姫様の日常は穏やかである
王宮の朝は、静かに始まる。
まだ日が昇りきらない時間。
庭園には薄く霧がかかり、水面が淡く光を反射している。
その中央に――
一人の少女が立っていた。
レシティア・パープル。
王国第三姫。
その手には、細身の剣。
ゆっくりと構え、呼吸を整える。
そして。
踏み込む。
風が切れる。
静かな一閃。
続けて二歩、三歩と流れるように動き、無駄のない軌跡を描く。
華やかではない。
だが、洗練されている。
一撃一撃に、確かな重みがあった。
最後に、剣を止める。
息を吐く。
(……うん、悪くないわね)
ほんのわずかに満足そうに頷く。
そのとき。
「おはようございます、姫様」
背後から声がかかった。
振り返ると、騎士の一人が立っている。
気配すらほとんど感じさせず、そこに“いる”のが自然なほど静かに。
「おはよう」
姫は剣を収めながら、軽く微笑む。
「今日も早いのね」
「姫様よりは遅れております」
さらりと返される。
(……そういうところなのよね)
内心で苦笑する。
「何か用かしら?」
「本日の予定について、確認を」
淡々とした口調。
だがその裏で、すでにいくつもの準備が進んでいることを姫は知っている。
「朝食の後、陛下との謁見。その後、書類確認。午後は庭園にて来客対応」
一切の淀みなく、告げられる。
「来客?」
「はい。他国の使者です」
(……もう来るのね)
少しだけ目を細める。
国境の件が動き出している証拠だ。
だが。
「わかったわ」
それ以上は聞かない。
どうせ――
(もう全部、調べてあるのでしょう)
そのとき。
別の騎士が静かに現れる。
「朝食の準備が整っております」
「ありがとう」
姫は歩き出す。
両側には、自然と騎士たちが並ぶ。
護衛というよりは、もはや“風景”の一部のように。
食堂に入ると、すでに用意された料理が並んでいた。
温かいスープ。
焼きたてのパン。
色鮮やかな野菜。
そして――
「……これは?」
皿の上に、不思議なものがあった。
白く細長い、見慣れない料理。
騎士の一人が答える。
「最近、遠方で流行している食事だそうです」
「ほう……」
姫は興味深そうにそれを見る。
「試してみようと思い、取り寄せました」
(……こういうところ、本当に抜かりないのよね)
少しだけ感心する。
「では、いただきます」
箸を取る。
……箸?
(これで食べるのね)
一瞬だけ迷いながらも、自然に使いこなす。
口に運ぶ。
「……美味しいわね」
あっさりとしているが、どこか懐かしい味。
「気に入っていただけたようで」
騎士が静かに頷く。
そのとき。
控えていた侍女たちが、小さくざわめいた。
「姫様が……!」
「初めて見る料理を、迷いなく……!」
「やはりすべてをご存じなのね……!」
(……え?)
姫は動きを止める。
いや、普通に食べただけなのだけど。
だが。
騎士たちは何も言わない。
助ける気もない。
(……もういいわ)
小さく諦める。
食事を終え、謁見を終え、書類に目を通す。
そして午後。
庭園にて、他国の使者と対面する。
緊張した空気。
相手は明らかに警戒している。
当然だ。
噂は、国を越えている。
“戦わずして敵を従わせる姫”
その本人が、目の前にいるのだから。
「……お初にお目にかかります」
使者が、慎重に頭を下げる。
「我が国としては、友好的な関係を――」
言葉を選んでいる。
慎重に、慎重に。
姫はそれを見て、ふっと微笑んだ。
「ご安心ください」
その一言。
ただ、それだけ。
それなのに。
使者の肩から、力が抜けた。
「……は、はい」
空気が変わる。
張り詰めていたものが、すっと消える。
(……あら)
姫は少しだけ驚く。
何もしていない。
ただ、言葉をかけただけ。
だが。
「やはり……」
「圧が違う……」
周囲の護衛たちが、小声で囁いている。
(……違うのだけど)
違うのだけど。
結果として、交渉は円滑に進む。
争いは避けられ、関係は良好に保たれる。
すべてが、うまくいく。
そしてその夜。
王宮の廊下を歩きながら、姫は小さく息を吐いた。
(……今日も、何もしていない気がするのだけど)
隣を歩く騎士が、静かに言う。
「本日も見事な御働きでした」
姫は、少しだけ足を止める。
それから。
ほんのわずかに、笑った。
「……そう見えるのなら、それでいいわ」
否定はしない。
もう、しきれない。
それに。
この誤解が、国を安定させるのなら。
少しだけ――誇ってもいいのかもしれない。
夜風が、静かに吹き抜ける。
王宮は今日も、平和だった。
その裏で、騎士たちがすべてを整えていることなど
誰も、知らないまま。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら、感想やフォロー、SNSでの応援など大歓迎です!
姫様も、たぶん紅茶片手に「ありがとうございますわ♪」と微笑んでくれるはずです。
それでは、次の物語でまたお会いしましょう。
姫様、御覚悟を──




