第105話:秘密の結婚式(前)
誰にも告げず、二人だけで行う「秘密の結婚式」。
自ら縫い上げた純白のドレスを纏い、アイリスはリュカの腕の中で、本当の人生の幕を開けます。
北方の離宮、その最も古い礼拝堂には、今夜、誰の姿もなかった。
王都のような豪華な列席者も、鳴り響く賛美歌もない。ただ、窓の外で静かに舞い落ちる雪の音と、祭壇に灯された数本の蝋燭だけが、私たちの時間を守っていた。
「……準備は整ったか、アイリス」
控室の扉が開かれ、リュカ様が姿を現した。
彼は漆黒の軍礼装を脱ぎ捨て、今夜のために私が仕立てた、深い濃紺の私的な正装を纏っている。その胸元には、あの日私が贈った、北方の厳しい冬を越えるための茨の刺繍が、月光を吸い込んで静かに息づいていた。
私はゆっくりと立ち上がり、自らの手で縫い上げた「純白の誓い」を翻した。
それは、王都で着せられていたシルクサテンのウェディングドレスではない。
北方の最高級の羊毛を極限まで細く紡ぎ、雪の結晶のような透かし彫りの刺繍を全面に施した、重厚でいて柔らかな純白のドレス。
魔法が使えないこの地において、この布地の重みこそが、私が彼と共に生きる覚悟の重さだった。
「……あ。……言葉を、失うな」
リュカ様のアイスブルーの瞳が、これまでにないほど激しく揺れ、やがて深い熱を持って私を射抜いた。
彼はゆっくりと歩み寄り、包帯の外れた左手で、私の頬にそっと触れた。掌に残る、あの襲撃の際に負った微かな傷跡の感触。それが、どんな高価な宝石よりも雄弁に、私たちの絆を物語っている。
「王宮での煌びやかな夜会など、この一瞬の白さには及ばない。……アイリス、お前は本当に、俺だけのものになったのだな」
独占欲に満ちた、震えるような囁き。
私は彼の手の上に自分の手を重ね、静かに微笑んだ。
「はい、リュカ様。……神に誓うのではなく、この一針一針に、そして貴方のその手の傷に、私の永遠を捧げます」
私たちは二人きりで、雪の降る静寂の中、古い礼拝堂の祭壇へと歩みを進めた。
魔法のない世界。けれど、重なり合う二人の体温だけが、どんな奇跡よりも確かな「誓い」を織り成そうとしていた。
第105話をお読みいただきありがとうございます。
二人きりの、静かで濃厚な結婚式……。
アイリスが自分で縫った「北方の白」が、リュカ様のアイスブルーに溶け合う瞬間です。
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次話、ついに交わされる「永遠の誓い」。第106話「秘密の結婚式(後)」へ。




