旅の終わり
シャルロッテとゾフィーが真十郎と別れて二日が経った。
その二日間の道程は平和に過ぎていった。
真十郎が食い止めてくれているのだろう、追手が彼女らに追いついてくることはなかった。
盗賊や獣の襲撃を受けることもなかった。
シャルロッテの容態もすっかりと良くなり、道中に笑顔で会話を交えることが出来るようになっていた。
国境はもう目の前だ。
今日中にたどり着く事ができるだろう。
シャルロッテはアーデルラントの王都のある方角、自分がやってきた方角へと目を向ける。
はぐれた騎士たちとは合流できなかったが、彼らは無事だろうか?
真十郎はまだ追手を食い止めているのだろうか?
そんなことを考えていたシャルロッテの目に、こちらへと向かってくる一騎の騎馬の姿が入ってきた。
それが何者なのか、距離が遠いせいでよくわからない。
もしかしたら真十郎かもしれない。
あるいははぐれた騎士が追いついてきたのだろうか?
敵では無い筈だ。
敵であれば、たった一人で追いついてきたりはしないだろう。
シャルロッテは前方に視線を戻して御者台に座るゾフィーに声をかける。
「ゾフィー、誰かが後ろから近付いてくるわ」
「人数はどの程度ですか?」
「一人みたい」
ゾフィーも後ろを振り返り、近付いてくる騎馬を観察する。
「遠目なのでよくわかりませんが、あれは真十郎殿ではないでしょうか?」
「もう少し近づけばわかるわね」
騎馬は徐々に距離を縮めて、馬車へと近付いてきていた。
やがて、騎手の姿もはっきりと見えるようになった。
馬にまたがっているのは濃緑色のローブを身に着けた黒髪の男だった。
「ゾフィー! あれは真十郎様よ!」
シャルロッテは弾む声で御者台に座るゾフィーに報告する。
「そうですか。無事だったのですね。良かった」
「そうね、本当に」
真十郎の操る馬が馬車に追い付くまで、それほど時間はかからなかった。
やがて追い付いてきた真十郎は、馬車の横に並んで速度を落として並走を始める。
シャルロッテは荷台の上で身を起こし、馬車の横を行く狩人に声をかけた。
「おかえりなさい」
シャルロッテの言葉に、真十郎は笑みを浮かべて答えた。
「気分はどうだ?」
「はい、もう大丈夫です。心配してくれているのですか?」
「ああ、もちろんだ。顔色も良くなったようだな」
ゾフィーも肩越しに後ろを振り返りながら、真十郎に声をかける。
「真十郎殿、無事で何よりだ」
「ああ、君たちもな。追手についても、もう心配はない。どうやら仲間割れをしていたらしい。もう追ってくることはないだろう」
「仲間割れ?」
「ああ、理由はわからんが俺たちにとっては運が良かった」
その後の時間は穏やかに進んでいった。
道行きは順調で障害になるようなことも起こったりはしなかった。
三人で会話を交わしながら、ただ街道を進んでゆく。
そんな道程を数時間ほど経た頃、遠方に巨大な建造物が見えてきた。
「見えてきたな。あれがオステンブルクの城壁だ」
真十郎のその言葉を聞いてシャルロッテは荷台から身を起こし、遠くに見える城壁に目を向けた。
「ああ、やっと……」
シャルロッテは故郷を離れるときに見た姉と兄の顔を思い出していた。
やっと辿り着くことが出来た。
自分は使命を果たすことができたのだ。
そして、やっとこの旅も終わるのだと思い、城壁を眺めて涙ぐむ。
「ここまで来れば、もう大丈夫だろう。俺はまだやることが残っているから、ここでお別れだ」
「やること? 一体何が……?」
ゾフィーの問いに真十郎はかすかな笑みを浮かべながら答えた。
「悪いが言えない。すまないが」
「いや、こちらこそすまない。余計なことを聞いてしまったな」
真十郎の返事を聞いて、ゾフィーは慌てたように謝罪の言葉を口にしていた。
真十郎は少しだけ笑みを深くして、シャルロッテとゾフィーに語りかける。
「さすがにもう何も起こらないとは思うが、気を抜かないように気をつけて行ってくれ」
そう言って真十郎は馬首をひるがえし、元来た道を戻って行こうとする。
「待って」
その真十郎をシャルロッテは呼び止めた。
まだ彼にきちんと礼を言っていない。
自分がどれだけ彼に感謝しているか、それをまだ彼に伝えていない。
「本当にありがとう。このご恩はいつか必ずお返しします」
その言葉に、真十郎は優しく微笑みながら小さく首を振ってみせた。
「何度も言ったが、俺はエルヴィンとカールに言われたことをやっただけだ。恩を返したいと言うなら、あの二人に返すといい」
「もちろん、お二人にもお礼はするつもりです。でもだからといってあなたに感謝しなくていいということにはならないと思います」
その言葉を聞いた真十郎は微かに困ったような、はにかんだような笑顔を見せた。
「俺は六年前にオステンブルク候に命を救われた。それがなければ、俺は今存在すらしていなかったはずだ。俺が君たちを助けることが出来たのは彼らが俺を救ってくれたおかげなんだ。だから、やはり礼は彼らに言ってくれ」
「あなたは変わった人だな」
真十郎の言葉を聞いたゾフィーが、そう言っておかしそうに笑う。
「私達に感謝されるのは迷惑だろうか?」
その言葉に真十郎は一瞬驚いたような表情になったが、それはすぐに苦笑へと変わった。
「まさか、そんな事は無い」
「ならば、私達の感謝を素直に受け取って欲しいな」
ゾフィーの言葉に、真十郎は笑顔のまま頷いてみせた。
「そうだな。ありがとう」
その言葉を聞いたシャルロッテはおかしくなってクスクスと笑い声を上げた。
「なぜ、あなたがお礼を言うのですか? 感謝しているのは私達なのに」
「おかしかったか?」
「はい、少しだけですけど」
三人はお互いに笑顔を浮かべ笑いあっていた。
変わった男だと、シャルロッテはそう思った。
真十郎は人に感謝されることにあまり慣れていないようにも見える。
あれほどの能力を持っているというのに、それを誇ることもない。
「あなたと過ごしたのはほんの数日でしたけど、一生あなたのことを忘れることはないでしょう」
そう口にしながら、シャルロッテは自分の発した言葉の拙さに歯がゆさを覚えていた。
今の自分の感謝の気持ちをもっとうまく伝えられたら良かったのに。
自分がどれほど彼に感謝しているか、これではまるで伝わらないではないか。
「俺はただの狩人だ。あなたのような貴人が覚えておくほど価値がある人間じゃない」
「いいえ、忘れろと言われても忘れることなど出来ません」
そういって、シャルロッテは真十郎に微笑んでみせた。
彼は追跡者を撃退し、自分達を何度も守ってくれた。
疲れ切っていたゾフィーを休ませ、彼自身はほとんど眠らずに夜の見張りをしてくれた。
何の役にも立てない自分の為に食料や薬草、最後には馬車まで用意してくれた。
この男はたった一人で、その全てをやってくれたのだ。
だがそれを、この狩人は大したことだとは思っていないのだろう。
本当に感謝される程の事をしたとは思っていないのではないだろうか。
「戻ってきたらまた会えるのでしょう?」
「どうだろうな。俺とあなたでは身分が違う。面会などそう簡単にはできないだろう」
「私の方から望めば大丈夫な筈です。戻ってから、もう一度きちんとお礼をさせて欲しいのです」
そこまで言って、シャルロッテはからかうように微笑んでみせた。
「それとも、もう私達には会いたくないですか?」
シャルロッテの言葉に真十郎は一瞬眉を上げ、そしてすぐに楽しげな笑みを浮かべた。
「そんな事は無い。そうだな……また会おう」
「はい。また必ず」
「本当にありがとう真十郎殿。私もあなたの事を生涯忘れることはないだろう」
二人の言葉に真十郎は穏やかな微笑みを返して、来た道を戻り始めた。
しばらくその後姿を見送ってから、ゾフィーも馬車を進ませ始める。
前方に見えるオステンブルクの城壁に向かって。
しばらく進んでから、シャルロッテは再び後方を振り返り、辿ってきた道を見た。
狩人はかなり遠いがまだ目の届く場所にいた。
「やることが残ってるって言っていたわね」
「はい。私達を守る以外にも、まだ何か任務が残っているのかもしれません」
シャルロッテはしばらく去りゆく狩人の姿を遠目に眺めていた。
もしあの狩人がいなかったなら、自分たちは今頃どうなっていただろうか?
「凄い人ね。本当に」
シャルロッテの言葉にゾフィーは前を向いたまま頷き、答える。
「ええ、本当に。最初は私達の救助に来たのが彼一人だけだということに怒りすら覚えていたのです。エルヴィン様は我らを見捨てるつもりなのではないかとさえ思いました」
「恥ずかしいけれど、私もよ。エルヴィン様の使いの方が来てくださったことは本当に嬉しかったのだけどね。心の中では、もう神聖帝国にたどり着くのは無理なんじゃないかって、ほとんど諦めかけていたの。たった一人増えたところで何が変わるのかって……もう二度とエルヴィン様にもお会いすることはないんだろうって、そんな風に思っていたの」
たった数日一緒に過ごしただけだった真十郎が、その数日でどれほどの献身を示してくれたかをシャルロッテは思い出していた。
「でも、そうはならなかった。あの人のおかげで」
「はい、彼がいなければ私達はとうに死んでしまっていたでしょう」
「さっきはうまく言葉が出てこなくて……私の心の中にある感謝の気持ちをほとんど伝えることが出来なかったわ。次に会うときには私がどれだけあの方に感謝しているのかをきちんと伝えなければ」
「言葉を飾らなくとも、彼にはきっと伝わっている気がしますよ」
「そうかしら? だとしても私が納得できていないの。もっときちんとした言葉で彼に感謝を伝えたい」
ゾフィーは御者席に座ったまま、肩越しに振り向いた。
その顔には、楽しげな笑みが浮かんでいる。
「エルヴィン様にもお会いしたらお礼を言わねばなりませんね」
「そうね。そして、勝手な思い込みで失望してしまっていたことをお詫びしなければ」
シャルロッテは遠くそびえ立つ城壁に目を向けた。
そして、もう一度来た道を振り返る。
彼女らをここまで送り届けてくれた狩人の姿は、既に見えなくなっていた。




