反逆
薄暗い洞窟の中で、シャルロッテは横たわったまま一人懊悩していた。
あれから何度も嘔吐を繰り返した。
真十郎が苦労して取ってきてくれたであろう食料を、身に蓄えることも出来ずに地に垂れ流して無駄にしてしまっている。
苦しさと、自身の不甲斐なさから来る悔しさで何度も涙を流した。
はぐれた騎士達はどうなっただろうか?
もう生きていないのではないだろうか?
今にも追手の騎士たちがやってきて自分を連れ去ってしまうのではないだろうか?
そんな悪い考えばかりが頭に浮かんでくる。
数か月前まで王宮で幸せに暮らしていた日々が、今は幻のように思えた。
「ねえ、ゾフィー……」
シャルロッテはすぐそばに座って自分を見守ってくれているゾフィーに声をかける。
「なんですか? シャルロッテ様」
「私達、無事に国を出られるかしら?」
泣きそうな表情で口にした問いかけに、ゾフィーは少し困ったような顔をしながらも、優しく微笑んでくれた。
「勿論です。大丈夫ですよ。弱気になってはいけません」
「みんな必死で頑張っているのに、私には何も出来ない。今も私のせいで先に進むことができなくなっているのよ」
ゾフィーはその顔に笑みを湛えたまま、小さく首を横に振る。
「体が弱っているせいで気持ちまで弱ってしまっているのです。大丈夫、きっとうまくいきます」
「本当にそう思う?」
「ええ、本当にそう思っていますよ」
ゾフィーの言うとおり、体が弱っているせいで心も弱くなっているのかもしれない。
どれだけ慰められても、不吉な考えは頭から離れてはくれなかった。
「ねえ、ゾフィー。もし、もう逃げられないと思ったら、私をあなたの手で殺して欲しいの」
そう訴えるシャルロッテの頭をゾフィーは優しく撫でてくれた。
「アンドレアスに捕まってしまったら私はどうなってしまうのかしら? きっと恐ろしい目にあわされるに決まっているわ。だから、お願い、ゾフィー。そうなる前に私を殺してほしいの」
ゾフィーはその顔に笑みを浮かべたまま、小さくため息をついた。
「承知しました、シャルロッテ様。もし逃亡を諦めざるを得ない状況になってしまったなら、おっしゃる通りに致します」
そう口にしたゾフィーの目には哀れみの色が浮かんでいるように見えた。
「ですが、私はそうはならないと思っていますよ。もうあれから二日も経つのに、追手は現れません。きっと真十郎殿が食い止めてくれているのです」
言いながら、ゾフィーは横たわっているシャルロッテの頭をずっと優しく撫で続けていた。
その優しい態度に、堪えきれなくなった涙が眼尻から溢れ出してくる。
「そうね。あの方にも本当に申し訳無いと思うわ」
真十郎とは、まだ会ってから十日も経っていない。
にもかかわらず、彼はもう何度もシャルロッテを救ってくれていた。
「真十郎殿を派遣してくださったのはエルヴィン様です。無事たどり着いてエルヴィン様にもお礼を言わなければなりませんね」
「そうね。生きてもう一度あの方にお会いしたい」
「大丈夫です。すぐにお会いできますよ」
そう言って、ゾフィーはシャルロッテの目から溢れる涙を指で拭った。
「さあ、シャルロッテ様、不吉なことばかり考えていては気が滅入ってしまいます。もっと楽しいことを考えましょう。エルヴィン様にお会いした時のことを考えてみては? これほど苦労しているのですから、無事たどり着いたら、うんと甘えさせてもらいましょう。きっとエルヴィン様も許してくださると思いますよ」
「そうかしら?」
「はい、きっと大丈夫です」
そのゾフィーの言葉にシャルロッテは笑みを浮かべて応えた。
それを見たゾフィーも嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。
そういえば、体調を崩して倒れてから一度も笑っていなかった気がする。
「ありがとう」
皆が自分のために身を削って尽くしてくれている。
自分に今できることは一刻も早く体調を元に戻すことなのだ。
「がんばって、体を元に戻すわ」
そう言って、シャルロッテは目をつむった。
「はい、ゆっくりお休みください」
相変らずゾフィーは優しく頭を撫でてくれていた。
真十郎は無事だろうか?
そんなことが頭に浮かんだが、すぐに考えるのをやめた。
心配などしてもしょうがない。
彼は自分なんか及びもつかない程に強いのだ。
ゾフィーの言っていたように、彼の言うとおりにして失敗したことなど無かった。
だからきっと今度もうまくいくのだろう。
そう考えると心が軽くなる。
そんなことを考えているうちに、シャルロッテの意識は深い眠りの中へと沈んでいった。
翌日の朝、ゾフィーは鳥のさえずりで目を覚ました。
真十郎がいなくなって三日になる。
一人で寝ずの番をするのも、もはや限界だったため昨晩は少し眠ったのだ。
傍らで眠っているシャルロッテの様子を見る。
特に異状は見当たらない。
もう熱も下がっているようだった。
呼吸も穏やかで苦しげな様子もない。
歩くのはまだきついかもしれないが、明日くらいには出発できるかもしれない。
そう思い、シャルロッテから目を離してあたりを見回す。
そして洞窟の中、二人から少し離れた場所に何者かがうずくまっていることに気づいた。
驚き、反射的に剣に手が伸びるが、すぐにその手を止め安堵のため息を漏らす。
そこには真十郎が目を閉じて俯き、一人座っていた。
「もッ……」
戻っていたのかと、ゾフィーはそう真十郎に声を掛けようとして、慌てて言葉を止めた。
眠っているなら起こしてはまずいと、そう思ったのだ。
だが真十郎は目を開き、逆にゾフィーに声を掛けた。
「王女の容態はどうだ?」
今ので起こしてしまったのだろうか?
ゾフィーは申し訳無さから、少し戸惑いながら答える。
「あ、ああ……あなたの集めてくれた薬草のおかげだろう、だいぶ良くなられたようだ。熱も下がっている。今は見ての通り、眠っておられる」
「そうか。馬車も用意できた。問題無いようなら、しばらくしたら出発しよう」
その言葉に、ゾフィーは驚き目を瞠る。
「馬車を? 一体どこから?」
「追手の野営地からだ」
真十郎は事も無げにそう答える。
ゾフィーは驚きのせいで、しばらく言葉が出てこなかった。
馬車が使えるのならばすぐにでも出発できるだろう。
しばらくして、シャルロッテが目を覚ました。
「おはようございます、シャルロッテ様。ご気分はいかがですか?」
シャルロッテは眠そうに目をこすりながらそれに答える。
「うん……もうだいぶ楽になったわ」
そう言って顔を上げたシャルロッテは、ゾフィーの後ろにいる真十郎の姿を見つけて笑顔を浮かべた。
そして弾んだ声で彼に呼びかける。
「真十郎様? お帰りになっていたのですね!」
「ああ、体調も良くなっているようで何よりだ」
「シャルロッテ様。真十郎殿が馬車を用意してくれたようです。しばらくしたら出発したいのですが大丈夫ですか?」
「馬車を?! 本当に? スゴイ!」
「はい、ですので食事を終えたら出発したいと思っています」
「もちろん、大丈夫よ。真十郎様、本当にありがとうございます!」
シャルロッテの感謝の言葉を受けて真十郎は少し申し訳なさそうな表情で苦笑を浮かべた。
「馬車といっても人を乗せるためのものでは無い。乗り心地は悪いと思うが、我慢してくれ」
「大丈夫です。真十郎様が用意してくれた物ですもの、きっと乗り心地もいいはずです!」
そう言って笑顔を浮かべるシャルロッテの言葉に、真十郎はその笑みを深くする。
ゾフィーもそれを見て笑みを浮かべていた。
真十郎が無事戻ってきてくれたおかげで、シャルロッテも元気を出してくれたようだった。
そうして、三人は簡単に食事を終えると洞窟を後にして街道へと向かった。
馬車は街道の脇に停めてあった。
すぐそばに三頭の馬がつながれている。
馬車は荷を運ぶための簡素なもので幌も無い。
真十郎の言葉通り、乗り心地はあまり良くなさそうだが、この状況では贅沢など言っていられない
馬車の荷台には、ある程度の食料と馬の飼料となる干し草も積まれていた。
干し草は道中、王女のベッド代わりにもなるだろう。
これだけあれば国境まで問題なくたどり着けるはずだった。
追手に追いつかれさえしなければだが。
ゾフィーはシャルロッテを荷台に寝かせて、自分は御者席に座って手綱を握る。
「君たちは先に進め。俺は追手を可能な限り食い止める」
真十郎が残ったもう一頭の馬を引っ張りながらそう声をかけてきた。
「一緒に行かないのですか?」
馬車の荷台に横たわっていたシャルロッテが上半身を起こして疑問の声を上げる。
「ああ。馬車を使うのであれば街道上を行く事になる。だが、街道上で追手を撃退するのは困難だ。俺は戻ってできる限り追手の足を鈍らせる。君たちは先に進んでくれ」
そう言って、真十郎は残った馬の背にまたがり馬首を巡らせる。
「あと少しで国境にたどり着ける。気をつけて行ってくれ」
「了解した。ありがとう、真十郎殿」
「真十郎様も、どうかご無事で」
真十郎は二人の言葉に穏やかな笑みを浮かべて応え、馬車が向かおうとしているのとは反対の方向へと駆けていった。
その日の夜、魔術師アンドレアスは天幕の中で弟子達と共に過ごしていた。
そろそろ寝ようかと考えていた時、弟子のうちの一人が不快気に鼻を鳴らしながら師であるアンドレアスに語りかけた。
「師よ、我らの天幕を騎士共が包囲しているようです」
そう言われて、アンドレアスは探知の術を使用してみる。
確かに天幕を囲むように騎士たちが立っているのが分かった。
「ふむ、確かに連中がこの天幕を囲んでいるようだが……なんのつもりかわかるか」
「まさかとは思いますが、我らに盾突こうなどと考えているのやもしれませぬ」
弟子の言葉に、アンドレアスは不快気に鼻を鳴らす。
「愚か者どもの考えなど推測するだけ無駄かもしれんな。直接問いただしてみるとしようか」
そう言ってアンドレアスは天幕の外へと歩いて出て行った。
六人の弟子たちもその後に続く。
外では完全武装した騎士たちが、天幕を囲むようにして立っていた。
アンドレアスは騎士たちの先頭に立つアインスに向かって不快気に語りかける。
「さて、隊長。これは何のつもりかね? 随分と殺気立っているようだが、まさかこの私に盾突こうなどと思っているのではあるまいな?」
アインスはアンドレアスの言葉には応えず、黙って剣を抜く。
それに続くように天幕の周りを囲む騎士たちも剣を抜いていった。
「愚か者共が。己の力量をわきまえることすら出来んのか?」
騎士の数は四十人程だった。
おそらく残りは逃げ出したのだろう。
逃げ出した連中は今目の前にいる愚か者共よりは賢かったということだ。
「魔術師アンドレアス! 我らが王を誑かす奸臣め! 我が王への忠誠と守るべき民のため、今ここで貴様を成敗する!」
アインスがよく通る声で高々と声を張り上げる。
「忠誠だと? 私は陛下に貴様らの指揮を任せられたのだ。それに歯向かうということは陛下に歯向かうということだ。それは理解できているのだろうな」
「諾々と命に従うのは真の忠臣たる者のすることでは無い。ときには主君の過ちを諌めることも臣たる者の責務である。罪と言うならば、貴様の如き邪悪の徒を今まで野放しにしてきた事こそが我らの犯した最たる罪。せめて貴様を打ち倒し、足りぬまでもその罪の贖いとせん!」
騎士たちを率いるアインスの口上を聞き、アンドレアスは不快げに顔を歪めながら、嘲るように騎士たちを鼻で笑う。
「自殺志願者の幇助をしてやれるほど暇ではないのだがな。まあ良い、死なねば治らぬほどの愚か者はさっさと殺してしまったほうが、この国のためにもなるだろう」
そう言って、アンドレアスはその手に持った杖を振り上げた。
同時にアインスが雄叫びを上げ、剣を高々と掲げる。
後ろに従う騎士たちも口々に雄叫びを上げて魔術師達に向かって殺到してゆく。
凄まじい怒号と金属がぶつかり合う音、そして何かが爆発するような音があたりに響き渡る。
それからおよそ半刻後。
アンドレアスの眼前には四十余の騎士の屍が転がっていた。
屍の状態は様々だった。
鋭い刃のようなもので切り裂かれたもの、炎に焼かれたもの、巨大な質量に押しつぶされた者。
その屍の山の前に立つアンドレアスとその弟子たちに疲労の色は見えるが、傷は一つも無い。
「役立たず共め……こんな場所までわざわざ足を運んだというのに……」
そう呟くアンドレアスの言葉に弟子が追従する。
「全くです。この愚か者共の無能さと言ったら……所詮、騎士などというものは体力しか取り柄の無い野蛮人共だということでしょう。まさかこれほど役に立たないとは思いませんでした」
「しかも我らに刃向かうとは。己の力量すら弁えられぬ、獣以下の知能しか持ち合わせていなかったのでしょう」
積み上がった騎士たちの屍の前で、アンドレアスの弟子たちはあざ笑う。
「無駄な時間と労力を費やしてしまった。もはやここにいても意味はあるまい。王都に帰るとしよう」
アンドレアスが発した言葉に、弟子の一人が意外そうな表情で質問を投げかける。
「王女はよろしいのですか? 追いつく可能性も無くなったわけではありませんが」
「惜しくはあるがな……やめておこう。これ以上国境に近づくのは危険も伴う。探せばあれの代わりも見つかるかもしれんしな」
「しかし、あれ程の適性を持つ者はなかなか……」
「国中探せば、幾人かはあれに近い者もいるだろう」
自分を慰めるようにアンドレアスはそう呟く。
その姿を見た弟子は、それ以上師に問いを投げかけようとはしなかった。
時間はまだ夜半を過ぎたところだった。
騎士達の襲撃を受けたせいで魔術師達はろくに休めていない。
さらに戦闘で相当な力を消費してしまっている。
「バカ共のせいで余計な力を使いすぎたな。明日は一日休み、出発するのは明後日にしよう」
「仰せのままに、我が師よ」
彼らの周りには屍が積みあがっている。
並みの精神の持ち主であれば悪夢にうなされそうな状況の中で、魔術師たちは休息を取り始めた。
結局彼らは丸一日そこで休息した後に、王都へと向けて出発した。




