第53話:涙の釈明
過去の手紙が招いた、二人の断絶。
アイリスの涙の訴えが、リュカの凍てついた嫉妬を溶かしていきます。
「……リュカ様、お願いです。私の目を見てください」
押し付けられた壁の冷たさも、手首を掴む彼の指の強さも、今の私には痛みとして感じられなかった。それ以上に、目の前の男の瞳が、疑念と嫉妬で濁りきっていることが耐えがたかった。
視界が涙で滲む。頬を伝った熱い雫が、リュカ様の手に触れた。その瞬間、彼の指先が微かに震える。
「あの手紙に書かれた言葉は、もう死んだアイリス・ランチェスターの抜け殻ですわ。あの日、土砂降りの雨の中で……泥の中にドレスを捨てられた時、私の心も一緒に死に絶えたのです」
私は溢れる涙を拭おうともせず、彼のアイスブルーの瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「私を拾い、名前を呼び、凍えそうな指先に熱を戻してくださったのは誰ですか? 義務としての愛ではなく、私という人間そのものを鏡に映してくださったのは、どなたなのですか……っ!」
魔法のないこの世界で、一度壊れた信頼を取り戻すには、魂を削るような言葉を重ねるしかない。
「今の私の真実は、貴方の隣にあることだけです。この手紙を綴った過去の私など、今すぐ貴方の手で、その暖炉の火に投げ入れてくださいませ! それで貴方の心が晴れるなら、私の記憶ごと焼き尽くしてくださって構いません……!」
私の叫びに、リュカ様は目を見開いた。
彼の瞳に宿っていた暗い炎が、私の涙に打たれたかのように、ゆっくりと静まり、切ないほど深い悲しみに色を変えていく。
「……アイリス」
彼はゆっくりと私の手首を放し、代わりにその大きな掌で、濡れた私の頬を包み込んだ。指先が私の涙を掬い取る。
「……すまない。俺は……お前を失うことが、あいつの影にお前を奪われることが、たまらなく怖かったのだ」
独占欲。それは、強靭な辺境伯が見せた、あまりにも脆い本音。
リュカ様は私を壊れ物を扱うように抱き寄せ、その胸元に顔を埋める私を、これまでにないほど優しく、けれど絶対に離さないという強さで抱きしめた。
「……信じる。お前の今の涙だけが、俺の真実だ」
セレーナの放った毒は、皮肉にも二人の絆を、より血の通った、熱いものへと変えていった。
第53話をお読みいただきありがとうございます。
アイリスの必死の訴えで、ようやくリュカ様も落ち着きを取り戻しました。
「二人の絆が深まってよかった……!」「リュカ様の不安が切なすぎる」と思ってくださった方は、
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次話、二人は王都の夜会へと一歩踏み出します。第54話「秘密の舞踏会(前)」へ。




