日常に戻った私
学園の門をくぐった瞬間、空気が変わった気がした。
カルヴィン領にあったものが、ここには無い。
私は立ち止まった。
レントが少し先を歩いている。
馬車の音が遠ざかっていく。
「ルイーズ、行こう」
「ええ」
歩き始めた。
二週間前、ここに戻るため出発した時のことを思い出した。
カルヴィン領を出る朝、まずガイアたちのところに挨拶に行った。
「お世話になりました」
「こちらこそ」ガイアが言った。
「ルイーズさんも、また来てください」
ハウエルが笑った。
「あなたを応援しています。どうか自分の進む道を見つけてください」
「学園で何か聞かれたら」
「聞かれないとは思いますが、あなたの思ったまま言ってください」
ハウエルが言った。
「何を言われても、譲れないことがあるものです」
それだけ言った。落ち着いた声だった。
屋敷に戻ると、エドワードとエレノアが玄関にいた。
「気をつけて行きなさい」
エドワードが言った。
「ルイーズさん、また来てください。ここを実家と思って」
「ありがとうございます」
エレノアが続けた。
「学園は色々あるでしょう。レントを支えてやってください」
「私が支えるなんて」
「レントはあなたを支えているつもりでしょうが、まだ甘いです」
エレノアが言った。
「あの子には思い通りにならない経験がありませんから」
それ以上は何も言われなかった。
ルイーズは目を伏せた。
「エレノアの言う通り、いつでも来てくれ」
エドワードがそう言ってくれた。
「勇者が戦場に行くことを止めることはできん。
しかし、できるだけのことはするつもりだ。遠慮なく言っていい」
「ありがとうございます」
声が少し掠れた。それだけしか言えなかった。
シャーロットが駆けてきた。
「ルイーズさん」
「シャーロット」
「春になったら、私も学園に行きます。その時はよろしくお願いします」
「もちろん」
シャーロットが少し声を低くした。
「ルイーズさん、レント兄様のことお願いしますね」
「ええ、そうね」と答えた。
何を答えたのか、自分でもわからなかった。
シャーロットがそれ以上は言わなかった。
笑って、駆けていった。
『行ってきます』ソラが言った。
レントが頷いて。青い影が空に消えていった。
馬車に乗った。
レントが御者と少し話してから乗ってきた。
「ソラは」
「魔族領に行ってもらいました。これまでの戦争がなぜ終わったのか、
調べてもらおうと思って」
「そういえば、毎回撤退していって終わっていますね」
「うん。いつも魔族が引いていきます。なぜ引いたのかが分からない。
それも調べてもらいます」
「そう。わかるといいわね」
「他にもいろいろと。まだわからないことが多くて」
馬車が動き出した。
しばらく窓の外を見ていた。
「ルイーズ」レントが言った。
「何」
最初に話したのは戦争のことだった。
「神託が出たら、そのうち本当に攻めてくるでしょうね」
レントが言った。
「ええ、そんなの出さないで欲しいわね。
その情報があれば慌てることはないでしょうけど」
「ルイーズはどう思う、戦うことについて」
「私が戦うのは仕方ないと思っているわ」
ルイーズが言った。
「望んでなくても勇者と呼ばれた以上、それが役割」
「役割...役割か」
「レントは違う?」
「僕は戦いたくない。その力があったとしても」
レントが言った。
「魔族も普通の人たちだとわかってしまったから」
「そうね。ソラの報告を聞いて私もそう思った」
しばらく無言だった。
魔法の話になった。
「ルイーズが新しい魔法を覚えれば、戦い方の幅が広がるね」
「ええ。習ったことは続けるつもり」
「服の硬化、面白かったですね」
「あれはまだ瞬間の判断が難しい」
「練習しましょう」
「そうね」
レントは魔法の話になると楽しそうだった。
「剣を大きくしようかしら。自分でバフを永続的に使えるなら、
それもいいかなって」
「取り回しができるならいいかも。パワー不足の解消にもなりそうだ」
レントはいつも否定的なことを言わない。
婚約のことを聞きたくなった。
「クララも入学してくるんですよね」
ルイーズが聞いた。
「うん」
「どう思っているの」
「どうって」
「クララのこと」
レントが少し考えた。
「なんとなくシャーロットに似ているというか、妹みたいな感じかな」
「へえ、シャーロットみたいに可愛いのね」
「まあ、そうですね」
否定しない。してもいいのに。
「アメリアのことは」
「アメリアのことは、ずっと考えています」
レントが言った。
「実際はアメリアというより、彼女を取り巻く全部について」
「それは僕には必要のないものだから」
「レントは何が必要なの?」
「まだわからない、でもいらないものはわかる気がするんだ」
それ以上は聞かなかった。
戦争が終わった後のことを話した。
「歴史書では、戦争の後はいつも復興と結束で終わっていますね」
レントが言った。
「ええ。そう習ったわ」
「僕は戦争が終わったら、田舎でゆっくりしたい」
「カルヴィン領の?」
「いえ。誰も僕のことを知らない場所で、静かに暮らしたい」
そこに私も行きたい。
そう言いたかった。
でも言えなかった。
代わりに「そういう未来もいいわね」とだけ言った。
レントは頷いた。
それで会話が終わった。
ソラのことも話した。
「ソラがいなくなったら、レントはどうするの」
「いなくなるとは思えないな」レントが言った。
「でも、いつか」
「起きるかわからない未来は考えなくてもいいかな」
レントが言った。
「どちらにしても、何が起きてもいいように、今できることをやるだけだよ」
そっか、そうよね。
「私は先のことばかり考えてしまうわ」
「僕もルイーズの立場ならそうかも。でも勝手に期待して、それは何か違うと思うんだ」
「そうかもね」
笑った。
学園の門が見えてきた頃には、外が暗くなっていた。
「着きましたね」レントが言った。
「ええ」
馬車を降りた。
二週間前と同じ場所。
でも何かが違う気がした。
「ルイーズ、また明日」
「また明日」
レントが寮の自分の部屋の方へ歩いていった。
ルイーズはしばらくそれを見送ってから、自分の部屋へ向かった。
部屋に入って、扉を閉めた。
壁に掛けてあった制服を見たとき現実に戻された気がした。
カルヴィン領で過ごした二週間が、もう遠くなり始めていた。
でも、まだ温かさは残っていた。
明日からまた、学園が始まる。




