勝率3.2%
戦いが終わった翌朝。
アステリア公国には、久しぶりに穏やかな朝が訪れていた。
壊れた城壁を直す音。
負傷兵を運ぶ声。
市場を開こうとする商人たち。
昨日まで怯えていた人々が、少しずつ日常を取り戻している。
だが。
王城の一室だけは、まだ重い空気に包まれていた。
寝台にはフィオナ。
顔色は昨日より悪い。
呼吸も浅い。
レシティアは、その手を握っていた。
「……急いだ方がいいわね。」
侍医が深く頭を下げる。
「恐らく、あと三日。」
「それ以上は……。」
最後までは言わなかった。
必要なかった。
レシティアは立ち上がる。
「リベル。」
「はい。」
部屋の隅に立っていた銀髪の司書が答える。
「星見の神殿へ行きましょう。」
「承知しました。」
即答だった。
騎士たちも当然のように立ち上がる。
セラフィナも羽を広げた。
「私も行きます。」
ルミエルも頷く。
「同行いたします。」
ゼフィールは窓際で腕を組んでいる。
「俺も行こう。」
レシティアが少し驚く。
「あなたも?」
「面白そうだから。」
「……遊びじゃないのよ?」
「分かってる。」
たぶん分かっていない。
出発前。
神代図書館。
管理者の本が机の上に置かれている。
『最終確認。』
文字が浮かぶ。
『星見の神殿。』
『現在の正規侵入成功率。』
少し間が空く。
『三・二%。』
女性騎士が腕を組む。
「昨日と同じですね。」
『はい。』
剣士騎士が尋ねる。
「我々だけの場合は?」
ページに文字が浮かぶ。
『五・八%。』
「上がりましたね。」
『誤差です。』
「厳しいな。」
ゼフィールが笑う。
魔法騎士が続けて尋ねる。
「ルミエル殿とゼフィール殿を含めた場合。」
『七・一%。』
ルミエルが小さくため息をつく。
「それでも低い。」
そして。
全員がレシティアを見る。
レシティアも管理者を見る。
「私が入ったら?」
しばらく。
何も表示されない。
一秒。
五秒。
十秒。
『…………。』
「どうしたの?」
『計算不能。』
ゼフィールが吹き出す。
「またか。」
『レシティア王女を計算式へ入力すると、過去の神代記録と矛盾が発生します。』
「私、そんなに変?」
『かなり。』
即答だった。
レシティアが少し傷ついた顔をする。
騎士団は笑わなかった。
笑えなかった。
全員。
同意していたから。
星見の神殿は、アステリアから北へ半日。
標高の高い山岳地帯に存在していた。
道中。
セラフィナはずっと空を飛んでいる。
時々降りてきて。
また飛ぶ。
そして。
また降りてくる。
「疲れないの?」
レシティアが聞く。
「ちょっと疲れます。」
「じゃあ歩けばいいのに。」
「羽があると飛びたくなるんです。」
「そういうもの?」
「そういうものです。」
ルミエルが後ろで微笑む。
セラフィナは少しずつ明るくなっていた。
自分が何者なのか。
まだ分からない。
それでも。
今は笑えている。
レシティアは、それで十分だと思った。
昼過ぎ。
一行は山頂へ辿り着いた。
そして。
全員が足を止める。
「……すごい。」
セラフィナが呟いた。
巨大な神殿。
白い石造り。
雲より高い塔。
その周囲には、無数の巨大な石像が並んでいる。
人。
竜。
鳥。
獣。
そして。
名前すら分からない生物。
すべてが空を見上げていた。
神殿の中央には。
巨大な門。
千二百年間。
一度も開かなかった扉。
しかし。
「……開いてる。」
女性騎士が呟く。
ほんの少し。
人が一人通れる程度。
扉が開いていた。
リベルの表情が変わる。
「昨日までは閉じていました。」
剣士騎士がレシティアを見る。
全員が見る。
レシティアは困る。
「私?」
誰も答えない。
だが。
全員そう思っていた。
その時。
地面が揺れた。
ズン。
一度。
ズン。
二度。
神殿の横。
巨大な石像だと思っていたものが動いた。
岩が落ちる。
苔が剥がれる。
そして。
二つの黄金の瞳が開いた。
「来ます!」
ルミエルが翼を広げる。
巨大な獣が立ち上がる。
獅子の身体。
狼の頭。
背中には六枚の翼。
尾は蛇。
その巨体は城ほどある。
神代守護獣。
フェンリオ。
『侵入者。』
低い声。
山全体が震えた。
『立ち去れ。』
騎士団が前へ出る。
剣士騎士が剣を抜く。
「姫様。」
「はい。」
「下がっていてください。」
「今回は手伝うわ。」
「駄目です。」
即答。
「どうして?」
「昨日、手伝っていただきました。」
「今日は我々の番です。」
レシティアは少し考える。
そして。
微笑んだ。
「わかった。」
「お願いね。」
その言葉だけで。
騎士たちの空気が変わる。
ゼフィールが呆れたように笑う。
「本当に分かりやすい連中だ。」
女性騎士が剣を構える。
「姫様にお願いされましたので。」
魔法騎士の周囲に、幾重もの魔法陣が展開される。
諜報騎士の姿が薄れる。
剣士騎士は一歩前へ。
「参ります。」
フェンリオの六枚の翼が広がる。
『ならば。』
『力を示せ。』
轟音。
山頂が吹き飛んだ。
速い。
巨体からは想像できない。
フェンリオの前脚が振るわれる。
剣士騎士が受ける。
ドォォォン!!
地面が割れた。
それでも。
剣士騎士は立っている。
「……重い。」
その顔には。
笑み。
久しぶりだった。
本気で剣を振れる相手。
「ですが。」
剣へ力を込める。
「止められないほどではない。」
フェンリオの腕を押し返す。
巨体が僅かに揺れる。
『ほう。』
フェンリオの黄金の瞳が細くなる。
『人の身で。』
その横。
女性騎士が飛び込む。
盾で前脚を弾く。
魔法騎士の術式が完成。
「拘束。」
地面から無数の光鎖。
六枚の翼へ絡みつく。
フェンリオが咆哮する。
『小賢しい!』
光鎖が千切れる。
しかし。
その一瞬。
もう諜報騎士は頭上にいた。
短剣。
黄金の瞳の直前で止める。
「取れます。」
フェンリオが動きを止めた。
諜報騎士も攻撃しない。
数秒。
静寂。
そして。
フェンリオが笑った。
『なるほど。』
『強いな。』
騎士たちが距離を取る。
戦いはまだ終わっていない。
フェンリオが立ち上がる。
六枚の翼へ光が集まり始める。
今までとは比較にならない魔力。
ルミエルが叫ぶ。
「まずい!」
「神代砲撃です!」
ゼフィールの笑顔も消える。
「全員伏せろ!」
光が一点へ収束する。
狙いは。
騎士団。
魔法騎士が防壁を展開。
女性騎士がその前へ立つ。
剣士騎士も剣を構える。
レシティアは後ろから見ていた。
そして。
小さく呟く。
「……それは駄目。」
一歩。
前へ出る。
フェンリオの耳が動いた。
黄金の瞳が。
初めてレシティアを見る。
その瞬間。
集まっていた魔力が。
消えた。
完全に。
フェンリオが固まる。
レシティアも固まる。
騎士団も固まる。
「……え?」
セラフィナが小さく声を漏らした。
フェンリオはレシティアを凝視する。
一秒。
二秒。
そして。
鼻を近づけた。
クンクン。
「……?」
レシティアはされるがまま。
もう一度。
クンクン。
フェンリオの瞳が見開かれる。
『その匂い。』
空気が変わった。
『ありえぬ。』
巨大な身体が震え始める。
『なぜ。』
『なぜ今の時代に――』
突然。
フェンリオが頭を下げた。
ドォン!
巨大な額が地面へ触れる。
全員が呆然とする。
そして。
神代守護獣は震える声で言った。
『お待ちしておりました。』
レシティアは困った。
最近。
こういうことが多すぎる。
「……人違いだと思うわ。」
フェンリオは顔を上げる。
『存じております。』
今度は。
レシティアの方が固まった。
「え?」
『あなたは、あの方ではない。』
フェンリオは静かに告げる。
『だからこそ。』
『我らは、あなたを待っていた。』
その言葉と同時に。
千二百年間閉ざされていた星見の神殿の巨大な扉が――
ゆっくりと。
完全に開いた。
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姫様も、たぶん紅茶片手に「ありがとうございますわ♪」と微笑んでくれるはずです。
それでは、次の物語でまたお会いしましょう。
姫様、御覚悟を──




