帰途
魔術師アンドレアスは六人の弟子を引き連れ、アーデルラントの王都へと馬を歩ませていた。
わざわざ国境近くまで足を運んだというのに、結局彼の目的は達成出来なかった。
目的は王女シャルロッテの身柄の確保。
邪悪な存在をその身に降ろす依代として使うために、アンドレアスは彼女を欲していたのだ。
だが、もはやそれは叶いそうに無い。
シャルロッテは魔を降ろす依代としての適性が高かった。
あれ程の者はそうそう見つかることはないだろうが、まさか国境を越えて追いかけるわけにも行かないだろう。
国中を探せば、あれと同等の依代も見つかるかもしれない。
そう自分に言い聞かせ、彼は己を慰めていた。
前方の空を見上げ、これからのことに思いを馳せる。
数カ月後には大事な儀式を行わなければならない。
シャルロッテを手に入れることができていれば、儀式の遂行が少しは楽になっただろう。
だが、彼女がいなくとも儀式は遂行可能だ。
そして、儀式を無事終えたならアンドレアスは強大な力を手に入れることができるだろう。
それを考えれば、シャルロッテが手に入らなかったことなど、些細な事だ。
まだ残る未練を押し隠すように、アンドレアスは自分にそう言い聞かせていた。
王都への帰途についてから三日目のことだった。
朝目を覚ますと、彼らの馬が姿を消していた。
七頭いた全てがだ。
一体どこに行ったのか?
繋いでいた馬が全ていなくなるなどありえない。
一頭だけであれば、偶然つないでいた縄が外れ、逃げ出したのだと言われても納得ができただろう。
明らかに何者かの仕業によるものだった。
それもただの馬泥棒などではないだろう。
夜の間中、弟子達が交代で見張りをしていた。
それに気づかれることなく賊は馬を連れ去ったのだ。
探知の術を使ってみたが、術の捜索範囲内には馬も賊らしき者も見当たらなかった。
盗んだ馬を連れ、既に逃げ去ったということだろう。
仕方なく彼らは徒歩で王都へと向かうことになった。
屈強な人間の足であれば馬を使うよりも速い場合もある。
だが、彼らは魔術師でお世辞にも体力があるとは言い難い。
間違い無く道行きは遅れることになるだろう。
腹立たしかったが、感情的になったところで馬が戻ってくるわけではない。
彼らは諦め、自らの足で歩き始めた。
その日の昼頃のことだった。
一行は森の中にある細道を歩いていた。
先頭を歩いていたアンドレアスは突然どさりと何かが倒れるような音を聞いた。
何気なく音のした方向に目をやると、そこには倒れている弟子の姿が見えた。
一瞬、何が起きているのか理解できなかった。
周りの弟子たちも同じなのだろう。
皆言葉を発する事もなく倒れた弟子を眺めていた。
一体何をやっているのだと、弟子に対して小さな苛立ちを覚えながら声をかけようと近づいた。
そうして近づいて初めて、彼はおかしな事に気がついた。
……この棒はなんだ?
倒れた弟子の頭から細い棒が生えているのが見えた。
その棒の先端には鳥の羽のような飾りがついている。
数秒の間をおいて、彼の背筋を戦慄が走った。
弟子の頭に生えている棒が矢であることを認識したのと同時に、反射的に魔術の障壁を展開し、叫び声を上げる。
「敵だ!! 障壁の中に入れ!」
弟子たちがその声にビクリと身を震わせ、慌ててアンドレアスの展開した障壁の中に駆け込んでくる。
その直後、再度飛来した矢が障壁にあたり、跳ね返って地に落ちた。
探知の術を使ってみたが、術の捜索範囲内に敵らしきものは見当たらなかった。
術の効果範囲は距離にして三十歩程だ。
敵はそれ以上の距離から矢を放っているということなのだろう。
「師よ! これは?!」
弟子の呼びかけに応えず、アンドレアスは矢が飛来した方角を凝視する。
だがどれだけ注意して見ても、敵の姿を見つけることはできなかった。
「誰か、矢を放ってきた賊の姿を見たものはいるか?」
そう言って弟子たちを見回したが、皆一様に首を振るだけだった。
アンドレアスは賊がいるであろう方向に視線を向けたまま、考えを巡らせた。
敵が探知の術の有効範囲内に入ってくれば、どれほどうまく身を隠していても存在を感知することはできる。
相手はそれを知っているのだろう。
それ故に、敵にできるのは遠方から矢を射掛ける程度なのだと、アンドレアスはそう推測する。
そうやって考え込んでいたアンドレアスの前に、一人の弟子が胸を張りながら進み出てきた。
「大いなる我が師よ。どうか私にお任せください。賊を仕留めてまいりましょう」
アンドレアスは弟子を一瞥し、鼻を鳴らして答えた。
「やると言うなら止めはせぬが、お前の帰りを待つつもりはないぞ」
その言葉に、弟子は胸に手を当て頭を下げてみせた。
「もちろんでございます。私の事は気になさらず、お進みください。すぐに賊を仕留め追いついてみせましょう」
自信に満ちた表情で語る弟子を見て、アンドレアスは軽く頷いた。
「そうか、ならば任せよう」
「ありがとうございます。我が師よ」
「賊を仕留めたら、その首を私の下まで持って来い。我らに弓を引いた愚か者の顔を見てみたいのでな」
「仰せのままに。我が師よ」
弟子は自身に矢除けの術をかけてから、アンドレアスの張った障壁の外へと出て行き、矢の飛んできた方角へと歩いて行く。
アンドレアスと比べれば、弟子達の実力は大したものではない。
だが、それでも並の兵であれば一度に十人程度を相手にしても引けを取ることはないだろう。
さらにその弟子は剣の腕もなかなかのものだった。
賊は所詮、遠くから不意打ちで矢を射掛けることしか出来ぬような輩だ。
警戒さえしていれば、弟子がそのような輩に不覚を取るとも思えなかった。
アンドレアスは念のため、矢除けの術を自分自身に施し、弟子たちにも同様にさせた。
全員が処置を施すのを確認してから、アンドレアスは王都へと向かう歩みを再開した。
弟子を一人失ったのは痛かったが、死んでしまったものはもはやどうしようもない。
一人で賊を仕留めに行った弟子は、すぐに賊の首を持って帰って来るだろう。
それを眺めて多少なりと溜飲を下げるしかないだろう。
やがて一行は森を抜け、開けた草原に出た。
そのまま数時間ほど歩き続けた頃だった。
風を切るような音に続いて、何かが倒れるような音が聞こえてきた。
少しだけ嫌な予感を覚えながら音のした方向に目を向けると、そこには首筋を矢で貫かれた弟子の体が倒れていた。
アンドレアスは瞬時に魔術の障壁を展開する。
残った弟子たちもすぐにその障壁の中に入ってくる。
アンドレアスは矢の飛んできたであろう方角を凝視する。
そこは見晴らしのいい平原だ。
多少の草は生えているがそれ以外にはほとんど何もない。
にもかかわらず、賊の姿は見当たらない。
いったい、どのようにして身を隠しているのか見当もつかなかった。
だが、どこかに身をひそめているのだけは間違い無い。
そして、賊を仕留めに行った弟子も戻ってきていない。
彼はどうなったのか?
考えるまでもないだろう。
賊に返り討ちにされたに違いない。
つまり、ついさっき倒れた弟子を入れて三人の弟子を失ったことになる。
彼の心の中で激しい怒りの炎が渦巻いていた。
賊が何者なのかはわからない。
だが、姿を見せることすら出来ぬような臆病者なのだ。
そんな輩のせいで、彼が時間を費やして育てた弟子を三人も失うなどあってはならないことだ。
賊を自らの手で八つ裂きにしてやらねば気が済みそうに無い。
「少し集中する。邪魔をするなよ」
弟子たちにそう伝え、アンドレアスは杖を高く掲げて目を閉じた。
そして、魔術を発動するために精神を集中する。
彼が微動だにしなくなって一分程たった頃、空にいくつもの小さな光が瞬き始めた
片手で数えられる程であったその光は、徐々にその数を増し、一つ一つの大きさも大きくなっていった。
それは魔術によって生み出された火球だった。
距離ゆえにその火球の正確な大きさはわかりづらかったが、人の頭ほどはありそうだった。
それが空に無数に浮かんでいる。
それは徐々に数を増やし空一面を覆うほどになっていた。
アンドレアスは閉じていた目を見開き、前方に広がる平原を見つめた。
そして、高々と掲げていた杖を前方に向かって勢いよく振り下ろした
それと同時に空に浮かんでいた無数の炎の塊が草原に向かって落下を始めた。
その塊は次々と地面に激突、爆発し眼前の野原を火の海へと変えていった。
不意打ちしか出来ぬ、姿を現す勇気もない臆病者。
いかに身を隠していようとも、あたり一面を焼き払ってしまえば逃げることもできないだろう。
「おお! 素晴らしい! 大いなる我が師よ! 卑しいネズミがどれだけ小賢しく逃げ回ろうとも、これでは到底生きてはおれますまい」
「たとえ神や悪魔といえども、この炎のただ中にあっては無事では済まないでしょう!」
前方の平原を焼き尽くす炎を目にした弟子たちが興奮して口々に称賛の声を上げる。
それを聞きながら、アンドレアスは苦笑いを浮かべた。
彼は本物の悪魔を見たことがある。
弟子達も見たことがあるが、それに気づいてはいない
他ならぬ彼自身が多くの生贄を捧げて喚び出した。
その姿を思い出し身震いする。
今ならまだ自分の技も通用するかも知れないが、あれが真の力を取り戻したなら、きっと手も足も出ないだろう。
その悪魔は今、アーデルラント王を名乗っている。
かつてアーデルラント王であった者の精神を食い尽くし、その肉体を奪い王として振る舞っているのだ。
あれが完全に力を取り戻した暁には、アンドレアスも強大な力と永遠の命を与えられる約束になっていた。
アンドレアスは平原を焼き尽くす炎から目を離し、弟子たちに声をかけた。
「行くぞ。またいらぬ時間と労力を費やしてしまったわ」
そう口にしながら、アンドレアスは踵を返し歩き始めた。
あの炎の中で生きていられる人間などいるはずもない。
賊の死に顔を見てやりたかったが、そのために炎が消えるまで待ったりするつもりはなかった。
まだ収まりきらぬ怒りをその胸に抱えたまま、アンドレアスはその場を後にした。




