第64話:守り抜いた一針
牙を剥いたセレーナの殺意。
しかし、アイリスの誇りと一針の重みは、リュカの流した血によって、より一層気高く守り抜かれました。
深夜、別邸の作業室に鋭い風の音が紛れ込んだ。
窓の鍵が外側から音もなく外され、闇に紛れた黒い影が滑り込む。その手には、月光を浴びて鈍く光る短刀――いや、布地を無残に切り裂くための裁断用の刃があった。
「……見つけたわ、忌々しいアメジスト」
刺客の狙いは、トルソーに掛けられた私の最高傑作。
眠りについていた私は、言いようのない悪寒に跳ね起き、裸足のまま作業室へ駆け込んだ。そこで目にしたのは、愛おしいドレスに刃を振り下ろそうとする影だった。
「やめて……っ!」
私が叫び、無謀にもドレスを庇おうと飛び出したその瞬間。
闇を裂いて、漆黒の外套が翼のように翻った。
「――汚れた手を退けろ」
氷の底から響くようなリュカ様の怒号。
彼は私の身体を片腕で強引に引き寄せ、背後に隠すと同時に、逆の手で刺客の刃を直接掴み取った。
魔法のないこの世界で、肉体は唯一の盾。
リュカ様の掌から、赤い血がベルベットの上にではなく、床の上へと滴り落ちる。
「リュカ様!? お手が……!」
「構うな。……お前の一針を、こんな奴の安っぽい殺意で汚させてたまるか」
リュカ様は傷を負った手でそのまま刺客の手首を捻り上げ、骨が砕ける音とともに男を床へねじ伏せた。
彼のアイスブルーの瞳は、怒りで完全に色を失い、透き通った殺意だけが宿っている。
「……お前の命を、ドレス一着の代償にしようとした主の元へ帰れ。そして伝えろ。次、俺の女に触れようとすれば、その時は王都を血の海に沈めると」
リュカ様は刺客を暗闇の中へ放り出すと、荒い息を吐きながら私の方を向いた。
彼は血に濡れた手を隠すように背後に回し、震える私の肩を抱き寄せる。
「……ドレスは無事か、アイリス。お前の……お前の魂は、傷ついていないか」
「リュカ様、ドレスよりも、貴方のお手が……っ」
私は泣きながら、彼の傷ついた掌を両手で包み込んだ。
魔法が使えないからこそ、彼は自らの血を流して私を守ったのだ。
ドレスの裏地に刻んだ私の恋文。それが今、彼の犠牲によって守り抜かれた。
「……泣くな。お前の一針が守られたのなら、俺の血など安いものだ」
リュカ様は独占欲を孕んだ熱い瞳で私を見つめ、無事だった方の手で私の頬を包み込んだ。
闇の中で、二人の重なる鼓動が、かつてないほど激しく共鳴していた。
第64話をお読みいただきありがとうございます。
自らの手で刃を掴んでアイリスを守るリュカ様……魔法なき世界ゆえの痛みが、愛の深さを物語ります。
「リュカ様、痛々しいけど最高に男前!」「ドレスが無事で本当に良かった」と思ってくださった方は、
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次話、第3章の締めくくり。決戦の夜会を前に、二人の愛が頂点へと達します。




