偽物の姫様
「――私たちの中に、一人だけレシティアじゃないものがいる」
八百七十一万の声が重なり、星見の神殿を震わせた。
レシティアは白い非常口を見つめたまま動かなかった。騎士団も武器を構えたまま沈黙している。
最初に口を開いたのはガルドだった。
「八百七十一万分の一を探せって?」
観測管理局の男が淡々と答える。
「正確には八百七十一万四千二百六十二存在のうち一体です」
「増やすなよ」
「正確性は重要です」
「今はいらねえよ」
レシティアは黒髪の女を見る。「心当たりは?」
「ありすぎて困ってる」
「絞って」
「掃除屋、境界喰い、観測者、それ以外の外部存在。可能性世界が大量発生した瞬間なら、何が混ざってもおかしくない」
「嫌なものばかりね」
「私もそう思う」
白い扉の向こうから、再び声がした。
「見つけて」
今度は一人の声だった。
「私たちには分からない。だって、みんな自分をレシティアだと思ってるから」
レシティアの眉が僅かに動いた。
「開ける必要があります」
管理局の男が告げる。
剣士騎士が即答した。
「却下する」
「一括処理には必要です」
「八百万人以上の姫様と正体不明の存在がいる場所へ、本人を入れろと?」
「八百七十一万人です」
「訂正するな」
レシティアは少し考えてから尋ねた。「私だけじゃないと駄目?」
「共通基準点があなたですので」
「じゃあ行く」
「姫様」
騎士団全員から同時に声が飛んだ。
「でも、このままだと終わらないでしょう?」
「我々も同行します」
「無理です」と管理局の男。
「なぜ」
「八百七十一万世界すべてに共通して存在する者しか、接続空間では存在を維持できません」
沈黙。
レシティアは騎士団を見る。
「……一人で行くしかないみたい」
剣士騎士は納得していない。それでも今までのように、ただ駄目だとは言わなかった。
「必ず戻ってください」
「もちろん」
「約束してください」
「約束する」
そこで黒髪の女が手を挙げた。
「私も行ける」
全員が見る。
「非常口を作ったのは私だから、全世界に痕跡がある。たぶん接続空間でも消えない」
剣士騎士が即座に言う。
「姫様をお願いします」
「急に信頼重いな」
「お願いします」
「……分かった」
レシティアが非常口の取っ手に触れる。
影が足元から顔を出した。
「私も」
「あなたは?」
「影だから、あなたがいればいる」
管理局の男が確認する。「理論上は可能です」
「じゃあ一緒ね」
「うん」
エリシアがレシティアを見る。
「帰ってきて」
「帰ってくるわ」
「絶対?」
「絶対」
エリシアはそれ以上言わなかった。
レシティアが扉を開く。
その向こうにあったのは、白い空間ではなかった。
無数の扉。
上も下も、右も左もない空間に、数え切れないほどの白い扉が浮かんでいる。
その一枚一枚の前に。
レシティアが立っていた。
幼いレシティア。老いたレシティア。女王になったレシティア。冒険者らしい服を着たレシティア。片腕のないレシティア。眼鏡をかけたレシティア。妙に筋肉質なレシティア。
「……最後の私、何があったの?」
筋肉質なレシティアが答えた。
「色々」
「そう……」
黒髪の女が肩を震わせている。
「笑わないで」
「ごめん」
八百万人以上のレシティアが、一斉にこちらを見た。
普通なら恐ろしい光景だった。
本人にとっても恐ろしかった。
「私って、こんなにいると怖いのね」
「気づいた?」
「一人でよかったわ」
足元の影が言う。
「私もそう思う」
「あなたまで?」
その時、一人のレシティアが前へ出た。
十二歳ほど。
「偽物を見つけないと、一括処理できない」
「どうして?」
「混ざったまま処理したら、それも正式な世界として登録されるから」
黒髪の女の表情が変わる。
「つまり侵入者に世界を一個プレゼントすることになる」
「そう」
「それは駄目ね」
レシティアは周囲を見回した。
「でも、どうやって見つけるの?」
十二歳のレシティア。
「分からない」
老いたレシティア。
「見た目は全員同じ存在として認識されてる」
女王のレシティア。
「記憶を調べても駄目。偽物自身が自分を本物だと思っている」
現在のレシティアは少し考えた。
そして言った。
「じゃあ、質問する」
黒髪の女。
「何を?」
「私なら答えられる質問」
周囲のレシティアたちがざわめく。
「好きな食べ物?」
「世界によって変わる」
「家族?」
「歴史が違う」
「騎士団?」
「存在しない世界もある」
レシティアは腕を組んだ。
共通するもの。
世界が違っても。
年齢が違っても。
経験が違っても。
自分なら。
「……分かった」
黒髪の女が見る。
「何?」
レシティアは八百万人の自分へ問いかけた。
「あなたは何者?」
静かになった。
そして答えが返ってくる。
「第三王女」
「女王」
「冒険者」
「ただの旅人」
「魔法使い」
「母親」
「騎士」
「無職」
レシティア。
「最後の私、大丈夫?」
遠くから声。
「大丈夫じゃない!」
「頑張って!」
「ありがとう!」
黒髪の女が頭を抱える。
「話進めよう?」
答えはバラバラだった。
しかし最後に、ほとんど全員が同じことを付け加えた。
「でも、私はレシティア」
女王でも。
母親でも。
冒険者でも。
何者でもなくても。
最後は同じ。
私はレシティア。
黒髪の女が気づく。
「なるほど」
レシティアも頷く。
「役割じゃなくて、自分の名前」
八百万人。
確認していく。
全員。
「私はレシティア」
「私はレシティア」
「私はレシティア」
声が重なる。
そして。
一人だけ。
答えなかった。
遠く。
無数のレシティアの中。
紫色の服を着た少女。
見た目は同じ。
年齢も同じ。
顔も同じ。
でも。
黙っている。
レシティアが近づく。
「あなたは?」
少女は少し考えた。
「レシティア」
「遅かったわね」
「考えてただけ」
「何を?」
少女。
笑う。
「どの答えなら、あなたが信じるか」
黒髪の女が叫ぶ。
「離れて!」
少女の身体が崩れた。
紫色の皮膚の下から。
黒。
影。
無数の目。
無数の口。
そして、その中心に。
小さな。
巨大な瞳と同じ目。
レシティアは剣を抜く。
「観測者?」
黒髪の女。
「違う」
「じゃあ何?」
少女だったものが笑う。
「観測されたもの」
それは自分の胸を開いた。
中には。
世界。
一つ。
星。
国。
人。
全部。
存在している。
「観測者は世界を見る」
声が幾重にも重なる。
「見たものを記録する」
「記録されたものは確定する」
「なら」
「記録された世界そのものが」
「見る側になったら?」
黒髪の女の顔色が変わる。
「観測の複製……」
怪物は笑った。
「私は世界」
「私は観測者」
「私はレシティア」
レシティア。
「最後は違うわ」
怪物。
止まる。
「何が?」
「あなたは私じゃない」
「なぜ?」
「さっき言ったでしょう?」
剣を構える。
「私なら、自分がレシティアかどうかを他人に決めてもらおうとしない」
一瞬。
怪物の笑みが消えた。
足元の影が嬉しそうに言う。
「それ、分かる」
黒髪の女。
「私も」
怪物。
「……不合理」
レシティア。
「よく言われる」
怪物の身体が膨らむ。
周囲の可能性世界へ黒い糸が伸びる。
黒髪の女が叫ぶ。
「まずい! 世界を取り込む気だ!」
レシティアは走る。
しかし怪物は笑った。
「遅い」
黒い糸が八百七十一万の扉へ向かう。
その瞬間。
全ての扉が。
一斉に閉じた。
怪物。
「……?」
八百万人のレシティアが、それぞれ自分の扉の前に立っていた。
十二歳のレシティアが言う。
「私の世界」
女王が言う。
「私の国」
母親のレシティアが言う。
「私の家族」
無職のレシティア。
「私の……部屋」
現在のレシティア。
「頑張って」
「ありがとう!」
そして。
八百万人。
同時に。
「勝手に入らないで」
黒い糸。
全て。
弾かれた。
怪物の身体に亀裂が入る。
「なぜ」
レシティアは剣を向けた。
「簡単でしょう?」
「みんな私だけど」
一拍。
「もう、別々の人生を生きてるから」
黒髪の女が笑う。
「世界固有の境界」
管理局が求めていた登録条件。
それが。
今。
全世界で。
同時に成立した。
空間に文字が浮かぶ。
《個別世界境界:確立》
《独立時間軸:確立》
《存続意思:確認》
《一括登録条件》
《成立》
怪物。
初めて。
後退する。
レシティア。
笑う。
「今度は」
「あなたの番ね」
「自分が何なのか」
一拍。
「ちゃんと考えなさい」
怪物の無数の目が。
一斉に。
レシティアを見る。
そして。
初めて。
答えに。
詰まった。




