第81話:最後の一針
ドレスの裏地に秘めた、最後の一針。
目に見える華やかさの裏側に、アイリスはリュカへの「永遠の帰属」を縫い込みました。
夜会を数時間後に控え、別邸の工房には張り詰めた緊張感が漂っていた。
トルソーに掛けられたアメジストのドレスは、既に完成しているように見えた。けれど、私の心だけが「まだ足りない」と告げていた。
私は銀の針を手に取り、ドレスの左胸の裏側――ちょうど、私の心臓が重なる場所に、極細の絹糸を沈めた。
刺しているのは、図案などない、私とリュカ様だけが知る「記憶」の意匠。
あの日、雨の中で差し伸べられた大きな手。
冷え切った指先に分け与えられた、熱い体温。
そして、私の誇りを守るために刻まれた、彼の掌の傷跡。
「……これで、本当の完成ですわ」
最後の一針を引き抜き、余った糸を丁寧に切り取る。
魔法が使えないこの地において、想いを永遠に封じ込める唯一の魔術は、この「針仕事」だけだ。裏地に秘められた刺繍は、私の肌に触れ、王宮という魔窟で私を支え続ける護符となる。
「終わったか、アイリス」
背後で、正装に着替えを終えたリュカ様が静かに佇んでいた。
漆黒の軍礼装を纏った彼は、いつにも増して峻烈な威厳を放っている。彼はゆっくりと歩み寄り、私の手から針を奪い取ると、それを机の上に置いた。
「指が震えている。……お前の魂のすべてを、この布に注ぎ込んだようだな」
リュカ様は私の両手をとり、一針ごとに刻まれた針だこを、慈しむように自らの唇で包み込んだ。
彼の掌の包帯が私の肌に触れる。
その感触が、裏地に刺したばかりの「記憶」と共鳴し、私の胸の奥に熱い塊を突き上げてくる。
「リュカ様……。私はもう、公爵令嬢としての仮面は必要ありません。このドレスと、貴方の愛さえあれば……世界中の誰が私を拒もうと、私は私でいられますの」
「ああ。お前がそのドレスを纏ったとき、お前は世界で最も気高く、そして、最も俺に愛されている女になる」
リュカ様は独占欲に満ちた熱い瞳で私を射抜き、私の腰を引き寄せて深く、誓いのような口づけを落とした。
最後の一針。
それは、過去の絶望を完全に葬り去り、新しい運命へと漕ぎ出すための、愛の弔鐘でもあった。
第81話をお読みいただきありがとうございます。
「最後の一針」を終え、ついにアイリスの武装が完了しました。
裏地に秘めた想いが、彼女を支える最大の武器となります。
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次話、リュカ様もまた、アイリスの隣に立つための「騎士の正装」を整えます。




