第12話:氷の瞳が和らぐ時
リュカからアイリスへ託された、一族の誇り。
「氷の辺境伯」と呼ばれた男の瞳が、アイリスの才能を前に、静かに和らぎ始めます。
マーサに施した刺繍の噂は、思いがけない速さで邸内に広まっていた。
私が食堂へ向かうと、すれ違う使用人たちが、畏れ多くもどこか期待に満ちた視線を私へ向ける。地位を失い、身を寄せるだけの存在だった私に向けられるその温かさは、戸惑いと、それ以上の喜びを私に与えていた。
「アイリス、こちらへ来い」
食後の茶を愉しんでいたリュカ様が、不意に私を呼んだ。
彼の手元には、数枚の古びた、しかし重厚な図面や羊皮紙が広げられている。
「……邸の者たちが騒いでいる。お前の針は、ただの修繕ではなく、布に新しい命を吹き込むそうだな」
「大袈裟ですわ。私はただ、綻びが気になっただけで……」
私が恐縮して俯くと、リュカ様はふっと鼻先で笑い、一枚の羊皮紙をこちらに滑らせた。
そこには、ヴォルテール家に代々伝わるという、古色蒼然とした紋章のデザインが記されていた。
「これは我が家の古い正装の意匠だ。だが、北方の厳しい冬に耐えうる厚手の生地に、これほど精緻な紋章を美しく刺し直せる者がいなくてな。……お前に、これを託したい」
リュカ様が顔を上げる。
そのアイスブルーの瞳は、いつも通りの鋭さを保ちながらも、その奥にある冷たさが微かに凪いでいた。それは、他者を試すような視線ではなく、一人の職人として私を「信頼」する者の目だった。
「……私に、務まるでしょうか」
「できるかできないかを聞いているのではない。お前が、この紋章に誇りを込められるかどうかを聞いている」
リュカ様の手が、机の上の私の指先に重なった。
熱に浮かされていた夜に感じた、あの大きな手の温もり。
彼の指が、私の針だこだらけの指をそっとなぞる。
「王都の奴らが見限ったその指先が、どれほどの価値を持つか。……俺に、証明してみせろ」
和らいだ瞳の奥に宿る、確信に満ちた熱。
私は、彼の期待に応えたいと強く願った。誰かのために装うのでもなく、義務として刺すのでもない。私を信じてくれたこの人のために、最高の誇りを形にしたい。
「……承知いたしました、旦那様。……私の全霊を込めて、刺させていただきますわ」
リュカ様は満足げに頷くと、握っていた私の手を、名残惜しそうに、けれど静かに離した。
指先に残る微かな熱が、私の新しい決意を静かに燃え上がらせていた。
第12話をお読みいただきありがとうございます。
リュカ様に見込まれたアイリス。彼女の針仕事が、ついに本格的に動き出します。
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次話、アイリスがリュカのために選び抜いた「色」が、邸に新たな風を吹き込みます。




