第92話:王子の悔恨と辺境伯の盾
「間違っていた」という、王子の無様な謝罪。
しかし、アイリスの隣には、王族の権威すら恐れぬ最強の「盾」が立ちはだかっています。
玉座へと続く赤絨毯の上、数歩先で立ち尽くしていたエドワード様が、たまらずといった様子で膝を折るようにして私へ手を伸ばした。
その瞳には、かつて私を泥の中に突き放した時の傲慢さは微塵もなく、ただ、失った至宝への盲目的な後悔だけが濁り、揺れている。
「アイリス……! ああ、君はなんて……。私が間違っていた。セレーナの甘言に惑わされ、君という真実を見失っていたのだ。今すぐ私の手を取ってくれ。君の身分も、名誉も、すべてを以前よりも高く……」
広間に響く王子の懇願は、滑稽なほどに情けなかった。
魔法のないこの世界で、一度壊れた信頼が言葉だけで再生することなどあり得ない。私は彼の手を一瞥もせず、ただ隣に立つリュカ様の腕を、より一層強く抱きしめた。
「……汚らわしいな」
リュカ様の低い、地を這うような声。
彼はエドワード様の伸ばした手を、包帯の巻かれた左手で力強く払い退けた。リュカ様のアイスブルーの瞳は、もはや王子を「国を継ぐ者」としては見ていない。ただ、自分の宝を汚そうとする「羽虫」を見るような蔑みだけが宿っている。
「辺境伯、離したまえ! アイリスは元々、私の婚約者……」
「黙れ。……お前が雨の中に捨て、俺が命を懸けて拾い上げた女だ。お前に彼女の名を呼ぶ資格はない」
リュカ様が半歩前に出ると、漆黒の外套に施された猛禽の刺繍が、王子の視界を圧するように広がった。
魔法の光など必要ない。リュカ様が放つ圧倒的な殺気と、アイリスが纏うアメジストの威厳。その二重の「盾」の前に、エドワード様は声も出せずに大理石の床へ崩れ落ちた。
「アイリス。あんな男の声に、耳を貸す必要はない」
リュカ様は私の耳元で、甘く、独占欲を孕んだ熱を吹きかける。
私は彼を見上げ、深く、そして誇らしげに頷いた。
王子の悔恨。それは今の私にとって、北方の雪解け水よりも冷たく、無価値なもの。
私たちは崩れ落ちた過去の残像を完全に無視し、玉座の前に立つセレーナの、絶望に歪んだ顔を見据えて歩き出した。
第92話をお読みいただきありがとうございます。
エドワード王子の情けない懇願を、一蹴するリュカ様……最高にスカッとしますね。
「俺が拾い上げた女だ」という言葉に、アイリスへの深い愛が凝縮されています。
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次話、追い詰められたセレーナの最後の悪あがき。第93話「セレーナの毒牙、再発」へ。




