音のない世界
世界から。
すべての音が。
消えた。
レシティアは。
最初。
自分の耳がおかしくなったのだと思った。
口を開く。
「――」
何も聞こえない。
剣士騎士が何か叫んでいる。
女性騎士も。
セラフィナも。
リベルも。
全員。
口は動いている。
だが。
無音。
風が吹く。
音がない。
崩れた石が地面へ落ちる。
音がない。
巨大な手が空を裂く。
音がない。
それどころか。
剣と剣がぶつかっても。
爆発が起きても。
何も聞こえない。
世界が。
死んだように静かだった。
レシティアは。
自分の胸へ手を当てる。
鼓動。
感じる。
でも。
聞こえない。
妙な感覚。
そして。
空。
世界を終わらせる存在。
表面の文字が変わる。
《音》
《削除完了》
次。
《重力》
リベルが。
それを見た瞬間。
顔色を変えた。
口を動かす。
読唇。
レシティアには分からない。
しかし。
魔法騎士がすぐに反応した。
地面へ杖を突く。
魔法陣。
大きく。
全員の足元。
次の瞬間。
世界から。
重力が消えた。
身体が浮く。
石。
砂。
武器。
水。
全部。
上へ。
いや。
上という概念すら。
少し曖昧になる。
「――!」
セラフィナが慌てて翼を広げる。
しかし。
空気を掴めない。
飛ぶのとは違う。
ただ。
漂う。
女性騎士が。
レシティアの腕を掴む。
剣士騎士も。
魔法騎士が作った術式。
人工重力。
その範囲だけ。
なんとか地面へ留まる。
ガルドは。
普通に空中で腕を組んでいた。
六本全部。
なぜか。
平然としている。
レシティアが口を動かす。
「平気なの?」
もちろん。
聞こえない。
ガルドは。
なぜか意味を理解したらしい。
口を動かす。
「外の存在だから」
多分。
そう言った。
黒髪の女も。
扉の向こうでは普通に立っている。
この世界の法則が消えても。
影響を受けない。
銀髪の女は違った。
星泉の水面ごと。
ゆっくり浮き上がっている。
彼女も。
こちら側の法則に縛られている。
表情。
怒り。
いや。
焦り。
初めて。
彼女も。
自分が消される側だと理解した。
空。
文字。
《重力》
《削除完了》
次。
《熱》
黒髪の女が。
顔色を変える。
今度は。
声がないのに。
はっきり分かった。
「駄目」
その瞬間。
世界から。
熱が消えた。
炎が消える。
冷たい。
ではない。
温かい。
でもない。
熱という差が。
存在しなくなった。
人間の身体。
本来なら。
生きていられない。
だが。
まだ。
生きている。
なぜ?
レシティアが自分の手を見る。
紫と黒。
胸の奥。
非常口。
そこから。
小さな光が。
全員へ伸びていた。
糸。
騎士団。
リベル。
セラフィナ。
ルミエル。
ゼフィール。
少女。
フェンリオ。
銀髪の女にまで。
繋がっている。
黒髪の女が。
それを見る。
そして。
笑った。
レシティア。
意味が分からない。
だが。
なんとなく。
分かった。
「……避難?」
非常口。
世界の外。
本来。
逃げるためのもの。
今。
消され始めた世界の法則から。
周囲の人々だけを。
少しずつ。
外側へ逃がしている。
身体は。
まだこちら。
でも。
存在の一部。
生命を支える部分だけ。
世界の外へ。
避難させている。
だから。
音がなくても。
重力がなくても。
熱がなくても。
まだ生きている。
黒髪の女が。
口を動かした。
「使えてる」
レシティアは首を振る。
「勝手に」
女が。
笑う。
「それでいい」
空。
次の文字。
《光》
リベルが。
絶望した顔をする。
光。
消されたら。
見えない。
それだけではない。
植物。
魔法。
星。
観測。
世界を成立させる。
大量の仕組み。
黒髪の女が。
扉を叩く。
何か叫ぶ。
ガルドも。
空へ向けて攻撃。
拳。
一発。
巨大な手へ。
歪む。
しかし。
止まらない。
《光》
《削除開始》
レシティアは。
空を見る。
そして。
初めて。
怒った。
「……嫌」
聞こえない。
でも。
確かに。
言った。
「勝手に」
一歩。
浮いた石の上。
「消さないで」
胸の奥。
黒い光。
強くなる。
非常口。
背後。
大きく。
開く。
白い空間。
その向こう。
三本角の男だけではない。
さらに。
二つの影。
一つは。
巨大な鳥。
羽が。
星空そのもの。
もう一つ。
人型。
でも。
頭部が。
何百もの輪でできている。
黒髪の女が。
手を上げる。
「今」
そう言ったように見えた。
三体。
世界の外の存在。
こちらへ。
入る。
その瞬間。
空の掃除屋が。
初めて。
後退した。
巨大な手。
数センチ。
ほんの少し。
でも。
確かに。
下がった。
ガルドが。
笑う。
音はない。
六本の腕。
全部。
指を鳴らした。
もちろん。
音はしない。
星空の鳥。
翼を広げる。
光。
いや。
光が消されかけているのに。
見える。
世界の外の光。
掃除屋の腕へ。
降り注ぐ。
輪の頭を持つ人型。
両手。
広げる。
空の裂け目。
固定。
閉じられなくする。
逃げ道を塞いだ。
黒髪の女が。
レシティアを見る。
そして。
手で。
簡単な合図。
押す。
レシティアは理解した。
「外へ」
非常口。
世界の内側から。
外側へ。
掃除屋を。
押し戻す。
レシティアは。
右手を伸ばした。
でも。
剣士騎士が。
その腕を掴む。
レシティアが見る。
騎士。
首を横へ振る。
無理するな。
そう言っている。
レシティアも。
首を振る。
大丈夫。
騎士。
さらに。
強く首を横へ。
駄目。
レシティア。
少し困る。
こういう時。
音がないのは。
不便だった。
女性騎士まで。
反対側の腕を掴む。
魔法騎士。
前へ。
諜報騎士。
後ろ。
完全に。
囲まれた。
レシティアは。
目を細める。
「……もう」
聞こえない。
でも。
表情だけで。
騎士団は理解した。
姫様が。
怒っている。
少し。
違う。
拗ねている。
剣士騎士は。
一度。
目を閉じる。
そして。
仕方ない。
そんな顔。
剣を抜く。
女性騎士。
盾。
魔法騎士。
術式。
諜報騎士。
位置取り。
姫様だけに。
やらせない。
なら。
一緒に。
それなら。
許す。
レシティアは。
笑った。
銀髪の女。
その光景を。
見ていた。
世界が。
消されている。
自分も。
いつ消えるか分からない。
なのに。
騎士団は。
一人の姫の周りにいる。
レシティアは。
彼らを置いて逃げない。
黒髪の女は。
そんなレシティアを。
逃がすために。
昔。
全部を切った。
銀髪の女の瞳。
揺れる。
「……ずるい」
声は。
聞こえない。
でも。
唇。
そう動いた。
黒髪の女が。
気づく。
銀髪の女は。
黒髪の女を見る。
「私には」
「いなかった」
黒髪の女の表情が。
止まる。
銀髪の女。
笑う。
悲しく。
「守る人も」
「止める人も」
「怒る人も」
「誰も」
黒髪の女。
何も言えない。
空。
掃除屋。
文字。
《光》
《削除――》
止まる。
文字が。
乱れる。
《外部干渉》
《不正》
《不正》
《不正》
ガルド。
星鳥。
輪の人型。
三体の攻撃。
同時。
巨大な腕。
押される。
掃除屋。
空の裂け目へ。
戻されていく。
しかし。
まだ。
足りない。
レシティア。
非常口。
力。
繋ぐ。
騎士団。
魔力。
乗せる。
魔法騎士が。
術式。
非常口そのものへ。
姫の魔力。
騎士団。
世界の外。
三つ。
一つになる。
そして。
レシティアが。
手を。
前へ。
押す。
世界が。
一瞬。
白くなる。
音。
ない。
光。
消されかけている。
それでも。
分かる。
掃除屋の巨大な腕。
裂け目。
外へ。
押し戻される。
五本の指。
手首。
腕。
消えていく。
最後。
巨大な顔。
表面の文字。
《廃棄処理》
《中断》
《外口》
《所有権》
文字が。
変わる。
《不明》
そして。
最後。
レシティアへ。
《再確認対象》
空の裂け目。
閉じる。
輪の人型が。
固定を解除。
星鳥。
翼を畳む。
ガルド。
六本の腕。
下ろす。
裂け目。
完全に。
消えた。
数秒。
何も。
起きない。
そして。
世界に。
音が。
戻った。
ドォォォォォォォン!!
一気に。
全部。
戻る。
風。
石。
水。
呼吸。
叫び。
魔法。
衝撃。
「姫様!!」
騎士団の声。
一番に聞こえた。
レシティアは。
思わず笑った。
「うるさいわ」
「申し訳ありません!」
「でも」
少し。
泣きそうな。
笑顔。
「聞こえる方がいい」
重力。
戻る。
浮いていた石が。
落ちる。
ドドドドドッ!
「危ない!」
女性騎士。
盾。
全員を守る。
熱。
戻る。
炎。
色。
戻る。
赤。
血。
花。
夕焼け。
世界。
少しずつ。
元へ。
《復元中》
どこか。
空中に。
文字。
掃除屋が。
途中まで削除したもの。
非常口を通して。
外側から。
戻されている。
黒髪の女が。
笑う。
「よかった」
レシティアが。
扉を見る。
「あなたが?」
「違う」
女は。
レシティアを見る。
「あなた」
「私?」
「うん」
「外口が覚えてた」
「何を?」
「消される前の世界」
レシティア。
少し。
驚く。
非常口。
逃げるため。
でも。
外へ出せる。
外から入れられる。
そして。
消えたものを。
一時的に。
外へ保存することも。
できる。
「……便利ね」
黒髪の女。
「でしょ?」
「説明しておいてほしかったわ」
「ごめん」
軽かった。
その時。
銀髪の女が。
膝をついた。
レシティアが。
振り向く。
「大丈夫?」
騎士団。
警戒。
銀髪の女は。
自分の手を見る。
赤い。
血。
戻っている。
「……残った」
レシティアが。
首を傾げる。
「何が?」
「私」
銀髪の女。
笑う。
「消えなかった」
そして。
突然。
泣いた。
静かに。
「……なんで」
黒髪の女が。
扉の向こう。
動かない。
銀髪の女が。
彼女を見る。
「なんで」
「私まで戻したの」
レシティア。
少し困る。
「だって」
「いたから」
銀髪の女。
止まる。
「敵よ」
「そうね」
「あなたを奪おうとした」
「そうね」
「容器って呼んだ」
「それはちょっと嫌だったわ」
「じゃあ!」
レシティアは。
少し考え。
「でも」
「消えていい理由にはならないでしょう?」
銀髪の女。
言葉を失う。
黒髪の女が。
顔を手で覆った。
ガルドが。
横から。
「泣いてんの?」
「違う」
「泣いてるじゃん」
「違う」
「声震えてるぞ」
「殴るよ」
「外から?」
「行ける」
「ごめん」
ガルド。
謝る。
早い。
地下から。
大きいおじさん。
声。
『……馬鹿ばかりだ』
少女が。
床へ。
「おじさんも?」
『私は違う』
「鎖いっぱいついてるのに?」
『関係ない』
「出たい?」
『出たくない』
「ほんと?」
長い沈黙。
『……今は』
少女が。
にやり。
「出たいんだ」
『違う』
「出たいんだー」
『黙れ』
神殿。
少し。
揺れる。
レシティアが。
笑った。
だが。
終わっていなかった。
リベルが。
星泉を見る。
「……待ってください」
全員が振り向く。
黒く染まっていた星泉。
色。
戻っている。
透明。
でも。
水底。
何か。
文字。
《封印残存率》
数字。
《99.9994%》
そして。
《99.9993%》
減っている。
少女の笑顔が。
消える。
地下。
大きいおじさんも。
沈黙。
レシティアが。
尋ねる。
「まだ?」
リベルが。
数字を見る。
「掃除屋とは」
「別です」
つまり。
世界を消そうとした存在を。
追い返しても。
地下の封印は。
まだ。
壊れ続けている。
そして。
黒髪の女が。
初めて。
扉の向こうから。
地下を見る。
真剣な顔。
「ねえ」
地下の存在へ。
「あなた」
返事。
『何だ』
「さっきから」
一拍。
「鎖を食べてるの」
「本当にあの子だけ?」
少女が。
固まる。
『……。』
長い。
沈黙。
ガルドが。
笑わない。
黒髪の女。
表情。
険しい。
「答えて」
地下から。
ゆっくり。
声。
『違う』
全員が。
止まる。
『あの子が切ったのは』
『一本だけだ』
少女。
「うん」
レシティアが。
星泉の数字を見る。
ずっと。
減っている。
「じゃあ」
「誰が?」
地下から。
声。
低い。
今までより。
ずっと。
警戒。
『知らん』
『だから』
『私は』
『ここから動けない』
レシティアの表情が。
変わる。
大きいおじさんが。
封印されているのではない。
もちろん。
それもある。
でも。
同時に。
何かを。
地下で。
見張っている。
『私の鎖が切れれば』
一拍。
『あれも』
『出てくる』
少女が。
震える。
「……あれ?」
大きいおじさん。
答えた。
『私が』
『千二百年』
『食い続けているものだ』
静寂。
そして。
レシティアは。
思い出した。
少女の言葉。
大きいおじさんは。
白い存在を。
食べていた。
何度殺しても戻るものを。
ずっと。
ずっと。
食べ続けていた。
では。
地下には。
一体。
何匹いる?
『紫の娘』
レシティア。
「なに?」
『神殿を離れろ』
今度は。
命令ではなかった。
懇願。
『頼む』
『今度こそ』
『ここから』
『遠くへ行け』
その瞬間。
《99.9992%》
数字が。
下がる。
そして。
地の底。
暗闇。
大きいおじさんの目の前。
何万本もの鎖の向こう。
無数の。
白い顔。
全部。
口だけ。
ゆっくり。
開いた。
「み」
一体。
声。
「つ」
二体。
「け」
十体。
「た」
何百。
何千。
そして。
一斉に。
笑った。
「紫の子、見つけた」




