第77話:鏡のない対話
鏡を介さない、魂と魂の対話。
リュカの瞳に映る自分を信じることで、アイリスは無敵の美しさを手に入れます。
完成したドレスをトルソーから外し、私は一度だけ、それを身に纏った。
別邸の工房には、相変わらず鏡が置かれていない。王都にいた頃は、三百六十度を鏡に囲まれ、一分の隙もない「王妃の雛形」であることを確認し続けていたのに。
今の私には、冷たく無機質な銀の板など必要なかった。
「……アイリス」
扉の傍ら、暗がりに佇んでいたリュカ様が、私の名を呼んだ。
彼はゆっくりと歩み寄り、月光に照らされたアメジストのベルベットと、その上で静かに明滅する銀糸の刺繍を見つめる。
魔法のないこの世界で、彼の瞳こそが、私の価値を映し出す唯一の真実だった。
「どう……見えますでしょうか。リュカ様」
私は彼に向き直り、静かに問いかけた。
リュカ様は答えず、大きな掌で私の頬を包み込んだ。包帯の巻かれた左手が私の肌をなぞる。その僅かな痛覚が、鏡に映る虚像よりもずっと、私の存在を強く肯定してくれる。
「……鏡など見なくていい。お前がどれほど神々しく、そして、残酷なまでに俺の心をかき乱しているか。俺の瞳を見れば分かるはずだ」
至近距離で見つめ合う。
彼のアイスブルーの瞳の中、銀世界の湖面のように澄んだその奥に、一人の女が映っていた。
絶望に濡れていたあのアメジストの瞳は、今やリュカ様の情熱を吸い込み、気高く燃え上がる紫の焔へと変わっている。
「……ええ。見えますわ。……貴方の瞳の中にいる私は、かつてよりもずっと、自分を好きになれそうです」
魔法の加護などなくても、この「鏡のない対話」だけで十分だった。
リュカ様は私の腰を引き寄せ、逃れられぬように深く、深く抱きしめた。
「王都の奴らは、お前の姿に己の醜さを写し出すだろう。……だが忘れるな、アイリス。お前の真実の姿を写していいのは、一生、この俺の瞳だけだ」
独占欲に満ちた熱い囁き。
私は彼に身を預け、鏡という偽りの安寧を完全に捨て去った。
明日、王宮という巨大な鏡の間へ。私はこの男の愛だけを頼りに、乗り込んでいく。
第77話をお読みいただきありがとうございます。
「俺の瞳を見れば分かるはずだ」というリュカ様の言葉、最高にヒーローですね。
鏡のない工房で深まる二人の絆。
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次話、追い詰められたセレーナから、最後の嫌がらせが届きます。




