星を読む泉
巨大な扉が、完全に開いた。
ゴォォォォン――。
千二百年もの間、誰にも開かれることのなかった星見の神殿。
その奥から、冷たい空気が流れ出す。
同時に。
無数の光。
小さな星のような粒子が、暗闇の中を漂っていた。
セラフィナが目を輝かせる。
「……きれい。」
ルミエルも静かに見上げた。
「神代の星灯。」
「まだ残っていたのですね。」
ゼフィールは神殿の奥を覗き込みながら肩をすくめる。
「綺麗な場所ほど面倒な仕掛けがあるんだよな。」
『失礼な。』
フェンリオが低く言った。
ゼフィールが固まる。
「聞こえてた?」
『聞こえている。』
「……すみません。」
巨大な神代守護獣に普通に謝った。
レシティアは少しだけ笑った。
「それで。」
レシティアはフェンリオを見る。
「入ってもいいの?」
『もちろん。』
「本当に?」
『あなたを拒む理由がない。』
「でも私は、その……待っていた人ではないのでしょう?」
フェンリオは一瞬黙った。
そして。
『そうだ。』
『あなたはアリアではない。』
『契約王でもない。』
『我らがかつて仕えた者でもない。』
レシティアは頷く。
「なら、どうして?」
フェンリオの六枚の翼がゆっくりと畳まれる。
『我らは過去を待っていたのではない。』
『未来を待っていた。』
レシティアが首を傾げる。
また。
よく分からない言葉だった。
だが。
リベルだけは静かに目を伏せていた。
何かを知っている。
しかし。
今は話さない。
そう決めている顔だった。
一行は神殿へ入った。
内部は、外から見た以上に広い。
白い柱。
天井には巨大な星図。
床には青い水晶。
そして壁には、数えきれないほどの神代文字。
レシティアは歩きながら、それを自然に読んでいく。
「『左へ行くと礼拝堂。』」
「『右へ行くと観測塔。』」
「『食堂は二階。』」
ゼフィールが止まる。
「食堂あるの?」
「書いてあるわ。」
「神代の人も普通に飯食ってたんだな……。」
女性騎士が苦笑する。
「当然では?」
「いや、もっとこう神秘的な存在だと思ってた。」
リベルが淡々と答える。
「普通に食事します。」
「寝ます。」
「風邪もひきます。」
「……急に親近感湧いてきたな。」
「ただし平均寿命は約八百年です。」
「やっぱり全然普通じゃない。」
目的地は神殿最奥。
星泉。
フィオナの呪いを浄化できる唯一の場所。
だが。
進むほど。
神殿の空気が変わっていく。
「止まってください。」
諜報騎士が手を上げる。
全員が止まる。
前方。
何もない通路。
しかし。
「罠があります。」
魔法騎士も頷く。
「複数。」
「床。」
「壁。」
「天井。」
ゼフィールが笑う。
「全部じゃん。」
「全部です。」
レシティアは通路を見る。
「どんな罠?」
魔法騎士が分析する。
「一歩目。」
「重力反転。」
「二歩目。」
「魔力封印。」
「三歩目。」
「空間切断。」
セラフィナが青ざめる。
「死ぬやつですよね?」
「はい。」
「かなり。」
「どうするんですか?」
騎士たちが一斉に考える。
数秒後。
レシティアが普通に歩き出した。
「姫様!?」
全員が叫ぶ。
一歩。
何も起きない。
二歩。
何も起きない。
三歩。
やっぱり何も起きない。
レシティアが振り返る。
「来ないの?」
沈黙。
魔法騎士が罠を見る。
術式は生きている。
壊れていない。
「……姫様。」
「なあに?」
「罠が姫様だけ避けています。」
「え?」
本当に。
レシティアが踏む場所だけ。
術式が一時的に停止している。
そして通過すると再起動する。
「……。」
騎士団がレシティアを見る。
レシティアが罠を見る。
また騎士団を見る。
「私のせい?」
「恐らく。」
「何もしてないわよ?」
「存じております。」
それが一番問題だった。
結局。
騎士団は普通に罠を解除しながら進むことになった。
姫だけ先へ行かせるわけにはいかない。
当然である。
フェンリオは入口に残った。
巨体すぎて入れないからだ。
本人は少し不満そうだった。
一時間ほど進んだ頃。
広間へ出た。
中央。
巨大な水面。
天井は存在しない。
いや。
空が見えているわけではない。
宇宙。
無数の星々が、水面の上に広がっていた。
セラフィナが息を呑む。
「……ここが。」
リベルが頷く。
「星泉です。」
レシティアが水辺へ近づく。
水は透明。
底が見えない。
「これをフィオナに?」
「水そのものを持ち帰っても意味がありません。」
リベルが説明する。
「ここで《星の雫》を生成します。」
「その雫なら呪いを浄化できます。」
「どうやって?」
「泉に願いを認めさせます。」
沈黙。
レシティアが聞き返す。
「願いを?」
「はい。」
「星泉は意思を持っています。」
「求める者の願いが本物であるか。」
「その代償を払う覚悟があるか。」
「それを見極めます。」
騎士団の表情が変わる。
「代償。」
剣士騎士が低く繰り返す。
リベルは頷く。
「通常は。」
「寿命。」
「記憶。」
「魔力。」
「あるいは肉体の一部。」
セラフィナの顔色が変わる。
「そんな……。」
女性騎士が即座に言う。
「姫様にはさせません。」
「同意します。」
「我々の誰かが。」
レシティアが振り返る。
「駄目。」
静かな声。
だが。
騎士たちが止まる。
「これは私が引き受けるわ。」
「姫様。」
「フィオナは私を頼って来たの。」
「なら。」
一歩。
泉へ。
「私がお願いする。」
騎士たちは納得していない。
だが。
姫の目を見て。
止められないことも理解した。
レシティアは星泉の前へ跪く。
手を水へ触れる。
冷たい。
それだけだった。
「お願いします。」
静かに。
「フィオナを助けたいの。」
水面が光る。
星々が揺れる。
そして。
声が響いた。
男でも女でもない。
若くも老いてもいない。
『対価を。』
騎士団の空気が張り詰める。
レシティアは目を閉じた。
「何が必要?」
『最も大切なもの。』
沈黙。
レシティアは少しだけ考えた。
騎士たちが、一斉に前へ出ようとする。
だが。
彼女は手で止める。
そして。
「なら。」
静かに笑った。
「私の力をあげる。」
騎士たちの顔色が変わった。
「姫様!」
「駄目です!」
「おやめください!」
だが。
レシティアは続ける。
「全部は困るけど。」
「必要なだけ持っていって。」
星泉が沈黙した。
一秒。
二秒。
十秒。
そして。
『…………。』
水面が揺れる。
『不要。』
レシティアが目を瞬かせる。
「え?」
『不要。』
もう一度。
そして。
『既に受領済み。』
今度は。
全員が固まった。
「……何を?」
レシティアが聞く。
星泉は答えない。
代わりに。
水面中央から、一滴の光が浮かび上がる。
小さな雫。
銀色。
それがゆっくりとレシティアの掌へ落ちた。
《星の雫》。
リベルが目を見開く。
「……代償なし?」
ゼフィールも唖然とする。
「そんなことあるの?」
「ありません。」
リベルは即答した。
「記録上一度も。」
騎士団がレシティアを見る。
本人は困惑している。
「既に受領済みって……。」
「私、何か払った?」
誰も知らない。
だが。
星泉の水面に。
一瞬だけ。
別の少女の姿が映った。
紫色の髪。
レシティアによく似た。
千二百年前の少女。
アリア。
そして。
彼女は笑っていた。
その唇が。
声にならない言葉を紡ぐ。
――もう、払ってあるよ。
次の瞬間。
姿は消えた。
レシティアだけは。
その言葉を見ることができなかった。
「戻りましょう。」
レシティアは立ち上がる。
掌には星の雫。
フィオナを救う希望。
騎士団も頷いた。
しかし。
リベルだけは泉を振り返る。
その瞳に。
わずかな恐怖があった。
「……アリア。」
誰にも聞こえない声。
「あなたは一体。」
「何を代償にしたのですか。」
その問いに。
星泉は答えなかった。
ただ。
遠い星の一つが。
静かに消えた。




