第95話:ドレスに宿る真実
セレーナの最後の悪あがき「染料の罠」。
しかし、アイリスが北方の地で培った「生きるための技術」が、その悪意を鮮やかに跳ね返します。
「……ああ、まだよ! まだ終わらせないわ!」
絶叫と共にセレーナが扇を振り上げた。それが合図だった。
二階の回廊に控えていた給仕たちが、身を乗り出し、手にしていた大きなデキャンタを逆さまにする。
狙いは、私の頭上。
魔法のないこの世界で、一度染まれば命を失うのと同義とされる、落ちることのない「深紅の染料」が、滝のように私へと降り注いだ。
「――アイリス!」
リュカ様の叫びと同時に、彼は私の肩を抱き寄せ、自らの漆黒の外套で私を包み込もうとした。
けれど、私は逃げなかった。
一針ごとに込めた、あの北方の知恵を信じて。
飛散した赤い液体が、アメジストのベルベットを叩く。
誰もが私の破滅を確信し、息を呑んだ。だが、次の瞬間、広間に響いたのは悲鳴ではなく、割れんばかりの感嘆だった。
「……なっ、弾いている……!?」
染料は、私のドレスに触れた瞬間、まるで意思を持つ真珠のように丸まり、ベルベットの上を滑り落ちていった。
北方の蜜蝋を染み込ませた撥水糸。そして水晶片を散りばめた隙間のない空隙刺繍。
泥や雪を寄せ付けない北方の「生きるための技術」が、王都の卑劣な悪意を完全に拒絶したのだ。
「リュカ様、大丈夫ですわ」
私は、汚れ一つないドレスを翻し、リュカ様の腕の中から一歩踏み出した。
床に飛び散った赤は、まるで私の勝利を祝う絨毯のように、アメジストのドレスをより一層鮮烈に際立たせている。
「セレーナ、貴女は『汚れ』で私を支配できると思ったのかしら。……でも、ご覧なさい。貴女の放った毒は、私のドレスを一滴も汚せはしない」
「嘘よ……、そんなの、魔法だわ! 魔法でも使わなければ、こんな……っ!」
腰を抜かしたセレーナに、リュカ様が冷酷な視線を投げ下ろした。
彼は包帯の巻かれた左手で私の腰を引き寄せ、広間に響く声で告げた。
「魔法などではない。これは、お前たちが蔑んだ北方の地で、彼女が自らの手で紡ぎ上げた『真実の技』だ。……己の魂を磨くこともせず、他人の足を引っ張ることしか能のない貴様に、この輝きを消すことなど、万に一つもできはしない」
床に落ちた染料が、セレーナの桃色のドレスの裾を、醜い赤黒い色に変えていく。
汚れを跳ね返したアメジストと、自らの毒で汚れていく桃色。
魔法なき世界の審判は、あまりにも残酷な対比となって、そこに刻まれていた。
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液体を弾き飛ばすアメジストのドレス……アイリスの努力が勝利を収めた瞬間です。
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次話、ついに国王の審判が下ります。第96話「国王の審判」へ。




