第107話:永遠を縫い止める針
北方の静寂の中で、再び手に取る銀の針。
アイリスが今、その指先で紡ぎ上げるのは、自分を愛してくれた男との「終わらない日常」でした。
北方の離宮に、再び穏やかな冬の陽だまりが戻ってきた。
王宮での喧騒やセレーナの毒々しい香水の残り香は、もうここには届かない。窓の外では静かに雪が降り積もり、暖炉の薪がはぜる音だけが、私とリュカ様の時間を刻んでいる。
「……また、根を詰めているな」
背後から響いたのは、聞き慣れた、けれど以前よりもずっと深い甘さを孕んだ声。
振り返るよりも早く、リュカ様の逞しい腕が私の肩を包み込み、そのまま私を作業椅子ごと抱き寄せた。魔法という奇跡が存在しないこの世界で、彼の体温以上に心を充足させるものは他にない。
「リュカ様……。これは、貴方の新しいガウンですわ。北方の冬を、もっと暖かく過ごしていただきたくて」
私が手にしていたのは、上質な羊毛の生地。その襟元に、私は今、最後の一針を沈めようとしていた。
刺しているのは、もはや誰かに見せびらかすための豪華な意匠ではない。
リュカ様のアイスブルーの瞳を映したような青い糸と、私のアメジストの瞳を模した紫の糸。二つの色が、目立たない場所で複雑に、けれど決して解けないほどに絡み合っている。
「……お前の指先は、休むことを知らんな。王都を平伏させたその手で、今は俺の日常を縫い上げている」
リュカ様は私の手から針をそっと取り上げると、針仕事で少しだけ硬くなった私の指先に、誓うような深い口づけを落とした。
彼の左手の掌。包帯はもう取れているが、そこには今も、私を守り抜いた時の傷跡が、愛の証として刻まれている。
「リュカ様……。私、あの日雨の中で貴方に拾われて、初めて知ったのです。一針一針を紡ぐことが、これほどまでに『幸せ』なことなのだと」
かつての私は、誰かに認められるために針を持っていた。
けれど今は、この男の体温を想い、この男の生活を守るために針を動かしている。
魔法なき世界の、ささやかな、けれど絶対的な「永遠」。
「アイリス……。お前が縫い止めたのは、布だけではない。俺の魂も、未来も、すべてお前の一針によって、この離宮に繋ぎ止められた」
リュカ様は独占欲を滲ませて目を細め、私の顎を持ち上げると、熱い吐息と共に唇を重ねた。
最後の一針が通り、糸を引く。
それは、二人の愛が日常という名の風景に溶け込み、二度と離れることのない「永遠」となった合図だった。
第107話をお読みいただきありがとうございます。
誰かのための豪華なドレスではなく、リュカ様のための「日常着」を縫うアイリス。
その一針に込められた幸せが、読者の皆様にも伝われば幸いです。
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次話、騎士と針子の、騒がしくも愛おしい日々。第108話「騎士と針子の日常」へ。




