予期せぬ来訪者
オステンブルク城内の廊下を、カールは考え事をしながら歩いていた。
ふと立ち止まり、窓から差し込む朝の柔らかな日差しを浴びながら外を眺めてみる。
城内の草に付いた朝露が日の光を反射してキラキラと輝いていた。
辺りは静かで、僅かに風の音が聞こえてくる程度だ。
穏やかな朝だった。
こんな朝はゆっくりと静けさを楽しみたかったが、どうやらそうはいきそうにない。
これから騒がしくなりそうな予感がしていた。
今、彼は客室へと向かっている途中だった。
朝食を終え自室でくつろいでいたところに、召使いが彼を呼びにやってきた。
来客があり、父がその客と大事な話をしているからそれにカールも参加するようにとのことだった。
来客は何者なのか尋ねたが、教えてはもらえなかった。
一体どういう事なのかと尋ねると、その客人に黙っているようにと言われたのだそうだ。
まあ、会えばわかるだろうとカールは思い直し、こうして客室に向かっている。
そんなことを考えながら歩いているうちに、目当ての客室の前にたどり着いていた。
「失礼します。父上」
声をかけ、ドアを開けて部屋の中に入る。
室内には長方形の机に二人の男が向かい合って座っていた。
一人は父でありこのオステンブルクを治める領主であるヘルマンだ。
ヘルマンは困ったような顔でカールを見ながら苦笑いを浮かべている。
カールは父の向かいに座るもう一人の男に目を向けた。
男は美しい銀色の髪を肩に届かない程度の長さまで伸ばしていた。
少しうつむいて座っていたため、その目は隠れて見えなかったが、その口元に笑みが浮かんでいるのが見えた。
男が顔を上げ、カールと目があった。
その男の顔を見て、カールは驚きで言葉を失ってしまった。
「なっ!?」
「やあ、カール。久しぶりだね」
銀色の髪に藍色の瞳の少年。
それは彼も良く知る人物だった。
そして、こんな辺境にいるはずの無い人物でもあった。
「殿下!? 何故このような場所に?」
そこに座っていたのは神聖帝国の皇帝の子であり、皇位継承権第一位の男であった。
エルヴィン皇太子殿下。
周囲の者たちに、その少年はそう呼ばれている。
カールが驚きの声を上げるのを愉快げに眺めながら、エルヴィンはカールに声を掛けてきた。
「ずいぶんと他人行儀だね、カール。君を友人だと思っていたのは、もしかして僕だけだったんだろうか?」
エルヴィンは大仰に肩をすくめながら、芝居がかった態度でそう言って意地悪く笑ってみせた。
カールは言葉を失ったままエルヴィンの顔を見つめていたが、やがて落ち着きを取り戻し、大きく一つため息を付いてから口を開いた。
「久しぶりだな、エルヴィン。しかし、どうしてこんなところにいるんだ?」
「まあ、ちょっと色々あってね」
「色々ね……」
「まあ、座れ。殿下がいらっしゃった理由をお聞きしようじゃないか。殿下、もう一度先程の話をしていただいてもよろしいでしょうか?」
二人の様子を苦笑しながら眺めていたヘルマンがカールを手招きする。
カールはヘルマンの隣の椅子に腰を下ろして、エルヴィンと正面から向き合った。
エルヴィンはおかしくて仕方ないと言った表情をその顔に浮かべている。
昔からイタズラ好きだったが、どうやらそれは変わっていないらしい。
「いつまで笑っている?」
「いいじゃないか。友人に久しぶりに会えた感動を噛み締めているんだ」
「俺を呼びに来た者に客は誰なのか聞いても答えなかったからな。何かおかしいとは思っていたんだ」
「いやあ、驚いてもらえたかい?」
「ああ、驚いたとも。で? そんなイタズラをするためにわざわざ皇都からやってきたわけじゃないんだろう?」
そのカールの言葉を聞いたエルヴィンの表情から、それまで浮かべていた楽し気な笑みが消える。
エルヴィンは大きく一つ息を吐いてから、真面目な表情で語り始めた。
「アーデルラントの王がおかしくなってしまったって話は知ってるよね?」
「それは知っているが、お前がわざわざやってきたことと関係があるのか?」
「もちろん、関係あるとも。先日、アーデルラントから連絡が来たんだ。王族を一人亡命させて欲しいってね」
「王族を? こちらにはそんな連絡は入っていないが……父上はご存知でしたか?」
そう言って、カールはヘルマンに視線を向ける。
ヘルマンは首を横に振ってみせた。
「いや、私も知らなかった。魔術を利用した通信で連絡があったのだそうだ」
アーデルラントと国境を接するのはこのオステンブルクだ。
そういった情報は皇都に届く前に、このオステンブルクに届くはずだったが、魔術による通信を利用したのなら納得がいく。
「クラウディア王女から皇都に直接通信が来たんだ。ゲオルグ王の目を盗んで通信してきたらしい」
国家間で行うような長距離通信を行うには大掛かりな設備と膨大な魔力が必要だった。
そのような施設がある場所は限られている。
オステンブルクにもそのような施設は備えられていたが、皇都の設備ほど大規模ではなかった。
「亡命するのは一人と言っていたな……ということは、相手はシャルロッテ王女か?」
「へえ、よくわかったね」
そう言って、エルヴィンは少し驚いたように目を見開く。
「一人だけということなら、お前の許嫁である彼女の可能性が最も高いと、そう思っただけだ」
オステンブルクではなく皇都に向けて通信を送ったのはそれもあるのだろうと、カールは考えた。
亡命者と強い関係を持ち、さらにより周囲への影響力が強い人物に助けを求めたのだ。
「そうか……そうだね。君の言う通り、相手はシャルロッテ王女だ」
そう言ってエルヴィンは小さくため息を付いた。
その顔からはイタズラ好きな、おどけたような表情は消えていた。
「自力で国境まで逃げてきてくれれば何も問題ないんだけどね。追手がかかるのは間違い無いそうだから、そう簡単には行かないだろう。で、救援のために兵を送りたいんだ。彼女はあまり荒事や謀略なんかには耐性が無い。悪く言えば過保護に育てられてきている。追手に追われながらの逃避行は彼女にはきついと思うんだよね」
「お前がそう思いこんでいるだけなんじゃないのか? 女というのはしたたかなものだ。ましてや王族ともなればなおさらだ」
カールの言葉にエルヴィンは苦笑しながら首を振る。
「彼女は週に一度必ず手紙を送ってきてね。なんと言うか、以前は本当に普通の女の子みたいなことばかり書いてあったんだ。僕からの贈り物を毎日眺めて過ごしてるとか、僕のもとに嫁いでくる日が待ち遠しいとかね。でも今はその手紙の内容からは、彼女の不安や恐れといった感情しか読み取れなくなってしまった」
エルヴィンは深刻な表情をその顔に浮かべながら、許嫁との手紙のやり取りを語る。
「まさか、彼女が心配でわざわざここまで出向いてきたのか?」
「まあ、それも理由の一つではあるね」
その言葉を聞いて、カールは笑みを浮かべた。
そのカールの笑みを見たエルヴィンも釣られたように笑みを浮かべる。
「おかしいかい?」
「いや、おかしくなど無いさ。シャルロッテ王女が聞いたらきっと喜ぶだろう」
「ホントにそう思ってる?」
「思っているさ。それに理由はそれ一つでは無いのだろう? さすがにそんな私情のみで皇太子が皇都を離れられるとは思わない」
「まあ、そうなんだけどね」
そう言ってエルヴィンは少し恥じているかのように苦笑した。
その行動は皇太子の行動として見た場合、あまり好ましいものではないかもしれない。
だが騎士として見た場合、女性への献身は美徳とされる。
そしてカールは、そういった行動を取る人間が嫌いではなかった。
「とにかくシャルロッテ王女はこのオステンブルクに向かっている。自力で何事もなく無事たどり着くかもしれないけどね。ただ待つだけではなく、こちらからも何か手助けをしたいんだ」
そこまでの話を聞いて、カールは考え込む。
王女を救うといってもそう簡単に事が運ぶとは思えなかった。
「助けると言っても簡単な話ではないぞ。友邦国とはいえ、他国の領土に許可なく兵を差し向けたりはできん。適当な理由をつけて兵を送ろうとしても、今の状況では拒否されるだけだろう」
「まあ、そうだろうね。以前ならば強引に兵を推し進めても、後からどうとでも出来ただろうけど……今のアーデルラントの状況ではそのまま戦争が始まりかねない」
「このままいけば、近いうちにそうなりそうな気はするがな……まあ、だとしてもおおっぴらに兵を派遣するのはうまいやり方ではないだろう。助けを送るとしても少人数を潜入させることしか出来ないんじゃないか?」
「そうだね。それに加えて潜入者は決して捕らえられたりしてはならない。万が一捕らえられたとしても、僕らは一切の関与を否定することになる」
「まあ、そうなるだろうな……だとすると騎士を送るのは難しいな。送るなら我が国とは無関係であるかのように偽装する必要がある。冒険者を雇うという手もあるが……捕らえられた場合に冒険者が命を賭してまで秘密を守るとは思えんな」
カールはそうやって少し考えた後に、エルヴィンに質問を投げかける。
「皇都にはそういった人材はいないのか?」
「難しいね。護衛のための戦闘能力と身を隠すための能力を併せ持った人材は見つからなかった。護衛なら近衛騎士を、潜伏なら諜報員を使えばいいんだけど、その両方ってなるとね」
「それらを集めて部隊を編成すればいいんじゃないのか?」
「皇都でそう提案してみたんだけどね。彼らはお互い仲が悪くてさ。まあ、あんな調子じゃ無理矢理組ませても、お互い足を引っ張り合うだけだろうと思って諦めたんだ」
何かを思い出したかのようにエルヴィンが顔を上げて問いかけてきた。
「そういえば、君はあの国の王子と仲が良かったよね? 確か……」
「ヴァルターの事を言っているならそうだ。だが、あいつもアーデルラント王と同様に別人のようになってしまっているらしい」
「そうか……彼らがおかしくなった原因はもう掴んでいるのかい?」
「なんだ? 皇都に隠し事などしていないぞ?」
「別にそんなことは疑ってないよ。何か新しい情報でもあるかと思っただけだって」
「特に新しい情報は無いな。王たちがおかしくなった原因もまだわからん。だが、どうやらアンドレアスという魔術師が関連しているのは間違いないようだ」
「魔術師ね……」
魔術は強力だが並みの魔術師であれば、それほど脅威とはならないだろう。
すぐに魔力が枯渇し、魔術を行使できなくなるからだ。
だが、強力な者になれば単身で一部隊を殲滅できるような者もいる。
情報によればアンドレアスの力はかなり強力なものであるらしい。
厄介な存在であることは間違いなかった。
「まあ、とにかく目立つ訳にはいかない。少数の兵を秘密裏に侵入させて王女を救出したいと思っている。何かいい方法があったら意見を聞きたいんだ」
そこにそれまで二人の話を黙って聞いていたヘルマンが言葉を挟んだ。
「少数とは? 殿下はどの程度の数を想定しておられるのか?」
「僕が想定しているのは多くても二十人くらいかな。見つかってはならないから、少なければ少ないほどいい。さっきも言ってたように正規の騎士は使えない。使うならそれとわからないように偽装しなきゃいけない」
そのエルヴィンの言葉を黙って聞いていたカールは眉間に皺を寄せ、顎に指を当てて考え込んでいた。
「随分難しい顔をしてるね。何か気になることがあるなら、なんでも言って欲しい」
エルヴィンの呼びかけに、カールは小さく一つ息を吐いてから口を開いた。
「一人でもいいのか?」
「一人?」
「ああ、人数は少なければ少ないほどいいのだろう?」
カールのその言葉にエルヴィンは驚いたような、呆れたような複雑な表情を浮かべる。
「一人で任務を遂行出来るような能力を持った者がいるのなら、それが最も望ましい。だけど流石にそんな超人がいる筈もない」
そのエルヴィンの言葉にカールは一度目を閉じ、大きく息を吐いてから再び目を開いた。
「いるとしたらどうする?」
「何?」
「一人だけ心当たりがある」
その言葉を聞いたエルヴィンが訝しげな表情を浮かべた。
それに構わず、カールは言葉を続ける。
「見つかってはならないのだろう? 飛び抜けた技を持つ隠形の達人を一人知っている」
「隠形の達人?」
「ああ、姿を隠すという技に関しては天才と言ってもいい。敵の気配にも敏感で危険を回避するのも得意なはずだ。まさにうってつけだと思っている」
そのカールの言葉をエルヴィンは興味深げに聞いていた。
「そんな人材がいるのかい? それはどこの誰なの?」
「この街の外れに住んでいる狩人だ」
カールのその言葉を聞いて、ヘルマンが驚きの声を上げる。
「何? カール、お前が言っているのはまさか……」
「はい、真十郎です」
二人の会話を聞いたエルヴィンは一体何の話をしているのかと、怪訝な表情をを浮かべていた。
「それは、オステンブルク卿も知っている人物なの?」
「ええ、六年前に行き倒れていたところを救い、今はこの城下で狩人をやっている者です」
ヘルマンは数瞬の間、何かを思い出すように視線を宙にさまよわせて、口を開いた。
「だが確かに、お前が獣を狩る事ができたのも真十郎のおかげだと言っていたな。彼がいなければ山の中で命を落としていたと」
「ああ、なんか凄いデカイ狼を退治したんだそうだね。皇都でも噂にのぼってたよ。勇敢なる騎士様が邪悪な魔獣を退治したってね。吟遊詩人も詩にしてたはずだよ。君は見た目もいいから、その詩もご婦人方に大人気らしい。カール・ハインリッヒ・フォン・オステンブルクの名は今の皇都で一番噂に昇る名前なんじゃないかな」
からかうような調子で話すエルヴィンを見ながら、カールは自嘲するように苦笑を浮かべた。
あれはカールにとっては苦々しい思い出だった。
自分たちを逃がすために三人の仲間が死んだ。
その後も真十郎がいなければ、山の中で惨めに餓死するか、獣の餌になっていただろう。
「その男は一人でもあの獣を倒すことが出来た。だが手柄を俺に譲ってくれた。俺は弱った獣に止めを刺しただけだ。本当に称賛されるべきなのはあの男だ」
「へえ、おもしろいね」
そう口にしたエルヴィンの顔に浮かんでいる笑みが深くなる。
そして、その目には隠しきれない好奇心の色が浮かんでいた。
「本当に任務を遂行できるかどうかはともかく、君がそれほどに買っている人物なら一度会ってみたいね」
「なら、アンナに頼んで連れてきてもらおう」
「アンナに?」
「ああ、そうだ。真十郎と一番仲がいいのはアンナだからな」
怪訝な表情を浮かべるエルヴィンに、カールは楽し気な笑みを浮かべて見せた。
オステンブルク城内の庭に面した廊下を、アンナは一人歩いていた。
今は乗馬用の動きやすい服を身に付けている。
彼女はこれから真十郎に会いに行くところだった。
アンナは一度立ち止まり、庭に目をやった。
庭はきちんと手入れされており、木々の青々と茂った葉が朝の陽光に照らされ美しく輝いていた。
風にそよぐ草木の音と、小鳥のさえずりも耳に心地良く響く。
アンナは少しの間、美しい庭の景色を眺めていた。
あと何度、真十郎に会いに行けるだろうか?
突然そんな思いが頭に浮かび、彼女は小さく頭を振ってそれを追い払う。
またいつもの悪い癖が出てしまった。
何かの拍子に、つい暗い考えが浮かんできてしまう。
楽しいことだけ考えていよう。
これから想い人に会いに行くのだ。
せっかくの逢瀬の時間を暗い気持ちで過ごしたりはしたくない。
気持ちを切り替えて顔を上げ、再び歩き出そうとしたアンナの視界に二人の男の姿が入って来た。
二人は廊下の途中で、こちらに背を向けて立ったまま、庭を眺めていた。
一人は兄のカールだろう。
その隣に立つ男が誰なのか、アンナにはわからなかった。
カールより拳一つ分ほど背が低い。
その美しい銀髪に朝の光が反射してきらめいていた。
「きれいな髪……」
思わずつぶやきが漏れる。
アンナはそんな美しい髪を持つ男を一人しか知らなかった。
だが、その男がこんなところにいる筈が無い。
……あんな髪の人が彼以外にもいるのね。
そんな事を考えながら、アンナは兄の元に歩いていく。
以前のアンナは兄を避けていた。
別に兄が嫌いなわけではなかった。
ただ、顔を合わせるたびに真十郎に会いに行っていることを咎められるのが嫌だったのだ。
だが、最近は真十郎に会いに行くことを咎められることも無くなっていた。
それどころか兄自身が真十郎のところに通っているらしい。
山の中で真十郎に命を助けられたそうだがそのせいだろうか?
今はせいぜい遅くならないように帰って来いと言われる程度だった。
アンナは兄への挨拶と、兄の隣に立つ美しい髪を持った人物が何者なのか知りたいと言う好奇心を満たすために二人に声をかけた。
「おはようございます、お兄様。そちらの方はお客さまで……えっ?」
アンナの呼びかけに振り向いた二人を見てアンナは驚き、目を見開いた。
カールに視線を戻した後に、再度隣の男に視線を戻す。
そんなことを二度ほど繰り返した後にやっと驚きの言葉を漏らす。
「やっぱり殿下!? どうしてこんなところに!?」
それはついさっき頭に浮かんだ、こんな場所にいるはずのない男だった。
エルヴィンはアンナを見て、おかしそうに笑いながら口を開いた。
「さすが兄妹だね。カールにも全く同じ反応をされたよ」
アンナはそれに答えることも出来ず驚きで口をパクパクさせていた。
「その殿下ってのもやめて欲しいな。友達なんだから昔みたいに名前で呼んで欲しいんだけど」
それを聞いたアンナは大きくため息をついて、顔をしかめて見せた。
「相変わらずなのね、エルヴィン。いたずら好きなのは変わってないみたい」
「そうかな?」
「ええ、私達を驚かせて楽しんでたんでしょ?」
「まあ、それは否定しないかな」
アンナはあきれてしまい、もう一度大きくため息をついた。
そのアンナにカールが声をかけてきた。
「お前はこれから真十郎のところに行くのか?」
「え、あの、はい……」
「そうか。どれくらいで帰ってくる?」
アンナは、なぜ兄にそんな質問をされているのか理解できず、戸惑いながらそれに答える。
「え? えっと、昼までには戻ってこようかと……何かご用事ですか?」
「ああ、帰ってくるときに真十郎を連れてきてほしいんだ」
「連れてくるってここにですか?」
「そうだ。頼みたい仕事があってな」
「仕事?」
「そうだ。どうした? そんなに驚くようなことか?」
「あ、いえ、あの……わかりました」
そう言いながら、アンナはチラリとエルヴィンに視線を向ける。
「エルヴィンも関係あるんですか?」
「ああ、まあそうなんだが、詳しくは話せん。すまんな」
「悪いね、アンナ。よろしく頼むよ」
「はい、えっと……わかりました」
一体、真十郎に何をさせるつもりなのだろう?
どこか釈然としない思いを抱いたまま、アンナは二人に頷きを返していた。
アンナが真十郎の小屋にたどり着いたとき、真十郎は庭の木の下に座っていた。
アンナが近付いて行くと顔を上げ、立ち上がって彼女を迎えるように歩いてくる。
「おはよう、真十郎」
「ああ、おはよう、アンナ」
挨拶を交わしながら、真十郎はアンナが馬を降りるのを手伝ってくれた。
真十郎を目の前にして、アンナは兄の依頼について考える。
兄は真十郎に一体何をさせるつもりなのだろうか?
もしかして危険な仕事なのではないだろうか?
「どうした?」
アンナは考えながら真十郎の顔をじっと見つめていたことに気づいた。
その様子を訝しんだ真十郎に問われ、慌てて目を逸らす。
「え、えっと、お兄様は最近良く来るの?」
「カールか? 週に一度くらいの頻度で来ているな」
「そうなのね……、どんな話をしてるの?」
「武術の話が多いな。少し手合わせをしたりすることもある」
「手合わせって、お兄様と?」
「ああ、そうだ」
その真十郎の言葉にアンナは少し驚いていた。
兄は領内で一番の剣の使い手だ。
もしかしたら国内でも一、二を争う程だとも聞いている。
真十郎がその相手をしているというのが、彼女にとっては驚きだった。
「すごいのね。お兄様、剣の腕は領内でも一番なのに、その相手ができるなんて」
アンナの言葉に、真十郎はかすかに苦笑を浮かべる。
「剣では相手にならないよ。武器を持たない組討をしたりしているだけだ」
「だとしてもすごいわ……そういえば、トーマスも真十郎は弓以外でも強いんだって言ってたわね。だからなのかな……」
兄が真十郎に仕事を依頼しようとしているのは、その強さを見込んでのことだろうか?
だとすれば、その依頼は危険なものだということになる。
そこがどうしても気にかかってしまう。
「真十郎ってどれくらい強いの?」
「どれくらい……か。それほど弱くは無いと思うが、状況と相手によるとしか言えないな」
それは曖昧であまり参考にならない答えだった。
アンナは真十郎がどれくらい強いのか全く知らない。
だが、山の中で命を助けられた兄は良く知っているのだろう。
依頼する仕事というのは、やはり危険な仕事なのではないだろうか。
「お兄様にあなたを城まで連れてきて欲しいって言われてるんだけど、大丈夫?」
「城に? もちろん大丈夫だが……」
「何か頼みたいことがあるんだって言ってたわ」
「わかった。いつ行けばいい?」
そう言って、真十郎は躊躇する様子も見せずに即答する。
「帰りに一緒に連れてくるように言われてるの」
「そうか。何か準備は必要だろうか?」
「ううん、いらないと思う」
真十郎とそんなやり取りをしているうちに、アンナの不安はより強くなっていた。
兄の依頼がとんでもない難題だったとしても真十郎は二つ返事で引き受けてしまいそうな気がする。
「何か気になることでもあるのか?」
アンナの不安な思いに気づいたのか、真十郎が案ずるように問いかけてきた。
「お兄様があなたに何をさせようとしているのかが気になるの」
「それは行って聞いて見ればわかるだろう」
「そうね。危険な仕事でなければいいんだけど」
真十郎とのやり取りの後に、アンナは静かにため息をついた。
自分が気を揉んでも仕方ないのかもしれない。
以前に兄を助けて欲しいと言った時も、真十郎は二つ返事で引き受けてくれた。
そして、そのおかげで兄は生きて帰ってきた。
その時のように今回もうまくこなしてしまうのかもしれない。
大丈夫よね、きっと……
心の中で自分にそう言い聞かせても、アンナの不安な想いが軽くなったりはしなかった。




