遠い家路
平原を炎で焼き尽くしてから、どれほど歩いただろうか?
既に日は陰り始め、空は鮮やかな茜色に染まっていた。
しばらくは振り返れば野を焼く炎が見えていたが、もうそれも見えなくなっている。
今日はこのあたりで野営しようかと思い始めたときだった。
どさりと何かが倒れる音が聞こえた。
アンドレアスはまさかと思いながら、音のした方向に目を向けた。
そこには彼の弟子の一人が倒れており、その頭には一本の矢が突き立っている。
その光景に驚愕を覚えながらも、反射的に魔術で障壁を生み出す。
その直後、障壁に一本の矢がぶつかり、地に落ちた。
「馬鹿な! 賊がまだ生きていたのか?!」
弟子の叫び声を聞きながら、アンドレアスは矢の飛んできた方角を凝視した。
相変らず障害物などほとんど無い草原の上だというのに、それらしき人影は見あたらなかった。
一方向を凝視したまま、アンドレアスは思案にふけっていた。
賊はあの炎の海の中で一体どうやって生き延びたのか?
しばらく考えて、敵も魔術を使えるのかも知れないと、そうアンドレアスは思い至る。
あるいは弓の射手とは別に魔術師が帯同しているのか?
そうであるならば、先程の炎も魔法によって防御した可能性もある。
あの炎の中を生き延びたのだとしても納得がいく。
見晴らしの良い平原にあっても姿を見つけることができないのは、幻術を使用してこちらの目を曇らせているのかもしれない。
そう考えるのが最も妥当なように思えた。
相変わらず、敵は遠方から矢を射掛けてくるだけで、それ以外のことはしてこないようだ。
近付いて探知の術に補足されるのを恐れているのかもしれない。
であれば矢避けの術を切らさぬようにしていればよい。
矢避けの術は一度かければ一時間は効果が持続する。
一時間ごとにかけ直すことを忘れさえしなければ、何の問題もない。
「自身の身に矢避けの術を施せ。一時間おきにかけ直すことを忘れるな。夜の間も見張りを立て、矢避けの術を切らさぬようにするのだ」
遠くから矢を射掛ける事しかできない相手であれば、矢避けの術が効いている間は何一つ恐れることなど無い。
全員が術を施したことを確認して、一行は再び歩き始めた。
どこで野営するか考えながら歩いていた彼らの目に一軒のさびれた小屋が目に入ってきた。
ちょうど良いと思い、その小屋の中に入ってみる。
既に使われていないのだろう。
放置され、荒れ果てていたが外で寝るよりは幾分かましなはずだ。
何より、この中で過ごしている限りは弓で狙撃される心配はなくなるだろう。
だがそれでも念のため、残った弟子二人に交代で見張りをさせる。
アンドレアスは小屋の中で横になって目を閉じた。
昼間使った魔法のせいで肉体にも精神にも疲れが溜まっていた。
そのせいか、彼の意識はすぐに眠りの中へと落ちていった。
「師よ! 起きてください、師よ!」
アンドレアスは弟子に揺さぶられて目を覚ました。
眠りを妨げられたことに苛立ちを覚えたが、弟子の様子を見る限りただ事ではない何かが起こったのだろう。
「何があった?」
「賊が草原に火を放ったのです! この小屋の周りは炎で囲まれています!」
「なんだと?」
小屋の窓を見ると、確かに外が明るくなっているのが分かった。
「すぐにこの小屋から脱出しましょう! 」
そう言って小屋の外へと出ていく弟子の後に続いて、アンドレアスも小屋を出ようとする。
その目の前で、突然弟子が倒れた。
アンドレアスは驚き足を止める。
倒れた弟子の頭には一本の矢が突き立っていた。
彼は慌てて小屋の中に戻り、自身に矢除けの術を施しながら、まだ小屋の中にいたもう一人の弟子に警告を発する。
「矢除けの術を自身に施せ! あの賊が外で待ち伏せているぞ!」
その言葉に、残った弟子は慌てて自身の身に術を施す。
倒れた弟子は小屋の中であれば狙撃されることはないだろうと、矢除けの術を施していなかったのだろう。
小屋から出たアンドレアスの足元に一本の矢が突き立った。
アンドレアスを狙って放たれた物だろうが、矢除けの術の効果により逸れたのだろう。
矢の飛来した方角に目をやるが、炎に遮られて遠くまで見渡すことはできなかった。
炎は小屋の周りを完全に囲っているわけではなかった。
その炎の隙間を縫ってアンドレアスは最後に残った弟子とともに脱出した。
十分に距離を取ってから振り返ってみると、小屋は既に炎に包まれていた。
歩きながら、アンドレアスはこの先の事を考えた。
一体どうしてこんな事になってしまったのか。
弟子は最後の一人が残るだけになってしまった。
二人はそのまま次の日の夜まで歩き続けた。
道中は矢除けの術を切らさないように気を付けていた。
こちらが隙を見せない限り、賊は襲ってこないらしい。
歩いている間に彼ら目掛けて矢が飛んでくることはなかった。
前日の夜もまともに眠れていなかったせいで、日が暮れるころにはアンドレアスの疲労は既に限界に達していた。
弟子もまた同じであるらしい。
二人は足を止め野営の準備を始めた。
残った弟子は一人しかいない。
その弟子に一晩中見張りをさせるわけにはいかなかった。
アンドレアス自身も夜の見張りをしなければならないだろう。
交代の時間が来たら起こすように弟子に言いつけて、アンドレアスは横になった。
疲れ切った彼の精神と肉体は、すぐに眠りの中へと落ちていった。
どさりと何かが地に落ちたような音が聞こえ、アンドレアスは目を覚ました。
嫌な予感がして身を起こし、音のした方向に目を向ける。
そこには最後に残った弟子が倒れていた。
他の弟子たちと同じように、その頭に矢を突き立てた姿で。
驚き、跳ね起きた。
即座に魔力の障壁を展開したのち、自身に矢避けの術を施す。
心臓が激しく鼓動を打つ。
運が良かった。
もし目を覚ましていなかったなら、数秒後には自分も死体となって地に伏したままとなっていただろう。
これで弟子はみな死んだ。
とうとう自分一人になってしまった。
ここから先はまともに眠ることは出来ないだろう。
矢避けの術の効果は一時間だ。
眠るとしても一時間以内に目を覚まして、術を掛け直さなければならない。
まだ辺りは暗闇に包まれている。
眠りが浅かったため、まだ疲れも残っている。
だがそのせいで、ほんの少しの物音で目を覚ますことが出来た。
そのおかげで、こうしてまだ生きていられるのだ。
もう一度、あたり一面を焼き払うべきだろうか?
ふと、そんな考えが浮かんだが、すぐにそれを頭から追い出す。
そんなことをしても、きっと無駄に終わるだろうからだ。
彼が放った無数の火球は、間違いなく矢の飛んできた方角を広範囲に渡って焼き払った。
あたり一面が炎に包まれていたのをこの目で見たのだ。
だというのに何故、敵はまだ生きているのか?
敵がどのようにして生き残ったのか、その方法がわからない限りもう一度同じことをしても失敗に終わるだろう。
無駄に魔力と体力を消耗するわけにはいかなかった。
何とかして、近くの街までたどり着かなければならない。
街にたどり着くことさえ出来れば、兵に護衛をさせることが出来る。
そうすれば安心して眠れるだろう。
アンドレアスは立ち上がり、弟子の遺体をその場に残して歩き始めた。
それからずっとアンドレアスは一人で歩き続けた。
たまに短い休憩を入れたりはしたが、それ以外の時間はひたすらに歩き続けた。
もちろん一時間おきに矢除けの術をかけなおすことを忘れたりはしない。
夜が明けて、昼になり、また夜になってもその足を止めようとはしなかった。
このまま眠らずに歩き続けることはできない。
眠るべきだと思った。
だが眠るのが恐ろしかった。
もし少しでも寝過ごしてしまえば、その先には死が待っているのだ。
そして、眠るのと同じくらいに夜が恐ろしかった。
暗闇に紛れて賊が近付いてきているのではないかと怯え、何度も探知の術を使ってみた。
探知の術には何の反応も無かったが、恐怖は消えなかった。
あの炎の中で生き残ったように、何らかの方法で術を欺いているかもしれない。
眠ることもできないまま、アンドレアスは翌日の朝まで歩き続けた。
丸一日眠らずに歩き続けたが、やがて限界が訪れる。
気づけば、地面にうつ伏せに横たわっていた。
あまりの疲労と眠気のために歩いている途中で意識を失ってしまったようだ。
アンドレアスは慌てて飛び起き、自身に矢除けの術をかけなおした。
いったい、どれ程意識を失っていたのだろうか?
まだ生きているということは、一時間は経っていないということなのだろう。
やはり、眠らないわけにはいかなかった。
眠るなら昼間のほうがいい。
そうすれば、夜眠るよりも眠りが浅くなるような気がした。
そして何よりも、暗闇の中で無防備に眠りにつくのが恐ろしかった。
魔術で睡眠を抑制する事もできたが、まだその術を使うつもりはなかった。
その術の効果はせいぜい一日か二日が限度だ。
術は効果が切れると同時に、それまで抑制していた眠気が一度に襲ってくるという副作用があった。
今の状態でそんな術を使えば、効果が切れると同時に意識を失うことになるだろう。
そうなれば間違いなく彼は命を落とすことになる。
使うなら街の姿をその目で確認してからにしようと決めていた。
アンドレアスはその場で座ったまま眠りについた。
横になるよりは座ったままのほうが眠りが浅くなり、すぐに目を覚ませるような気がしたからだ。
アンドレアスは目を覚ました。
大丈夫だ、まだ生きている。
目覚めてすぐに彼は矢除けの術をかけなおした。
そしてもう一度目を閉じ眠りに入る。
そんなことを三度ほど繰り返した。
そして、まだ彼は生きていた。
眠りは浅く疲れはまだ残っていたが、体は随分と楽になっていた。
彼は立ち上がり、歩き始めた。
やがて日が沈み、あたりが暗くなっても彼は歩き続けた。
夜に眠るつもりはない。
寝るなら昼間のほうがいい。
そうして朝になっても彼は歩き続けた。
一体どれほど歩き続けたか?
疲労は蓄積し、もう何度も倒れてしまいそうになった。
何度も足がもつれ転倒した。
その度にもう起き上がらずにこのまま眠り込んでしまいたいという誘惑に襲われた。
だが、それは死を意味する。
あと何日歩き続ければ、街に辿り着けるのだろうか?
あとどれくらい耐え続ければ良いのか?
何度も意識を失いそうになりながら、アンドレアスは歩き続けた。
歩き続ける彼の目に、一本の木が見えてきた。
彼はその木の下まで吸い寄せられるように歩いていき、その根元に腰を下ろす。
日はまだ高い。
彼はここで少しだけ眠ることにした。
木の幹に背を預け、座ったまま眠る準備をする。
大丈夫だ。
自分はまだ生きている。
あと数ヶ月もすれば、強大な力を手に入れることができるのだ。
こんな場所で死ぬわけにはいかない。
少し眠ったら、また歩き始めなければならない。
歩き続ければ、いずれ街に辿り着く。
そうしたら、兵に身辺を警護させ数日ほど休息を取るとしよう。
そんなことを考えながら、アンドレアスは睡眠をとるために体から力を抜いて目を閉じた。
そうしてすぐに、彼の意識は眠りの中へと落ちていった。
数日後、一人の羊飼いの少年が羊の群れを追いながらやってきた。
彼は連れている牧羊犬と共に、はぐれる羊がいないか見守りつつ、羊達に草を食ませながら歩いていた。
そのうち、牧羊犬が少し離れた場所にある木の根元まで走って行って吠え始めた。
一体何をしているのかと思い犬に近づいていった少年は、犬が地面にある何かに向かって吠えていることに気づいた。
「何だ? 何かあるのか?」
一体何があるのかと、少年はその地面にある物を覗き込んだ。
「ひっ! 人じゃねえか、何だよこりゃあ!」
そこにはローブを着た男の死体が転がっていた。
その頭には二本の矢が突き立っている。
それを見れば、男が行き倒れて死んだわけではないのは明らかだった。
少年は恐れ、あたりを見回した。
この男を弓で射殺した相手がまだどこかに潜んでいるかも知れないからだ。
少年は震える手で杖を振り回しながら、羊を追い立て始める。
早くこの場所から離れなければならない。
今にも自分に向かって矢が放たれるのではないかと怯えながら、彼は必死で羊達を追い立てる。
羊飼いの少年は知る由もない。
死体となっていた男が強力な魔術師であったことを。
その男のせいで自らの国が酷い混乱に陥っているのだということを。
そして、男がほんの少し寝過ごしたという、たったそれだけの理由で命を落としてしまったのだということを。
少年は何も知らぬまま必死で羊達を追い立てながら、その場から逃げ出していった。




