魔獣との闘い
その日の朝、真十郎は擬態用のローブを身に着け、洞窟の入口へと向かいながらカールに声をかけた。
「俺は先に出て獣を誘導する。正午までに打ち合わせた場所に行って待っていてくれ」
その言葉を聞いたカールは笑みを浮かべ、頷きを返す。
「ああ、わかった。気をつけてな」
カールの言葉に片手を上げて答えながら、真十郎は出ていった。
洞窟の中にカールは一人取り残された。
これからの仕事について彼は一人思いを馳せる。
やがて、日が高くなり始め、カールは準備を始める。
剣と鎧兜を身に着け、カールは洞窟を出た。
三週間ぶりの外だった。
これからしなければならないことに否が応でも緊張が高まる。
しばらく歩き続けて、真十郎に言われた場所にたどり着いた。
そこはそれなりの大きさの木がまばらに生えた場所だった。
数本の木がまとまって生えている場所もいくつか見つかった。
そのうちの一つを選び、その前まで移動する。
そこに生えた木と木の隙間は人は問題なく通れるが、あの獣の巨体では通り抜けることが不可能な程度の、カールにとっては都合の良い場所だった。
その場所にカールはあぐらをかいて座り、剣を抱いて座り込む。
空を見上げると生い茂った葉の隙間から青く澄み渡った空が見えた。
自分はうまくやれるだろうか?
そんな思いが浮かぶが、すぐに頭を振ってその思いを振り払った。
自分にはあの男がついているのだ。
きっとうまくいく。
そう自分に言い聞かせた。
そのまま目を閉じ、これから始まるであろう戦いに意識を集中する。
どれほどそうしていただろう?
獣の唸り声が聞こえてきた気がして目を開いた。
耳を澄ましてみる。
もう一度聞こえてきた。
間違いない。
真十郎が獣を誘導してきたのだ。
立ち上がって剣を抜き、獣が現れるのを待つ。
徐々に獣の声の発生源が近くなってくる。
その唸り声は怒りに満ちているようにカールには聞こえた。
やがて木々の中から獣の姿が現れた。
その体には幾本もの矢が突き立っていた。
その口からはだらだらとよだれを垂れ流し、たまにえずくような動きを見せている。
おそらく真十郎の使う毒で弱っているのだろう。
さらに獣は右の後ろ足を引きずるように歩いていた。
よく見ると、その足の関節部には四本もの矢が突き立っていた。
あれでは木々の間を飛び跳ねるどころか、まともに走ることも出来ないだろう。
真十郎が自分一人で獣を打ち倒せると言っていたことを思い出す。
この状態なら確かにこのまま倒すことも可能なように思えた。
それを自分のわがままのために面倒な手順を踏んでくれているのだ。
その感謝の思いを噛み締めつつ剣を構え、獣を見る。
真十郎の姿はどこにも見えない。
あの獣に見つかることはないと真十郎自身がそう言っていた。
言葉通り、獣からすれば姿の見えない何者かにずっと矢を射掛けられていたということだろう。
あの男が敵で無くて良かったと心からそう思う。
ふと、何かが心に引っ掛かった。
姿の見えない相手……敵で無くて良かった……?
ほんの数瞬考え、思い至った。
敵から見た真十郎はどれほど恐ろしく見えるだろうか?
姿の見えない得体の知れない何か。
それを魔物に例えるものがいたとしても、何の不思議も無いのではないか。
「お前だったのか……」
今しがた気づいたその可能性に思考を奪われていたカールは、獣の姿を見て現実に引き戻された。
新しく気づいた事柄も重要ではあるが、今は目の前の獣に集中しなければならない。
獣はようやくカールの存在に気づいたようだった。
怒りのこもった吠え声を上げながら近づいてくる。
今まで姿の見えぬ敵にひたすら攻撃を受けていたのだ。
怒り、恐怖してもその感情をぶつける相手は見つからない。
姿の見える相手を前にして、その感情を全てぶつけることに決めたのだろう。
足を引きずり、ぎこちないながらもカールの元へと走って近づいてきた。
最初に戦ったときとは比べ物にならないほどに獣の動きは鈍くなっている。
だが、それでも侮って良い速さではない。
獣の接近を、カールはその場から動かずに待った。
獣が跳ね、その巨大な顎でカールを噛み砕こうとした。
カールは後退しながら木の後ろに回り込み、それを躱す。
それを追いかけるように獣が爪を振り下ろす。
カールはそれを躱しながら振り下ろされた前足を剣で斬りつける。
家宝の剣は獣の毛皮をたやすく切り裂き、その傷口から血が吹き出した。
獣は怒りの声を上げながら、後ろに向かって跳ね、距離を取る。
獣の巨体では木々の隙間に入り込んだカールにそれ以上の追撃は不可能だったからだ。
その獣を挑発するようにカールは木の間から出ていき、獣へと近づいていく。
再び獣が跳ね、カールをその顎で捕らえようとした。
カールは跳び退ってそれを躱しながら、木々の間に逃れる。
獣はそれを追う様に前足で攻撃を繰り出す。
カールは更に間合いを取りながら、その前足に切りつけた。
獣は再び怒りの唸りを発しながら 後方に跳び距離を取った。
先程と全く同じ展開で獣は前足に傷を負っていた。
カールは再び木々の間から出ていき、獣を誘う。
だが、今度は獣も攻撃してこなかった。
頭のいい獣だと思っていた。
さすがに三度も同じ手は通用しないということだろう。
獣から目を離さぬままで、周囲の様子を伺う。
獣の攻撃を防ぐ盾として使えそうな場所は他にも複数ある。
上手く誘導しながら、少しずつ手傷を負わせていくしか無いだろう。
長い戦いになりそうだとそう思った。
唸りながらこちらを見ていた獣が突然目を逸し、跳ねるように後ろを振り返っていた。
その背中には先程まで無かったはずの矢が突き立っていた。
隙さえあれば斬りかかろうと準備していたカールの体は自然に動いていた。
彼から目を離している獣の後ろ足に切りつける。
振り下ろした刃は深々と後足に食い込み、その筋肉を切り裂いていた。
獣が怒りの声を上げ、身を翻しながら前足を叩きつけて来る。
だが一太刀浴びせ、既に離脱の動作に入っていたカールにその爪は届かない。
ゴオオオオアアアアア!
怒り狂った獣が大音声で吠える。
カールは更に後退し、先程獣を誘って前足に傷を負わせた木々の前に戻る。
怒りに任せて飛び込んで来れば、また一太刀浴びせることが出来るだろうと期待したが、獣は誘いには乗ってこなかった。
再びにらみ合いが始まる。
どれ程そうしていたか、再び獣がカールから目を離した。
今回は背中を向けたりはしなかったが、一瞬目を離してくれただけでもカールにとっては十分だった。
間合いを詰め、獣の前足の付け根に切りつけた。
決して浅くはない切り傷を獣の前足に刻み、即座に離脱する。
獣が再び吠えながらその爪を振るうが、カールを捕らえることは出来なかった。
間合いを保ったまま、カールは獣を見つめる。
ここからどうするか?
二度、同じ手を使った。
先程、同じ手は三度は通じなかった。
今度はどうなるだろうか?
獣の動きに注意を払ったまま、頭の中で考えを巡らす。
そうして獣と対峙したまま、時間が過ぎてゆく。
突然、獣が後ろを振り返った。
三度目だ。
何かしてくるかもしれないと警戒しながら、素早く近寄り剣を振り下ろそうとしたときだった。
「タスケテ」
突然聞こえてきた言葉に驚きで一瞬動きが止まる。
その声はまるで子供の声のように聞こえた。
その直後、獣が怪我をした後足で土を跳ね上げていた。
視界が一瞬土で塞がれる。
その土の中から獣の前足が飛び出してきた。
驚きで反応が遅れたが、剣を掲げてかろうじて獣の前足の攻撃を受け止める。
防ぐことは出来たが、そのまま後方へと吹き飛ばされ、転がって衝撃を逃しながら立ち上がった。
カールはアメリアの言葉を思い出していた。
彼女は子供のような声で助けを求める声がしたと言っていた。
野の獣の中には獲物の鳴き声を真似て相手をおびき寄せ、捕食する者もいるという。
目の前の獣がまさかそんな能力まで持っているとは思っても見なかった。
カールは体勢を立て直し、状況を確認する。
防御のために使うつもりであった木から離れてしまっている。
獣がこちらに猛然と向かってくる。
衰えているとはいえ、あの巨体に体ごとぶつかって来られたら防ぎようがない
なんとか迎え撃とうと剣を構える。
真十郎にここまでお膳立てしてもらったのだ。
ここまで来て失敗することなど許されない。
どうするべきか? 歯を食いしばり考えを巡らす。
獣が攻撃の間合いに入ろうとした、その瞬間だった。
こちらに向かって突進していた獣の右目に何かが突き立つのが見えた。
獣は叫び声を上げ、地面を転がりのたうち始めた。
何が起こったのか、カールは瞬時に理解した。
「ハハッ」
命がけの戦いの最中だというのに、思わず笑い声を上げてしまっていた。
お前は一体どこまで……
その笑みもすぐに消して表情を引き締め、獣の隙を伺う。
自分のやることは一つだけだ。
目の前の敵を持てる力の限りを尽くして打ち倒すこと。
もはや迷いもためらいも無かった。
自分がどれ程間抜けな失敗をしたとしても、見守っている狩人がその穴埋めをしてくれるだろうと信じることが出来たからだ。
両目を失った獣は地面の上で痛みに苦しみのたうっていた。
激しく暴れまわっていた獣は一瞬頭を上げ、その顎をさらけ出した。
カールはその瞬間を見逃さず獣に駆け寄り、その顎のすぐ下に滑り込む。
そして、その喉に剣を突き立てた。
そのまま、口先に向けて剣を走らせ、下顎を縦に真っ二つに引き裂く。
そのまま迸る血しぶきを浴びながら、獣から距離を取った。
致命傷を与えたはずだが、それでも油断なく様子をうかがう。
「充分だ」
声の聞こえた方向に目を向けると、草むらの中から真十郎が現れ、歩いて近寄ってきていた。
「そのまま放っておけば死ぬだろう」
カールは獣に再び目を向ける。
獣はゴボゴボという音を立てながら血の泡を吐きながら地にうずくまっている。
なんとかして立ち上がろうとしているように見えた。
しばらくすると力尽きたのか、地に這ったまま浅く呼吸をするだけになった。
それを見て、もう大丈夫だろうと近づいて行こうとしたカールを、真十郎が肩に手を置いて止める。
真十郎が弓に矢をつがえ獣を射る。
獣は体に矢が突き立ってもピクリと体を震わせるだけでそれ以上の反応はなかった。
「大丈夫だ」
真十郎の用心深さに苦笑しながら、カールは獣のもとへと歩いていった。
もはや虫の息となった獣を見る。
それは彼の幼馴染と仲間を殺した憎き敵だったはずだ。
だが、浮かんできた感情は今まさに死に行こうとする者への哀れみの感情だった。
剣を逆手に持って振り上げ、獣の眉間に向かって勢いよく振り下ろす。
剣は刃の根本まで深々と突き立った。
剣を引き抜き、カールは獣を見下ろした。
獣は何度か痙攣し、そしてすぐに動かなくなった。
こうして麓の村を騒がせ、幾人もの犠牲者を出した獣は死に、カールの冒険もまた終わりを迎えたのだった。




