ふさわしい栄誉
獣は死に、麓の村人達が恐れていた驚異は無くなった。
二人は獣を打ち倒した証として、その毛皮を剥いで持ち帰ることにした。
毛皮は真十郎がその背に担いで運ぶことになった。
カールは毛皮を運ぶのを手伝おうとしたが、真十郎はこの程度なら問題無いと言ってそれを断った。
二人はその日のうちに麓の村には帰りつけず、山の中で一夜を過ごすことになった。
その夜の見張りも真十郎は一人でやった。
途中で交代するはずだったが、真十郎はカールを起こそうとせず、朝までそのまま見張りを続けたのだ。
何故起こさなかったのかと問うカールに対して、数日眠らずに過ごす程度なら問題無いからと、真十郎はそう答えた。
カールと真十郎が村に帰り着いたのは翌日の昼前だった。
村に帰り着いた二人は、村人たちに驚きの表情で迎えられた。
獣を退治したことを話すとその驚きはより大きくなったようだった。
真十郎が背中に担いでいた獣の皮を広げて皆に見せると、最初は驚きの声が上がり、やがてそれは喝采へと変わった。
しばらくして、騒ぎに気づいたイルマとアメリアがやってきた。
二人はカールを見つけると、驚きと喜びの表情を浮かべながら駆け寄ってきた。
イルマが泣きながらカールに抱きつく。
そのまましばらく泣き続け、カールはそれを困ったようにあやしていた。
その様子をアメリアは苦笑を浮かべながら眺めていた。
その日の夜は宴が催された。
宴の主役はもちろんカールと真十郎だった。
誰もが村を救った英雄の話を聞きたがった。
カールは皆から握手を求められ、その周りから人がいなくなることはなかった。
だが、その宴の中にもう一人の英雄の姿は見つからなかった。
こういった賑やかな雰囲気は苦手なのだろう。
あの男らしいと、カールはそう思った。
彼を探そうとは思わなかった。
本人が出てくる気にならない限り、決して見つけることは出来ないだろうから。
こうして、小さな村を悩ませていた獣を巡る事件は幕を閉じた。
カールと真十郎がオステンブルクへと帰ってきてから数日後のこと。
カールは町外れにある真十郎の小屋を訪れていた。
馬小屋で馬の世話をしていた真十郎を見つけ、近づいていって声をかける。
「やあ、真十郎」
「ああ、カール。ようこそ」
真十郎はカールに挨拶を返して微笑んだ。
「少し話があるんだが、いいだろうか?」
「ああ、もちろんだ」
そういって真十郎は馬の世話に使っていた道具を片付け、先に立って小屋の中へと歩いていった。
小屋の中には、質素なテーブルに椅子が二つ。
二人はそこに向かい合って座る。
「実はな、この間貰ったこれについてなんだが」
そういって、カールは真十郎に譲って貰った手裏剣をポケットから取り出し、テーブルに置いた。
「今、この町には絹の国から商人が来ていてな。もしかしたら知っているかもしれないと思って、これについて聞いてみたんだ」
カールはそう言って、真十郎の表情を伺いながら言葉を続けた。
「その商人が言うには、これは絹の国よりもさらに東に存在する黄金の国と呼ばれる島国で、暗殺者が好んで使う武器なのだそうだ」
真十郎は何も言わず、ただ黙ってそれを聞いていた。
「お前の故郷は黄金の国だったな?」
カールは手裏剣を手にとり、ポケットに戻した。
「三ヶ月程前に草原の民の軍が攻め寄せてきたことは知っているだろう?」
「ああ、知っている」
「奴らは一万二千もの軍を率いてきたというのに、ある朝突然撤退を始めた。その前の晩に、奴らの軍の上位の指揮権を持つものが暗殺されたのだそうだ。十人以上いた全てが一晩でな。いったい何者がそんな事をやってのけたのか、まるで見当がつかなかった。ついこの間まではそんなことが可能な者にまるで心当たりが無かったんだ」
カールは一呼吸置いて、真十郎を見た。
そしてゆっくりと言葉を続ける。
「だが今は違う。一人だけ、そんな事が出来そうな者に心当たりがあるんだ。野の獣すら欺く程の隠形の技を持つものならば、あるいは可能なのではないだろうか、とな」
カールは言葉を止め再び真十郎の表情を伺う。
その表情には何の変化も見えなかった。
カールはゆっくりと息を吐き、言葉を続けた。
「それをやったのが何者であるにしろ……何故その男は自分がやったと名乗り出ないのか、それが不思議なのだ。その男はこの地を救った英雄だ。名乗り出れば栄誉と報奨が与えられるだろう」
真十郎は相変わらず、ただ黙ってカールの言葉を聞いていた。
「お前だったらどうだ? もし、この地を救ったのがお前だったとしたらどうする? やはり名乗り出ないのだろうか?」
カールの問いかけに、それまで表情を変えずに話を聞いていた真十郎が小さな笑みを浮かべて答えた。
「それがもし俺だったとしても、きっと名乗り出たりはしないだろう」
「何故だ?」
「おそらく、そんな話をしても誰も信じないのではないかな」
真十郎は他人事のように淡々と語り始めた。
「たった一人の人間が万の軍勢を追い払ったなどと、一体誰が信じるだろう?」
その言葉をカールは内心の驚きを表に出すことなく黙って聞いていた。
真十郎は一人と言った。
もしかしたら仲間がいるのではないかとカールは思っていたのだ。
その所業がたった一人で為すには、あまりにも人間離れしていたからだ。
だが、そうでは無かった。
この男は本当にたった一人で一万二千もの軍勢を追い払ったのだ。
そんなカールの内心の驚きをよそに、真十郎は語り続ける。
「自身が暗殺の技に長けているなど、他人に自慢できるような話でもないだろうしな」
そう言って真十郎は今度は自嘲するような笑みを浮かべる。
「栄誉や報奨なども欲しいとは思わない。俺は日々の暮らしに満足している。身分の違いにもかかわらず友と呼んでくれる人たちがいることに感謝している。今の生活が自分には過ぎたものであるとそう思っている」
カールは真十郎が友と呼ぶ中に自分も入っているのだということを知っていた。
そして、今はそれを何よりも誇らしく思っていた。
「俺はもう十分に与えて貰っている。これ以上望むものなど何も無い。今の暮らしを続けていけるだけで満足だ」
そう言って真十郎は顔を上げ、カールの目を真っ直ぐに見ながら小さく微笑んだ。
「もしそれをやったのが俺のような人間なのだとしたら、褒美や栄誉など与えられなくとも不満を持ったりはしないだろう」
真十郎が語るのを聞きながら、カールは自分の推測は間違っていなかったのだと、そう確信していた。
やはりこの男だったのだ。
いかに優れた隠形の技を持っていてもたやすい事では無かっただろう。
何の見返りも求めぬまま、この狩人はこの地とそこに住む全ての民を救ったのだ。
それもたった一人で、誰に知られることもなく。
カール自身も山の中で命を助けて貰った。
何から何まで世話をしてもらった。
心の中にあった感謝の気持ちは、今は敬意へと変わっていた。
「お前の言うように、その男には栄誉も報奨も必要ではないのかもしれない。だがな、真十郎。俺はどのような行いも報われねばならないと思っている」
カールは目の前に座る無欲な英雄を見ながら静かに言葉を続けた。
「罪人にはその罪に見合った罰が与えられねばならない。それと同じように、英雄にはその行いに見合った栄誉が与えられねばならないと、俺はそう思っているのだ」
「そうか」
「ああ、そうだ。覚えておいてくれ」
そこまで言って、カールはゆっくりと立ち上がった。
真十郎もそれを見て立ち上がる。
「すまないな、時間を取らせてしまって」
「いや、構わない」
「また、お邪魔してもいいかな? もちろん、アンナのように毎日来たりはしないので安心してくれ」
「別にアンナと一緒に毎日来てくれても構わない」
その言葉にカールは苦笑しながら答える。
「それは止めておこう。アンナに嫌がられるだろうからな」
「そうなのか?」
「ああ」
アンナも思いを寄せる相手との二人だけの時間を邪魔されたくはないだろう。
「では、失礼するよ」
「ああ、またいつでも来てくれ」
「ありがとう。ではな、友よ」
そういって微笑みを残し、カールは小屋をあとにした。
庭の木につないだ馬の元に向かう途中で、小屋へと向かう途中なのだろう、こちらに歩いてくるアンナが目に入った。
「お兄様?」
アンナはカールの姿を見つけた途端に足を止めた。
このまま進むべきか、引き返すべきか迷っているかのように目を泳がせながらそのまま立ち止まっている。
カールはその様子がおかしくて仕方がなく、笑いを堪えながらその姿を眺める。
アンナはしばらく躊躇していたが、やがて恐る恐るといった体でゆっくりとカールに近づいてきた。
「どうした? 真十郎に会いに来たのだろう?」
「はい、あの……お兄様は? お兄様も真十郎に会いに来たのですか?」
「なんだ? 俺がここにいるのがそんなにおかしいか?」
「いえ、その……珍しいなって、そう思ったので」
「改めて、この間の礼を言いに来たのだ。命を救われた礼をな」
その言葉を聞いたアンナの表情は少し和らいでいた。
きっとまたカールにたしなめられるのでは無いかと思っていたのだろう。
カールはもうアンナをたしなめるつもりなど無かったが、そんな彼の内心の思いにアンナが気付ける筈もなかった。
「お前のおかげでもあるな。お前が真十郎に助けを求めてくれていなかったら、俺は今頃生きていなかっただろう」
そう言って、カールは微笑んだ。
「ありがとう、アンナ」
「あっ……はい!」
カールの感謝の言葉に、アンナも満面の笑みで答えた。
そのアンナの瞳が好奇心に駆られたかのように輝いた。
「お兄様? 何か良いことでもあったのですか?」
「何故そう思う?」
「いえ、なんだかとても楽しそうに見えたので」
自分はそんなに楽しげな表情をしていたのだろうか?
だが、アンナの言葉に心当たりが無いわけではなかった。
「そうだな。今までどうにもならないと思っていた問題に対する解決策が見つかったんだ」
「問題……ですか?」
「いずれお前にも話すよ。お前にも無関係ではないからな」
「そうなんですか? そんなことを言われると余計に気になってしまいます」
「今はまだ話せん。すまんな」
「いえ。話してくださるのを楽しみにしていますね」
「ああ。あまり遅くならないようにな」
それを聞いたアンナは一瞬動きを止め、そしてすぐに微笑みを浮かべた。
「はい、お兄様!」
そう言って、アンナは本当に嬉しそうに微笑んだ。
最近のアンナはカールに笑顔を見せることはあまりなかった。
会う度に真十郎についての小言ばかり言っていたのだから、無理もないかもしれない
だが、それも全てアンナのためを思ってのことだった。
本来なら報われる見込みなど無い思い。
その思いが長引けば長引く程、苦しみは大きくなるはずだと思っていた。
だが、もうアンナをたしなめるつもりはなかった。
その必要はもう無くなったからだ。
帰途へつこうと愛馬に跨がり、ふと後ろを振り返った。
跳ねるような足取りで真十郎の待つ小屋へと向かうアンナの姿が見え、思わず苦笑を浮かべる。
「浮かれ過ぎだ。まったく」
そう呟きながら、カールはこれからやるべきことについて思いを馳せていた。
本来なら、ただの狩人が侯爵家の娘と結ばれることなどあり得ない。
ましてやそれが異国人であるならなおさらだ。
だが、相手がただの狩人ではなく、この地とそこに住む領民の全てを救った英雄であったならどうだろう?
たった一人で一万二千の軍勢を追い払った英雄が相手なら?
障害は少なくないだろう。
だが、きっと不可能では無いはずだ。
英雄にはその行いに見合った栄誉が与えられねばならない。
それによって妹の思いをかなえることもできるのだとしたら、一体何を迷う必要があるというのか。
彼の視線の先に見える木の枝に、二羽の小鳥がとまっているのが見えた。
おそらくつがいなのだろう。
睦まじく身を寄せ合い、お互いの羽根をこすり合わせている。
カールはもう一度振り返り、アンナが消えていった小屋に目を向ける。
今頃は想い人と二人だけの時間を楽しく過ごしているのだろう。
前方に目を戻すと、二羽の小鳥はほぼ同時に飛び立ち、そのまま飛び去っていった。
空を舞う時も同じ、まるでお互いの羽根が絡まっているかのように寄り添いながら飛んでいく。
それを目で追っているうちに、自然と笑みがこぼれていた。
「お前の想いはかなうぞ、アンナ」
誰にともなく、カールはつぶやいた。
「俺がきっとかなえて見せよう」
その頬に満足げな笑みを浮かべながら、カールは愛馬を歩ませ始めた。
その表情は楽しげで、そして穏やかな優しさに満ちたものだった。
ここまでで二章は終了となります。
読んでいただきありがとうございました。




