姫様は気づかれない
夜。
王宮は、静かに眠っていた。
巡回の兵が一定の間隔で歩き、灯りは最小限に落とされている。
だが――
その静寂の中に、ひとつだけ異物があった。
影。
柱の陰から、すっと滑り出る。
音はない。
気配もない。
ただ、そこに“移動した”という結果だけが残る。
レシティア・パープル。
王国第三姫。
その姿だった。
「……久しぶりね、こういうの」
小さく、呟く。
誰にも聞こえない声。
そのまま、廊下の奥へと進む。
足音は、完全に消している。
呼吸も、魔力も、存在感すらも抑え込む。
(……いるわね)
視線を向ける。
角の先。
見えない位置に、二人。
巡回ではない。
動きが違う。
(……当たりね)
目的地は、すでに決まっている。
地下。
あの“会議”が行われていた場所。
だが、正面からは行かない。
(さすがに、罠くらいはあるでしょう)
壁に手を当てる。
わずかに魔力を流す。
――反応。
(やっぱり)
隠された通路。
仕掛け。
普通なら見つからない。
だが。
「……甘いわね」
軽く押す。
音もなく、壁が開いた。
中へ滑り込む。
閉じる。
完全な闇。
だが姫は迷わない。
(……空気の流れ、足跡、魔力の残滓)
それだけで、道は見える。
進む。
一歩。
また一歩。
その先で――
「……誰だ」
低い声。
止まる。
気づかれた。
だが。
(遅いわね)
次の瞬間。
距離を詰める。
音を置き去りにする速度。
相手が反応するよりも早く、その懐へ。
手刀。
首元。
力は最小限。
だが、正確に。
崩れ落ちる。
もう一人。
振り向く前に、背後へ回る。
視界の外。
同じく、一撃。
静かに、二人が沈む。
(……問題なし)
息を整える。
そして、そのまま奥へ。
やがて。
目的の部屋に辿り着く。
扉の前で、立ち止まる。
中から、声が聞こえる。
「……予定通りだ」
あの声。
地下で聞いた、あの男。
「騎士団は完全に分断された」
「残るは――」
一拍。
「姫のみ」
静かな、殺意。
(……やっぱりね)
姫は、わずかに目を細める。
「今夜、終わらせる」
その言葉で、すべてが確定した。
(……そう)
手を、扉にかける。
開ける必要はない。
中の配置は、すでに把握している。
人数。
位置。
武装。
(四人。全員、戦えるわね)
問題はない。
むしろ。
(ちょうどいいわ)
少しだけ、踏み込む。
――その瞬間。
扉が、内側から開いた。
「誰だ――」
視線が、合う。
一瞬の、静止。
そして。
「――姫!?」
驚愕。
だが、遅い。
床を蹴る。
一人目。
最も近い。
腕を掴み、体勢を崩し、そのまま壁へ。
音を殺して叩きつける。
二人目。
剣を抜く。
だが、その動作より速く間合いへ。
柄を弾き、喉元へ一撃。
沈む。
三人目。
後退しながら魔法を構築。
詠唱。
だが――
「遅いわ」
踏み込む。
詠唱が完成する前に、中心を崩す。
魔力が霧散。
そのまま、意識を刈り取る。
最後。
あの男。
最奥にいた存在。
動かない。
ただ、姫を見ている。
「……なるほど」
低く、呟く。
「本当に、“来る”とはな」
恐怖ではない。
理解。
そして――わずかな興味。
「騎士がいなくても、動くか」
姫は、ゆっくりと立つ。
周囲には、すでに倒れた男たち。
「当然でしょう?」
穏やかに、返す。
「私は、ただ守られているだけではないもの」
その言葉に。
男の目が、細くなる。
「……やはり、危険だ」
次の瞬間。
男が動いた。
速い。
今までの者とは、明らかに違う。
踏み込み。
鋭い一撃。
だが――
受ける。
弾く。
返す。
互角。
いや。
一手、上。
(……少しは、楽しめそうね)
姫は、わずかに笑う。
静かな戦い。
音を殺し、力を抑え、それでも高密度。
数合。
そして。
隙。
ほんの一瞬。
そこを――
「終わりよ」
正確に、突く。
止まる。
男の動きが、完全に止まる。
崩れ落ちる。
沈黙。
すべてが、終わった。
姫は、ゆっくりと息を吐く。
(……思ったより、あっさりね)
だが。
収穫はあった。
「これで、少しは見えてきたわね」
背後で、わずかに気配。
振り返る。
騎士の一人が、そこに立っていた。
「……やはり、来ていましたか」
静かな声。
(……見つかったわね)
姫は、少しだけ肩をすくめる。
「少しだけ、ね」
騎士は、倒れた男たちを見る。
そして。
「……見事です」
短く、そう言った。
その言葉には。
誤解はなかった。
初めて。
正しく、評価された。
姫は、ほんのわずかに目を細める。
「……ありがとう」
静かに返す。
だが。
その直後。
廊下の向こうから、兵たちの足音が近づいてきた。
騒ぎを聞きつけたのだろう。
騎士が、一歩前に出る。
「後は、お任せを」
その言葉に、姫は一瞬だけ考え――
そして、頷く。
「ええ。お願い」
そのまま、影へと戻る。
音もなく、姿を消す。
そして。
数分後。
現場に到着した兵たちが見たものは――
倒れた謎の男たち。
荒れていない部屋。
そして。
静かに立つ、騎士の姿。
「これは……一体……」
誰かが呟く。
騎士は、淡々と答える。
「すでに、解決済みです」
それだけ。
だが。
その報告は、やがてこう変わる。
「姫様が、すべてを見通し――」
「誰にも気づかれず、すべてを終わらせた」
そしてまた。
姫様の伝説が――
静かに、歪んで積み上がっていく。
(……本当に、少ししかやっていないのだけど)
その本音は、やっぱり届かないまま。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
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姫様も、たぶん紅茶片手に「ありがとうございますわ♪」と微笑んでくれるはずです。
それでは、次の物語でまたお会いしましょう。
姫様、御覚悟を──




