たった一人の援軍
アーデルラント王国の南部、神聖帝国との国境につながる街道から少し離れた森の中を、南に向かって移動する二人の人物があった。
前を歩くのは甲冑を身に着けた女騎士であり、その後ろを華奢な少女がついていく。
女騎士の力強い足取りに比べて、後ろを歩く少女の足取りはおぼつかない。
事あるごとに地面の凹凸や木切れなどに躓いて転びそうになっていた。
そうやって遅れそうになる少女を気遣うように女騎士は度々後ろを振り返りながら歩いている。
「大丈夫ですか? シャルロッテ様」
「ええ、大丈夫。ごめんなさい、ゾフィー」
シャルロッテと呼ばれた少女はそう言って笑みを浮かべたが、その表情には隠しきれない疲労の色が浮かんでいた。
彼女らが王都を出てから既に十日が経っていた。
最初は二十人ほどいた護衛の騎士達も、今は一人だけになってしまっている。
王都を出てからここまでの間に追手に追いつかれそうになり、敵を撹乱するために皆散り散りになって逃げたのだ。
そのときにシャルロッテに帯同してきた騎士は六人いたが、ゾフィー以外はもういなくなってしまっている。
皆シャルロッテを逃がすために戦い、命を落としていた。
死んだ五人の騎士たちは皆、奇妙な影のような相手に倒されていた。
その姿はまるで陽炎のように、ただ空気が揺らいでいるように見えた。
近づいて良く見れば、何かがそこにあるのはわかるのだ。
だが、一度距離が離れてしまうと発見するのは至難の業だった。
夜になればそれはさらに見えづらくなってしまう。
そんな視認しづらい敵に襲われ、五人の騎士は倒されてしまった。
反撃して相手にも傷を負わせることが出来たせいか、昨日から襲撃にはあっていないが、それほど深い傷を負わせたわけではない。
すぐにまた襲いかかってくるだろう。
「急ぎましょう。またあの敵がやってきます」
ゾフィーのその言葉を聞いたシャルロッテの表情に僅かに怯えの色が浮かんだ。
「やっぱりあの、陽炎のような敵はアンドレアスの手の者なの?」
「おそらくは、魔術による幻影の類いだと思われます。アンドレアスによるものでしょう」
「やっぱり、あの魔術師が来ているの? 私を捕まえに……」
そう口にしたシャルロッテは己の体を抱き、おぞましいものを思い出したかのように身を震わせた。
「大丈夫です。神聖帝国にたどり着きさえすれば、あの魔術師も手は出せません」
そう言って安心させるようにゾフィーは優しく微笑んで見せた。
「歩けますか? 敵に追いつかれてしまう前になんとしても神聖帝国領にたどり着きましょう」
「そうね。早くエルヴィン様にもお会いしたいもの」
そう言ってシャルロッテも笑みを浮かべて見せた。
気丈に振舞ってはいるが実際には相当辛いはずだ。
ゾフィーはそれを痛ましく思っていた。
馬が無事であればもう少し何とかなったかもしれない。
だが、最初に追手を引き離すために全力で走ったせいで、馬も既に乗り潰してしまっていた。
「やっぱりすごいのね、騎士って」
「そうでしょうか?」
「ええ、私がもっと強ければ……戦う事は出来ないにしても、せめてあなた達と同じくらいに歩ける程度の体力をつけておくべきだった。そうすればここまで足手まといにはならなかったのに……」
ゾフィーはその顔に苦笑を浮かべ、シャルロッテを慰めるための言葉を探した。
「それは仕方がありません。シャルロッテ様は王族でありそのように生まれついたのですから。ご自身を責める必要などありません」
「責めるなと言われても、無理だわ、そんなの……私を守るためにもう何人も死んでしまっているのよ」
「確かにそうかもしれませんが……シャルロッテ様がそのような方だからこそ、我々は命を掛けて戦う事ができるのです。死んでいった者たちも、誰一人としてシャルロッテ様を責めるようなものはいなかったはずです」
ゾフィーの言葉をどう思ったのか、シャルロッテはその顔に今にも泣きそうな表情を浮かべていた。
「別れて逃げたみんなは無事かしら?」
「ええ、きっと大丈夫です。皆腕の立つ騎士ばかりですから」
そう言って、ゾフィーは励ますようにシャルロッテに微笑みかける。
シャルロッテもそれに答えるように、少しぎこちない笑みを浮かべていた。
その後、二人は口を開くことも無く黙々と歩き続けた。
聞こえてくるのは鳥のさえずりと虫の鳴き声、そして彼女らが土を踏みしめながら歩く足音だけになっていた。
「シャルロッテ王女」
突然、何者かが彼女らの後ろから声をかけてきた。
二人が驚き振り返ると、そこには濃緑色のローブを身に付け、弓を背負った一人の男が立っていた。
いつからそこにいたのか、二人共に呼び止められるまで何の気配も感じ取ることが出来ていなかった。
ゾフィーがシャルロッテに駆け寄り、かばうように前に出る。
シャルロッテをその背に庇いながら、ゾフィーが低い声で男に誰何する。
「何者だ!?」
ゾフィーの呼びかけに、男は顔を覆っていたフードを降ろした。
その下から出てきた顔は遠い異国の人間のように見えた。
黒髪に黒い瞳。
その表情は穏やかで、そこから敵意を感じ取ることは出来なかった。
男は落ち着いた様子で、ゾフィーの殺気立った様子に動じる気配もない。
「驚かせてしまったなら済まない。俺はある人物に頼まれてアーデルラントのシャルロッテ王女という人物を探している。あなた方がそうではないかと思ったので声をかけた」
その男の言葉に、二人はお互いに顔を見合わせた。
これはなんと答えるべきなのか?
馬鹿正直にはい、そうですなどと答えるわけにもいかないだろう。
二人は、しばらく顔を見合わせたまま黙っていたが、やがてゾフィーが口を開いた。
「悪いがそのような人物は知らない。見かけてもいない」
そのゾフィーの答えに、男は一瞬目を細めてから口を開いた。
「そうか」
そういって男は目をそらし、数瞬の間何かを考えるように沈黙した後、再び口を開いた。
「皇宮の庭に水晶のように透き通った花びらを持つ、虹色の花が咲いたのだそうだ。その花は数年に一度しか咲かないらしい。王女はその花をいたく気に入っていたからきっと喜ぶだろうと、俺の依頼主はそう言っていた」
「ゾフィー!」
シャルロッテは驚きに目を見開き、上ずった声で女騎士の名を呼んだ。
「その言葉はどなたがおっしゃったのですか?」
そう問いかけるシャルロッテの唇はわずかに震えていた。
「俺の依頼主で、エルヴィンという名の人物だ」
その言葉を聞いたシャルロッテが、そのまま前に出て無防備に男に近付こうとするのをゾフィーは引き止めた。
「いけません!」
「大丈夫よ、ゾフィー。あの方は味方だわ」
安心しきった顔でそう口にし、男に駆け寄ろうとするシャルロッテを制しながら、ゾフィーは男に問いかけた。
「あなたがその方からの使いであるという証拠は何かあるか?」
「手紙を預かってきている」
そういって男は封筒を取り出し、それを差し出そうと前に出る。
「待て! 近寄らず、足元にその手紙を置いて後ろに下がれ!」
ゾフィーのその言葉に、男は小さくうなずいた。
そして、手紙を足元に置き数歩後ろに下がる。
地面に置かれた手紙を、ゾフィーは男に視線を向けたまま拾い上げる
拾い上げた手紙の封蝋には紋は入っていなかった。
「シャルロッテ様」
ゾフィーの手渡す手紙を受け取り、シャルロッテは封を開ける。
そして、その手紙を食い入るように読み始めた。
しばらくして手紙を読み終えたのだろう、シャルロッテが顔を上げた。
「この筆跡は間違いなくエルヴィン様のものだわ。大丈夫よゾフィー、あなたも読んでみて」
そう言って、ゾフィーに手紙を手渡すシャルロッテの声は心無しか弾んでいるように思えた。
手渡された手紙をゾフィーは読んでみる。
エルヴィンの筆跡かどうかはゾフィーにはわからない。
だが、シャルロッテがそうだというならそうなのだろう。
手紙にはアーデルラント側に気づかれないために大勢の兵を送ることはできないと書かれてあった。
そして送るのはたった一人だけだが、その男は一人でも万の軍勢に勝る能力を持った男なのだと書かれている。
ゾフィーは少し離れた場所に立つ男を観察してみた。
その体つきと立ち姿を見れば、ある程度鍛えているのだろうということは見て取れた。
だとしても、万の軍勢にも勝るというのはさすがに信じられなかった。
シャルロッテを安心させるために書いたのかもしれないが、いくら何でも誇張しすぎだと、ゾフィーは思う。
これでは逆に不安になってしまうというものだ。
そして何より……
「すまないが、来てくれたのはあなた一人だけなのか?」
ゾフィーはその心の内にある失望を隠すこともなく、そう口にしていた。
「ああ、他に仲間はいない。俺一人だ」
「ゾフィー、エルヴィン様の手紙にも書いてあるでしょう? 我が国に人員を送り込んだことを秘密にしなければならないのだと。その為に大勢の兵を送ることは出来ないって」
「だとしてもたった一人というのはあまりにも……」
「ゾフィー!」
シャルロッテが咎めるようにゾフィーの名を呼ぶ。
目の前の男が悪いわけではないのはゾフィーにもわかっていた。
わざわざ命の危険を犯して自分達を助けるために来てくれたのだ。
今のゾフィーの態度は、そんな相手を目の前にして取っていい態度ではない。
だが、その思いを抑えられない程に彼女は失望し、落胆していた。
「申し訳ありません、シャルロッテ様」
「私ではなく、この方に謝罪するべきだわ」
「はい、ああ……」
謝罪しようとして、まだ男の名を聞いていなかったことに気づく。
「私はゾフィー。あなたの名前を教えていただけるだろうか?」
男は先程までのゾフィーの態度を気にしている様子はなかった。
特に表情を変えることもなく、名を名乗る。
「俺は真十郎。あなた方を助け、無事神聖帝国領内に連れてくるように言われている」
「そうか、真十郎殿。失礼な態度を取って申し訳なかった」
「いや、気にしなくていい」
シャルロッテがゾフィーの隣に立ち、笑みを浮かべて見せた。
「私がこの国の第二王女シャルロッテです。よろしくお願いします」
「ああ、こちらこそよろしく」
真十郎もまた、それに小さな笑みを浮かべて答えた。
そして少し周りを見回してから、二人に向かって質問を投げてきた。
「少し状況を確認させて貰いたい。君たちは二人だけなのか? 王女には二十人の護衛がついていると聞いたんだが」
その真十郎の問いかけに、ゾフィーの表情が険しいものになる。
「他にもいるが、皆敵を撹乱するためにバラバラになって逃げている。捕らえられたり、倒れた者もいるだろうが、全員がそうなったとは考え難い。生き残った者は可能な限り合流することになっている」
「そうか……悪いができるだけ急ぎたい。はぐれた仲間が合流するのを待つ余裕は無い」
「ああ、わかっている。仲間を待つ必要は無い」
ゾフィーに対して真十郎は頷きを返して、言葉を続ける。
「追手の数はどれくらいかわかるか?」
「おそらくは騎士が七十程だと思う」
「そうか、どれくらいの距離まで近づいている?」
「すまないがわからない。ここまで逃げてくるので精一杯だった」
ゾフィーはそこで一瞬言葉を止め、真十郎を見た。
「だが、騎士たちとは別に何かが追いかけてきている」
「何か?」
「おそらくなんらかの魔術によるものだろう。姿を消した追手に仲間が何人もやられている」
「姿を消した? 魔術で姿を消しているということか?」
「ああ、まるで陽炎のように空気が揺らいでいるようにしか見えないんだ。それが襲ってくる」
それを聞いた真十郎は何かを考え込むかのように視線をそらした。
「陽炎……おぼろげには見えるということか?」
「ああ、そうだ。気をつけてくれ」
ゾフィーの忠告に頷き、真十郎は神聖帝国との国境がある南の方角に目を向けた。
「足止めしてすまなかった。出発しよう」
「ああ、そうしよう。シャルロッテ様、大丈夫でしょうか?」
「ええ、大丈夫よ。行きましょう」
そうして三人は再び森の中を南へ向かって歩き始めた。
それから彼らは二時間ほど森の中を歩き続けた。
三人ともが無駄に口を開いたりせず黙って歩き続けている。
その沈黙の中、真十郎が口を開いた。
最後尾を歩く真十郎は先頭を歩くゾフィーに向かって声をかける。
「立ち止まらずに聞いてくれ、ゾフィー」
「何だ?」
突然の真十郎の言葉にゾフィーは言われたとおり歩きながら、ほんの少しだけ視線を後ろに向け返事を返した。
「何かが後ろをついてきている。君はいつでも王女を庇えるようにしておいてくれ」
その真十郎の言葉にゾフィーの表情が険しいものに変わる。
シャルロッテも一瞬足を止め、その顔に不安げな表情を浮かべていた。
「わかった。どうするつもりだ?」
「君は王女を守ることに専念してくれ。追手の相手は俺がやる」
「大丈夫なのか?」
「ああ、問題無い」
三人は再び口を噤み、そのまま何事も無いかのように装い歩き始めた。




