第11話:綻びを直す針先
地位を失ったアイリスが、初めて「自分の手」で誰かを笑顔にします。
小さな一針が、彼女の止まった時間を動かし始めます。
王都から届いた追放令が灰になってから数日。私は、あえて以前よりも早く目覚めるようになっていた。
名前も、地位も、帰る場所も失った。けれど、この指先に残る感覚だけは、誰にも奪えないものだとリュカ様に教えられたからだ。
「アイリス様、そんなところで何を……」
早朝、共有スペースの片隅で針を動かしていた私に、侍女のマーサが驚いた声を上げた。
私の手元にあるのは、彼女がいつも着ている、洗いざらしの簡素な制服だ。
「ごめんなさい、勝手に。……昨日、貴女の袖口が少し綻んでいるのが見えたから。これくらいなら、すぐに直せますわ」
「そんな! 公……いえ、アイリス様に、私どものような者の繕い物など……!」
マーサは慌てて手を振ったが、私は静かに首を振って、最後の一針を通した。
ただの修繕ではない。生地と同じ色の糸を選び、補強を兼ねて、目立たない場所に小さな蔦の刺繍を施してある。魔法のないこの地では、一針の工夫が布の持ちを、そして着る者の心を左右する。
「……できたわ。見てくださる?」
手渡された服を見て、マーサは息を呑んだ。
ただの綻びが、まるで最初からそうであったかのような美しい装飾に変わっている。彼女は震える指でその刺繍をなぞり、潤んだ瞳を私に向けた。
「なんて……なんてお上手なのでしょう。それに、指先がこんなに温かいなんて。アイリス様、ありがとうございます」
ありがとうございます。
その言葉が、私の胸に深く染み渡る。
王都にいた頃、私の刺繍は「できて当たり前」の教養であり、エドワード様への「義務」だった。感謝されることも、それによって誰かが笑顔になることもなかった。
けれど今、目の前の女性は、私の拙い技術に心からの喜びを見出してくれている。
「……嬉しいわ。誰かの役に立てたのは、久しぶりですもの」
窓から差し込む冬の陽光が、私の指先を照らす。
ふと視線を感じて顔を上げると、廊下の陰からリュカ様がこちらを見ていた。
彼は何も言わなかった。けれど、そのアイスブルーの瞳には、私の小さな一歩を肯定するような、静かな熱が宿っているように見えた。
私は初めて、針を持つ自分の手が、少しだけ好きになれそうな気がした。
第11話をお読みいただきありがとうございます。
地位を失っても失われない、アイリスの確かな技術。
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次話、リュカ様からアイリスへ、驚きの提案がなされます。




