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帰っておいで

「帰っておいで」


その声を聞いた瞬間。


レシティアの胸の奥で。


何かが。


確かに。


返事をした。


ドクン。


心臓とは違う。


もっと深い。


身体の中ではないような。


それでも。


自分の中にある。


そんな場所。


レシティアは胸元を押さえた。


「……今」


少女が青ざめる。


「返事した?」


レシティアはゆっくり頷いた。


「たぶん」


「何が?」


「分からない」


騎士団が一斉に振り返る。


剣士騎士の表情が変わった。


「姫様」


「大丈夫」


「大丈夫ではありません」


最近。


このやり取りが多い。


だが今回は。


誰も笑わなかった。


星泉の水面。


女が微笑んでいる。


「聞こえたでしょう?」


レシティアが女を見る。


「あなたは誰?」


「まだ分からない?」


「分からないわ」


女の表情が。


少しだけ寂しそうになった。


「そう」


「随分、綺麗に消したのね」


「何を?」


女は答えない。


代わりに。


水面から片手を出した。


本当に。


手が。


泉の外へ出てきた。


リベルが叫ぶ。


「離れてください!」


フェンリオも咆哮する。


『触れさせるな!』


女性騎士が即座にレシティアの前へ立つ。


盾。


魔法騎士が結界。


剣士騎士が剣を構える。


だが。


女は笑った。


「相変わらずね」


その言葉。


騎士たちは眉をひそめる。


「何がだ」


剣士騎士が低く尋ねる。


女は。


レシティアではなく。


騎士団を見る。


「この子の周りには」


「いつも誰かいる」


沈黙。


「昔も」


リベルの表情が変わった。


「……昔?」


女はそれ以上言わない。


⸻


空では。


巨大な指がもう一度動いた。


先ほど。


剣士騎士が傷をつけた場所。


白い液体。


それが逆流する。


傷が塞がる。


ゼフィールが上空を見上げる。


「再生するのか」


ルミエルが首を横に振る。


「違います」


「時間が戻っています」


「時間?」


「傷つく前へ」


ゼフィールが顔をしかめる。


「最悪だな」


巨大な指。


再び無傷。


そして。


神殿へ向けて。


落ちる。


「迎撃!」


魔法騎士の声。


神殿前。


複数の魔法陣。


炎。


雷。


氷。


光。


一斉射撃。


ドドドドドドッ!!


巨大な指が止まる。


女性騎士が地面を蹴る。


盾を。


下から叩き上げる。


轟音。


巨大な指が。


わずかに浮く。


ゼフィールが目を見開く。


「押し返した?」


「まだです!」


女性騎士が叫ぶ。


剣士騎士。


横から。


斬撃。


一本。


二本。


三本。


傷が走る。


しかし。


また。


時間が戻る。


傷が消える。


魔法騎士が分析する。


「再生ではありません!」


「対象の時間だけが巻き戻されています!」


「なら」


諜報騎士の声。


いつの間にか。


巨大な指の上。


「戻す前に」


短剣が。


何かを刺した。


見えない。


だが。


空間が揺れる。


巨大な指が。


初めて。


震えた。


『――』


声。


空の向こう。


巨大な存在が。


何かを発した。


諜報騎士が跳ぶ。


その直後。


指の表面。


一点だけ。


黒く変色した。


魔法騎士が気づく。


「時間逆行が止まっています」


剣士騎士が見る。


「何をした」


諜報騎士が着地。


「流れを固定しました」


「どれくらい?」


「十秒ほど」


剣士騎士が笑う。


「十分だ」


⸻


十秒。


騎士団が動く。


巨大な指一本へ。


五人。


一斉攻撃。


一秒。


魔法騎士。


空間拘束。


二秒。


女性騎士。


基部を固定。


三秒。


諜報騎士。


時間逆行術式の核を破壊。


四秒。


剣士騎士。


構える。


五秒。


一閃。


六秒。


空が。


切れた。


巨大な指が。


根元から。


落ちた。


ドォォォォォン!!


山が揺れる。


神殿前へ。


巨大な指が転がる。


七秒。


八秒。


九秒。


そして。


十秒。


時間逆行。


発動しない。


切断された指は。


そのまま。


空の裂け目の向こうから。


初めて。


声が聞こえた。


『痛い』


低くもない。


高くもない。


男でも。


女でもない。


ただ。


幼い。


そんな声。


セラフィナが固まる。


「……喋った」


ゼフィールが笑みを消す。


「嫌な声だな」


⸻


星泉の女は。


騎士団の戦いを見ていた。


「強くなったのね」


レシティアが聞き逃さなかった。


「知ってるの?」


女が見る。


「何を?」


「私の騎士たちを」


女は微笑む。


「知らない」


「じゃあ」


「でも」


水面が揺れる。


「似た人たちは知ってる」


リベルが一歩前へ。


「あなたは」


「いつの時代の存在です?」


女は首を傾げる。


「時代?」


まるで。


その概念自体が。


あまり重要ではないように。


「分からないわ」


「眠っていたもの」


「長く」


「とても長く」


そして。


レシティアを見る。


「あなたが戻るまで」


「私は戻ってない」


「そうね」


女は。


あっさり認めた。


「あなたは」


「戻ってきたんじゃない」


一拍。


「作り直されたのね」


空気が凍った。


⸻


剣士騎士が。


女へ剣を向ける。


「言葉を選べ」


「事実よ」


「姫様を物のように言うな」


女は。


少し驚いた顔。


そして。


笑った。


「好きなのね」


「当然だ」


即答。


レシティアが少し困る。


「そこは即答なのね」


「はい」


「恥ずかしいわ」


「申し訳ありません」


全く申し訳なさそうではない。


女は。


そのやり取りを。


不思議そうに見ていた。


「変わった」


「何が?」


レシティアが聞く。


「あなた」


「昔より」


また。


昔。


⸻


少女が。


突然。


レシティアの前へ出た。


「騙されちゃ駄目」


「……。」


星泉の女の表情が変わる。


初めて。


露骨な嫌悪。


「それ」


「まだ生きていたの」


少女も睨む。


「そっちこそ」


「まだいたんだ」


レシティアが二人を見る。


「知り合い?」


同時に。


「違う」


「違うよ」


息だけは合っていた。


ゼフィールが小声で。


「絶対知り合いだろ」


ルミエルが頷く。


⸻


女が少女を見る。


「あなたは返却対象よ」


少女がレシティアの服を掴む。


「やだ」


「あなたの意思は関係ない」


「あるもん」


「ない」


「ある!」


「ないわ」


「ある!」


「子どもの喧嘩みたいになってるわよ」


レシティアが止めた。


二人とも黙った。


妙に素直だった。


「まず」


レシティアは女を見る。


「この子をどうするつもり?」


「戻すだけ」


「どこへ?」


「元の場所」


「地下?」


「違う」


女は。


空の裂け目を見る。


「もっと外」


リベルが震えた。


「……世界の外?」


女が微笑む。


「あなたは賢いのね」


「世界の外って何?」


レシティアが尋ねる。


女は答える。


「ここではないところ」


「神代も」


「この世界も」


「あなたたちの時間も」


「全部」


「箱の内側」


そして。


空を指す。


「私たちは」


「箱の外から来た」


⸻


沈黙。


セラフィナが。


小さく聞く。


「じゃあ」


「神様?」


女は笑った。


「違う」


「神は」


「あなたたちが作った名前でしょう?」


「私たちは」


少し考える。


「作る側」


少女が吐き捨てる。


「壊す側でしょ」


女の笑顔が消えた。


⸻


その瞬間。


空の裂け目が。


さらに広がった。


ビリビリビリ――!


巨大な指。


二本目。


三本目。


今度は。


手。


全体が。


こちら側へ入ってこようとしている。


フェンリオが叫ぶ。


『来るぞ!』


神殿の防衛機構。


再起動。


だが。


先ほどより。


明らかに弱い。


結界は破壊済み。


星撃砲も。


半数以上が停止。


リベルが判断する。


「撤退を!」


剣士騎士が首を横へ振る。


「無理だ」


「なぜ!」


「姫様がいる」


「だからです!」


「姫様を守りながら下がるには」


巨大な手を見る。


「距離が足りない」


女性騎士が盾を構える。


「ここで止めます」


魔法騎士も。


「同意します」


諜報騎士。


「同じく」


誰も迷わない。


レシティアが。


その背中を見る。


そして。


剣士騎士の頬。


先ほどできた傷。


僅かに血。


「……。」


また。


レシティアの表情が変わる。


少女が気づく。


「怒った?」


「少し」


「どれくらい?」


「かなり」


少女が一歩離れた。


賢明だった。


⸻


レシティアが前へ出る。


剣士騎士が即座に止める。


「姫様」


「今回は駄目」


「何がでしょう」


「あなたたち」


巨大な手を見る。


「勝てる?」


沈黙。


剣士騎士は。


嘘をつかなかった。


「分かりません」


レシティアが頷く。


「なら」


「私もやる」


「姫様」


「命令よ」


騎士団が止まる。


珍しい。


レシティアが。


はっきり。


命令と言った。


「一人で戦わない」


騎士たちを見る。


「私も一緒」


誰も反論しなかった。


いや。


できなかった。


剣士騎士は。


少しだけ笑う。


「承知しました」


「ただし」


「何?」


「我々より前へ出ないでください」


「努力するわ」


「約束してください」


「……約束する」


女性騎士が小声で。


「少し間がありましたね」


「気のせいよ」


⸻


巨大な手が。


神殿へ。


落ちる。


レシティアは。


右手を上げた。


魔力。


以前より。


少ない。


星泉で。


十分の一を失った。


それでも。


集まる。


紫。


淡い光。


だが。


その瞬間。


胸の奥。


あの何か。


ドクン。


また。


脈打つ。


レシティアの魔力に。


黒いものが混ざった。


リベルが叫ぶ。


「待って!」


遅い。


レシティアの右手から。


光が放たれる。


攻撃ではない。


ただ。


一本の線。


紫と黒。


それが。


巨大な手へ触れた。


そして。


何も起きなかった。


「……?」


セラフィナが目を瞬かせる。


巨大な手は。


そのまま。


降りてくる。


騎士団が構える。


だが。


三秒後。


手が。


止まった。


空中で。


完全に。


⸻


『……何をした』


空の向こう。


声。


今度は。


はっきりしている。


レシティアが。


自分の手を見る。


「分からない」


『返せ』


「またそれ?」


『それは』


声が。


震える。


恐怖?


『お前のものではない』


レシティアの胸。


黒い光。


僅かに。


漏れている。


少女が。


目を見開いた。


「……鍵じゃない」


「え?」


「間違えた」


少女が。


後退する。


「それ」


「鍵じゃない」


「じゃあ何?」


少女は。


レシティアを見る。


「扉」


静寂。


⸻


星泉の女。


笑顔が。


完全に消えた。


「誰が」


初めて。


声が震える。


「誰がそれを」


レシティアは答えられない。


女が。


水面から身を乗り出す。


「誰があなたに、それを入れたの!」


怒鳴った。


同時に。


レシティアの脳裏。


また。


記憶。


知らない手。


赤ん坊。


紫の毛布。


そして。


あの声。


『これで』


『次は自由に生きられる』


さらに。


今まで見えなかった。


相手の顔。


一瞬だけ。


見えた。


黒い髪。


笑っている女。


そして。


その女が。


赤ん坊へ。


最後に言った。


『来世くらい』


『好きに生きなさい』


レシティアの目が。


見開かれる。


「……。」


星泉の女が。


水面越しに。


レシティアを凝視する。


「その顔」


「何を見たの?」


レシティアは。


ゆっくり。


答えた。


「あなたじゃない人」


女の瞳が細くなる。


「どんな?」


「黒い髪」


その瞬間。


星泉の女が。


固まった。


少女も。


地下。


大きいおじさんも。


空の向こうの存在さえ。


まるで。


同時に。


その言葉を聞いたように。


世界が。


静かになった。


レシティアは続ける。


「その人が」


自分の胸へ触れる。


「これを入れた」


女の唇が。


震えた。


「……嘘」


初めて。


そこにあったのは。


怒りでも。


喜びでも。


余裕でもない。


恐怖。


「そんなはずない」


「だって」


女は一歩。


後退した。


「私は」


「私たちは」


そして。


声を失う。


代わりに。


地下から。


大地を震わせる。


笑い声。


『……は』


『はは』


『ははははははは!!』


大きいおじさん。


初めて。


心から。


笑っていた。


少女が床を見る。


「おじさん?」


地の底から。


声。


今度は。


レシティアにも。


聞こえた。


『やっと分かった』


レシティアが。


足元を見る。


『紫の娘』


『お前は』


一拍。


『あいつの生まれ変わりではない』


リベルが息を呑む。


『器でもない』


『後継者でもない』


星泉の女が叫ぶ。


「黙れ!」


だが。


地下の声は。


笑う。


『あいつは』


『自分が戻る道を作ったんじゃない』


そして。


レシティアの胸。


黒い光が。


さらに強くなる。


『自分が二度と戻れないように』


『お前を作ったんだ』


レシティアは。


何も言えない。


そして。


星泉の女が。


呟いた。


「……最初の客人」


その呼び名を。


初めて。


恐れるように。


「何をしたの」


答えは。


地の底から。


返ってきた。


『世界に』


『出口を作った』


その瞬間。


レシティアの背後。


何もない空間に。


一枚の扉が。


現れた。


古びた。


小さな。


どこにでもありそうな木の扉。


取っ手には。


一枚の札。


神代以前の文字。


誰にも読めない。


ただ。


レシティアだけが。


自然に。


読み上げた。


「――非常口」


扉の向こうから。


風が吹いた。


この世界には。


存在しないはずの。


風が。

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