姫様は休めない
翌朝。
アステリア王城。
「姫様。」
「はい。」
「本日は休養日です。」
「……はい?」
レシティアは朝食のパンを持ったまま固まった。
目の前には姫直属騎士団。
全員。
妙に真剣な顔をしている。
「昨日、姫様の魔力総量が減少していることが判明しました。」
「その後、フィオナ王女の呪術を直接破壊。」
「さらに魔力を消耗されています。」
「ですので。」
女性騎士が言い切る。
「本日は何もしないでください。」
「何もしない?」
「はい。」
「散歩は?」
「城内のみ。」
「街は?」
「駄目です。」
「図書館。」
「二時間まで。」
「お菓子を買いに――」
「我々が買ってまいります。」
「……。」
レシティアはパンを一口齧った。
「監禁みたい。」
「療養です。」
即答だった。
セラフィナが隣で笑いを堪えている。
「笑ったでしょう?」
「笑ってません。」
「笑ったわ。」
「少しだけ。」
レシティアは頬を膨らませた。
その頃。
フィオナも目を覚ましていた。
呪いは完全に消えている。
ただし三か月も身体を蝕まれていたため、まだ立ち上がることはできない。
「お姉様は?」
目覚めて最初の言葉がそれだった。
侍女が微笑む。
「隣のお部屋で朝食を。」
「会いたいです。」
「侍医から安静にするよう言われております。」
「少しだけ。」
「駄目です。」
「……。」
フィオナは布団の中へ沈んだ。
奇しくも。
隣の部屋では。
レシティアも似たような顔をしていた。
昼前。
レシティアは神代図書館へ向かった。
もちろん。
騎士が三人ついている。
「三人も必要?」
「必要です。」
「城の地下よ?」
「地下だからこそです。」
「私、逃げないわよ。」
「昨日『お菓子を買いに行く』と仰いました。」
「あれは相談よ。」
「目が本気でした。」
レシティアは黙った。
図星だった。
神代図書館。
扉を開けると。
管理者の本が飛んできた。
『おはようございます。』
「おはよう。」
『体調は?』
「元気よ。」
騎士たちが後ろから答える。
「元気ではありません。」
『なるほど。』
「管理者さん?」
『騎士団を支持します。』
「裏切り者。」
『私は図書館です。』
「関係ないでしょう。」
『あります。』
いつの間にか。
レシティアと図書館は、かなり気安い関係になっていた。
奥からリベルが現れる。
大量の本を抱えていた。
「調べていました。」
レシティアが椅子へ座る。
「昨日のこと?」
「はい。」
机へ本が積まれる。
十冊。
二十冊。
五十冊。
「……全部読むの?」
「私は読みました。」
「いつ?」
「昨夜。」
「寝てないでしょう?」
「司書ですので。」
答えになっていない。
レシティアは少し笑った。
リベルは一冊の本を開く。
「星泉が言った『既に受領済み』という言葉。」
「記録を調べました。」
騎士たちも集まる。
「同じ事例が?」
剣士騎士が尋ねる。
「ありません。」
「では。」
「似た事例が一件だけ。」
全員の表情が変わる。
リベルはページを開く。
古い。
紙が黒ずんでいる。
神代文字。
レシティアは自然に読み始める。
「星暦……零年。」
そこで止まった。
「零年?」
リベルが頷く。
「現在の暦より前。」
「神代暦が始まる、その直前です。」
「つまり。」
「神代以前。」
部屋が静かになる。
記録は短かった。
『星泉への願い、受理。』
『対価要求。』
『対象、支払いを拒否。』
『泉、再要求。』
『対象、再び拒否。』
女性騎士が眉をひそめる。
「願っておいて払わなかったのですか?」
「続きがあります。」
リベルがページをめくる。
『対象は述べた。』
『――ならば、お前の方が私に借りろ。』
沈黙。
ゼフィールがいれば笑っていただろう。
騎士団は笑わなかった。
レシティアだけが。
「変な人ね。」
と言った。
リベルが続きを読む。
『星泉、沈黙。』
『対象、星泉へ何かを譲渡。』
『内容、記録不能。』
『星泉、願いを受理。』
『以後。』
『星泉は対象に対し、永続的債務を負う。』
レシティアが首を傾げる。
「つまり?」
魔法騎士が答える。
「その人物は。」
「星泉へ代償を払うどころか。」
「星泉そのものを借りのある状態にした。」
「そんなことできるの?」
管理者の本に文字。
『普通はできません。』
騎士団全員がレシティアを見る。
「どうして私を見るの?」
誰も答えなかった。
「名前は?」
諜報騎士が尋ねる。
リベルは首を横へ振った。
「削除されています。」
「誰かが消した?」
「違います。」
リベルの声が少し低くなる。
「記録そのものが。」
「名前を書こうとすると壊れるのです。」
レシティアが本を見る。
確かに。
名前が書かれるべき場所だけ。
紙が黒く焼けていた。
「他の資料は?」
「同じです。」
「石碑。」
「魔導記録。」
「星図。」
「すべて。」
「その人物の名前だけ残らない。」
女性騎士が呟く。
「……呪い?」
「分かりません。」
リベルは静かに本を閉じた。
「ですが。」
「一つだけ呼び名が残っています。」
レシティアが顔を上げる。
リベルは答えた。
「――最初の客人。」
その瞬間。
図書館の照明が消えた。
真っ暗。
騎士団が即座に動く。
「姫様!」
「ここよ。」
剣が抜かれる。
魔法が展開される。
しかし。
敵はいない。
管理者の本が淡く光る。
『異常。』
『異常。』
『異常。』
文字が高速で浮かぶ。
「何が?」
『外部接続。』
リベルの顔色が変わる。
「ありえません。」
「この図書館は完全閉鎖されています!」
『接続元検索。』
『…………。』
『不明。』
『距離。』
文字が止まる。
そして。
『地下。』
レシティアが床を見る。
「この下?」
『違います。』
次の文字。
『大陸地下。』
沈黙。
『深度推定不能。』
『何かが図書館を閲覧しています。』
諜報騎士が眉を寄せる。
「閲覧?」
『はい。』
「こちらからではなく?」
『向こうから。』
つまり。
何者かが。
遥か地下から。
この図書館の本を読んでいる。
突然。
一冊の本が棚から落ちた。
バサッ。
開かれる。
白紙。
そこへ文字が浮かぶ。
『見つけた。』
騎士団がレシティアを囲む。
次の文字。
『違う。』
『これは違う。』
『似ている。』
『だが違う。』
リベルが震える。
「誰です。」
返事。
『お前ではない。』
ページがめくられる。
『司書でもない。』
次。
『騎士でもない。』
次。
『図書館でもない。』
そして。
最後。
『そこにいる紫の子。』
全員がレシティアを見る。
レシティアは本を見つめた。
「私?」
文字。
『そう。』
『お前は誰だ。』
レシティアは少し考えた。
「レシティア。」
『知らない。』
「でしょうね。」
妙に普通に会話している。
騎士団は気が気ではない。
『なぜ。』
文字が震える。
『お前から。』
『あいつの匂いがする。』
レシティアの表情が変わる。
フェンリオも。
同じことを言った。
「あいつって誰?」
長い沈黙。
ページに。
黒い染みが広がる。
何かを書こうとしている。
しかし。
書けない。
文字にならない。
紙が焦げる。
『…………。』
『名前が。』
『書けない。』
リベルが息を呑む。
「最初の客人……。」
次の瞬間。
本が激しく震えた。
『その呼び方をするな。』
図書館全体が揺れる。
本棚から何冊もの本が落ちる。
騎士団がレシティアを守る。
そして。
新しい文字。
『あいつは客ではない。』
『では何者です。』
リベルが尋ねる。
返事は。
短かった。
『侵入者。』
その瞬間。
接続が切れた。
照明が戻る。
図書館に静寂。
床には無数の本。
管理者の本が震えている。
『接続消失。』
『追跡不能。』
誰も言葉を発しなかった。
レシティアだけが。
焼け焦げた本を拾う。
「侵入者……。」
その言葉を小さく繰り返した。
同じ頃。
アステリアから遥か離れた場所。
大陸地下。
巨大な空洞。
そこに。
何かがいた。
鎖。
何千本。
いや。
何万本。
巨大な存在の身体を縛っている。
暗闇の中。
開かれた片目。
その前には。
小さな光が浮かんでいた。
レシティアの姿。
『……レシティア。』
低い声。
大地が僅かに震える。
『知らぬ名だ。』
鎖が軋む。
『だが。』
『懐かしい。』
もう一つ。
閉じていた目が。
ゆっくりと開く。
『あいつは。』
『約束を果たしたのか。』
そして。
巨大な存在は。
千年以上ぶりに。
ほんの少しだけ。
笑った。
その日の午後。
レシティアは図書館から出た。
「姫様。」
「なあに?」
「お部屋へ戻ります。」
「ええ。」
「寄り道は禁止です。」
「分かってるわ。」
数分後。
レシティアが立ち止まる。
廊下の窓。
その向こう。
城下町。
屋台。
焼き菓子。
「……。」
騎士団も止まる。
「姫様。」
「見てるだけ。」
「はい。」
「買わないわよ。」
「はい。」
「……。」
「……。」
「一個くらい。」
「駄目です。」
「まだ何も言ってないでしょう?」
「顔に書いてあります。」
レシティアは諦めて歩き出した。
世界の地下で何かが目覚めようとしていても。
神代以前の謎が動き始めていても。
今の彼女にとって一番の問題は。
騎士団が、まったくお菓子を買いに行かせてくれないことだった。
そして。
その日の夕方。
フィオナがようやく自分の足で立ち上がった。
彼女の口から語られることになる。
アステリアを襲った本当の理由。
古代研究機関が探していたもの。
そして――
フィオナが命懸けでレシティアを探した理由。
それは、神代の伝承とはまったく別の。
現在の世界で進行している、新たな陰謀へと繋がっていた。




