第49話:窓越しに見る残像
窓の外を流れる、かつての婚約者の影。
しかしアイリスにとって、それはもう手の届かない過去の遺物でしかありませんでした。
外出を禁じられた別邸の二階。私は、リュカ様が用意してくれた最高級の刺繍枠に向かいながらも、ふと手を止めて窓の外へ視線を投げた。
高い石壁の向こう側、大通りを行き交う馬車の屋根が、規則正しく流れていく。魔法のないこの世界で、馬車の紋章はその家の威厳と所在を雄弁に物語る。
その時、見覚えのある白銀の装飾が施された馬車が、視界を横切った。
(……王家の、紋章……)
それは、かつて私が幾度となく乗り込み、隣に座る人の横顔を見つめていたエドワード様の馬車だった。
かつての私なら、その姿を見ただけで胸を高鳴らせ、彼に相応しい微笑みを作ろうと鏡を覗き込んだだろう。
けれど今、遠ざかっていくその残像を見つめる私の心は、驚くほどに凪いでいた。
窓越しに見るエドワード様の世界は、まるで色褪せた古い絵画のようだった。
彼と共にあった日々。それは、彼が望む「完璧な人形」であろうと自分を削り続け、透明な糸で操られていた虚飾の時間。
「……あんなに必死に、何を守ろうとしていたのかしら」
自嘲気味な独り言が漏れる。
今の私を支配しているのは、窓から見えるあの遠い王子の影ではない。
今朝、私の首筋に刻みつけられた、リュカ様の熱い吐息と、逃れようのない腕の強さだ。
不意に、背後から部屋の扉が開く音がした。
振り返るよりも早く、リュカ様の漆黒の気配が私を包み込む。彼は私が窓の外を見ていたことに気づいたのか、アイスブルーの瞳を険しく光らせ、私の腰を引き寄せた。
「……何を見ていた」
「……ただの、過去の残像ですわ。もう、色彩すら思い出せないほどに、遠い場所の」
私が微笑んで彼の胸に顔を埋めると、リュカ様は安堵したように、けれど罰を与えるように私の肩を強く抱きしめた。
魔法のないこの地で、私の視界を埋め尽くすべきなのは、目の前の男の熱だけなのだ。
「お前の目に映るのは、俺だけでいい。……過去など、俺がすべて塗り潰してやる」
リュカ様の手が私の瞳を覆い、外界の光を遮断する。
真っ暗な視界の中で、私は彼という名の愛に、深く、深く溺れていくことを選んだ。
第49話をお読みいただきありがとうございます。
エドワード王子の姿を見ても、全く心が揺れないアイリス。
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次話、不安と独占欲が渦巻く夜、リュカ様がアイリスに「消えない刻印」を残します。




