の貴族、ヴェルフ伯爵が死んだという報告だった。
もはやアーデルラントとの戦いは避けられそうにない。
神聖帝国は アーデルラント内のゲオルグ王に対して反感を持つ貴族と密かに連絡を取り、内応するように工作を行っていた。
ヴェルフ伯爵はその貴族の内の一人だった。
どうやら敵に勘付かれ、先手を打たれたらしい。
可能なら救援を出したかったが、大っぴらに援助するわけにもいかなかった。
何より、オステンブルグはアーデルラントの南の国境に接している。
アーデルラントの北に位置するヴェルフ伯領に救援を出すためには、アーデルラント内を縦断しなければならない。
せめて領土が隣接していたなら、何らかの手を打つこともできたのだろうが。
現在のヴェルフ伯領内は酷い有様だという。
伯爵の家族は全て殺され、その首は城門前に晒されたのだそうだ。
その中には、まだ五歳になったばかりの伯爵の末子も含まれていた。
城内の兵も、武器を捨て降伏した者までかまわず皆殺しにされたという。
そして、その軍を率いていたのはヴァルター王子だとのことだった。
カールは信じられない思いでその報告を聞いていた。
カールの知るヴァルターは強く高潔な騎士であった。
以前からおかしくなったという話は聞いていたが、もはやかつての面影は微塵も感じられなくなってしまっている。
「伯爵領を出た部隊は王都へは戻らず、国を縦断して南へと向かっているようです」
「南? それはつまり……我が国の国境へと向かっているということか?」
カールの問いに兵が頷きを返す。
「はい。おそらくそうでは無いかと思われます」
「数はどの程度だ?」
「約五千程との報告を受けております」
オステンブルクの兵は四千程だ。
数に於いてはこちらが劣っている事になる。
「伯爵はどのようにして敗れたのだ? ヴァルター王子はどのような策を用いてヴェルフ伯の軍を攻略したのか?」
「報告によれば策などは用いず正面から戦い勝利したとのことです」
カールはその答えに驚きを示す。
「正面から? それでたったの三日で城を落としたというのか?」
「はい。実際には城はたった一度の攻撃で陥落したとのことです。ヴァルター王子の率いる兵は何人死のうとも意にも介さず、ひたすらに城壁をよじ登り城内へとなだれ込んでいったそうです。まるで蜜に群がる蟻のように見え、人間らしさをまるで感じられなかったと……そのように報告されております。その兵たちは終始静かで、突撃の際にも雄叫び一つ上げず……それこそ体に槍や剣を突き立てられても声一つ上げることは無かったのだそうで……。腕や足を失っても表情一つ変えずに戦い続け、まるで痛みを感じていないかのように見えたとも報告されております」
「そうか……」
カールは呟き、宙を仰いだ。
一人の男の顔がその脳裏には浮かんでいた。
黒髪に翠色の瞳。
武人らしく骨張った、どちらかといえば厳つい容貌であったが、その表情はいつも自信と優しさに満ちていた。
尊敬する友であり、好敵手であったその男の事を思いながら、カールは深いため息を吐いた。
「ヴァルター……まさか、こんなことになるとは……」
今のヴァルターが以前とはまるで別人のようになっているという事は知ってはいた。
だがその事実をカールはいまだに信じ切れてはいなかった
騎士としての高潔さはもはや無い、無慈悲で残忍な戦士。
それが今、このオステンブルクに兵を率いて迫ってきている。
おそらく戦いは避けられず、本気で戦えばどちらかが死ぬことになるだろう。
また会えることを楽しみにしていたというのに。
こんな形で決着を付けることになるとは、思ってもみなかった。
カールはもう一度、静かにため息をついた。
既に戦うための準備は整っている。
かつての友と殺しあわねばならない。
「父上、ヴァルターの軍と戦うときの兵の指揮は私に任せていただけませんか?」
「どうするつもりだ? 相手は死を恐れず痛みすら感じないような者達で、数もこちらより多いのだぞ?」
「それは確かに脅威です。ですが地の利はこちらにあります。敵を迎え撃つための準備のための時間も十分にあります。戦い方を間違いさえしなければ何とかなるでしょう」
死を恐れぬ兵は確かに強力だろう。
だが恐れを知らないということは、その分警戒心が薄くなるのではないか。
そこに付け入る隙があるように思えた。
カールの言葉にヘルマンは頷きを返す。
「ふむ、自信がありそうだな」
「はい、準備さえ怠らなければ十分に勝てると思っています」
「そうか、そこまで言うのならお前に任せてもいい」
「はい、ありがとうございます、父上」
「一旦休憩しよう。その後でお前が考えている策について議論しようじゃないか」
ヘルマンもカールとヴァルターの関係を鑑みて、カールに任せると言ってくれたのだろう。
自分の手で決着を付けたいというカールの想いを尊重してくれたのだ。
最後に会ったのは三年前だったか。
優れた剣の使い手で、その腕前はアーデルラント内でも随一と呼ばれていた。
会う度に手合わせをした。
勝敗は五分だった。
次こそは勝ってやると、お互いを目標にしてこれまで技を磨いてきた。
三年前に別れた時もそのように約束をしたのだ。
だが、その約束が実現することはないだろう。
次は戦場で会い、殺しあうことになる。
ヴァルターが率いる兵たちは悪霊に取りつかれているのだろう。
シャルロッテ王女の護衛の騎士であるゾフィーの妹もそのようになっていたという話だった。
死を恐れず痛みも感じない。
その呪縛からは死の間際にのみ解放されるらしい。
つまり、元に戻すためには殺すしかないのだ。
どちらにしてもヴァルターをこのままにしておいて良い筈が無い。
尊敬できる友人であった彼はもういない。
殺すしかないのであれば、せめて自分の手で決着をつけたかった。
「……ヴァルター」
脳裏に浮かぶ友の顔は、武人らしい、武骨だが優しさに満ちた笑みを浮かべたものだった。




