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おばあちゃんからのバトン  作者: 松山 さくら


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第二章 志穂

 十一月に入った途端に、キャンパスに木枯らしが吹き荒れて、どこからともなく冬の足音が忍び寄ってきた。徐々に冬の装いに衣替えをしていく女子学生たちは、霜が降りるような晩秋の冷え込みとは裏腹に、どこか浮き足立っている。

 赤やブラウンといった秋を連想させる濃い色に混じって、白やベージュなどの落ち着いた感じの服装が、周囲の風景に上手く溶け込んでいる。考えてみれば、一年のうちで最も、学生たちの服装が華やいで見える季節なのかも知れない。

 大学二回生も折り返しを迎え、同じゼミの学生たちとの会話の中で、『就職』という言葉が少しずつ現実味を帯びて聞こえるようになってきた。中には、そう遠くはない就職に向けて、資格の専門学校に通い始めた学生もいる。

 そんな彼らの話を聞いては、自分の将来のことを、否が応でも考えざるを得なくなってきて、次第に焦りを感じ始めていた。

「ねぇ、莉乃。今度、就職の合同説明会があるって聞いたけど、一緒に行ってみない?」

 いつものように、志穂と学生食堂でお昼を食べている。私たちが食べているのは、日替わりランチ。物価が高騰する中で、ワンコインで毎日栄養バランスの取れた食事が摂れるのはありがたかった。

「合同説明会?」

 おかずのチキン南蛮を口に運びながら、そう訊き返す私。

「そう、就職活動を始める前に、色々な会社の人の話を聞けるいい機会だと思うの。私ね、正直言って、自分が何をしたいのかが、まったく見えないんだ。私もいつかは他の人たちと同じように、どこかの会社に就職するんだって思っていたけど、気づけばもうこんな時期になっているでしょ。なんだか、焦っちゃってさ……」

 その言葉を聞いた私は、触れられたくないものに触れられたときのように、心にさざ波が立つのを感じた。志穂がそうであるように、私もまた自分の将来について、何も考えていなかった。考えていなかったと言うよりも、まだまだ先のことだと思って、考えることから逃げていた。だけど、まわりの学生たちが少しずつ将来を意識し始める様子を見ていたら、焦りを感じない訳にはいかなかった。

「私も、同じような感じかな。自分が何に向いているのかがわからないし、何かの仕事に就いたとして、そこでうまくやっていけるかどうかもわからない」

 これまでのように自分の進路を、成績などの数値で誰かが決めてくれると、どれほど気持ちが楽だろうかと、思ってみる。それに、両親やそれ以上の世代の人たちの時代とは違って、今は大学を卒業して就職しても、ずっと長く同じ会社にいる訳ではない。会社だって、簡単に潰れてしまう時代だし、テレビをつけてみたら、毎日必ずと言ってよいほど転職サイトのCMを見かける。『本当の自分に出会おう』とか『いいんですか。その働き方?』なんて、真面目な顔で人気俳優から言われても、その本当の自分が何なのか、わからないのだ。なんだか、紙飛行機のような中身のない薄っぺらい存在の私。せめて、何か一つでいいから、夢中になって追い求められるものが欲しい。きっと、追い求めている間は、私の気持ちに正直に、そして私らしくいられると思うから……。

 いつの間に食べ終えたのか、志穂は鞄の中からスマホを取り出すと、何やら調べ始めた。

「ちょうど、年明けに大きな説明会があるみたいだよ。あっ、すごいよ。『来場者全員に、トートバッグをプレゼントします』だって。なかなか可愛らしいデザインだよ。ちょうど、この大学用のバッグが痛んできたところなんだ」

 そう言って、隣の椅子の上に置いていた鞄を持ちあげて見せる志穂。それを見た私は、志穂に向かって苦笑する。

「志穂って、いつもそうなんだから。こないだだって……」

「『先着五十名様にマグカップをプレゼントします』の言葉につられて朝早くから、オープンしたばかりの雑貨屋さんに並んだじゃない」と続けそうになったが、志穂が珍しく真剣な表情を浮かべていたので、言うのをやめた。

 そのとき、志穂が見せたトートバッグの持ち手の部分に、何か光るものが見えて、とっさに、

「あっ、それ、どうしたの?」

 と、訊いた。

「えっ、これのこと?」

 志穂が見せたのは、花の形をあしらったシルバーのキーホルダーだった。

「うん、それ。なんだか、シンプルだけどかわいいね。その白のバッグによく似合っているよ」

「えっ、そうかな。ありがとう……実はこれね、私への誕生日プレゼントなんだって。お母さんの知り合いの人が、私にと言って、くれたみたい。私、莉乃と同じ十一月生まれでしょ。だから、十一月の誕生花にあやかって、スターチスの花のキーホルダーを選んでくれたみたい」

 志穂の口から『誕生日』という言葉を聞いて、私ははっと肩を上げた。そうだった、志穂の誕生日だった。実は、私も十一月が誕生月でもある。私が、十一月十五日で、志穂は一日違いの十六日。

「へぇ、そうなんだ。でも、随分、気の早い人だよね。まだ、十一月に入ったばかりなのに……」

「うん……なんだかよくわからないけど、お母さん、前にその人に会ったときにこれを渡されたみたい。せっかくもらったものだから、さっそくつけてみたんだけど……」

 顔をしかめながら志穂が答えたので、私はあえて明るく振る舞うことにした。

「うんん、志穂、なかなかよく似合っているよ。お洒落な学生って感じで……」

「えっ、そう……。なんだかよくわからないけど、ありがとう」

 頬の緊張を緩める志穂を見ていて、私は先を越されたかなと思った。そうそう、もうすぐ、私たちの誕生日。この齢になって誰かに祝ってもらうのは、少しくすぐったいような気がするけど、それでも誰かに祝ってもらえるのはやっぱり嬉しい。だから、今年の志穂の誕生日には、何をプレゼントしようかなと、私は思いを巡らせていた。


 その日の帰り、私は思い立って、途中の駅で降りた。急行電車も停まるような大きな駅で、改札を抜けるとデパートに繋がっている。そのデパートの中に、雑貨屋さんがあるのを思い出したからだった。

 私が子供の頃は、地下から七階の最上階まで、全部デパートの売り場だったのに、今は食料品売り場と婦人服売り場を残して、あとは他のお店が入っている。何かのご褒美に、よくおばあちゃんに連れて来てもらった思い出の場所なので、なんだかちょっと寂しい。

 私が向かったのは、五階にある雑貨店。そこは、オーダーメイドで、ネックレスやブレスレットなどの服飾雑貨を作ってくれるお店で、前から一度行ってみたいと気になっていた。

 店内のショーケースには、すでに完成した商品がいくつか並んでいたけれど、せっかく来たのだから、オーダーメイドでお願いしてみようと思った。そう、志穂への誕生日プレゼントを。

 志穂が、ペンダントが欲しいと言ったことがあった。ペンダントは、それぞれの好みがあるだろうから、数ある既製品の中から選ぶのは難しかった。でも、オーダーメイドなら、私が話したイメージに沿って作ってくれる。それなら、きっと、志穂も喜んでくれるだろう。

 声をかけてきた店員の女性に、志穂のことを話してみる。まるで姉妹に間違えられてしまうほど、外見も内面もよく似ていることを。

「それでしたら……」

 と言って、店員の女性は、スケッチブックに何やら描き始めた。そして出来上がったイメージ図が、これ。チェーンの先に、シルバーのハートを二つ、角度をつけて重ねたもの。その中心には、十一月の誕生石のトパーズを添えている。少し値段が張ったが、店員の女性から、「トパーズの石言葉は、友情ですよ」と教えられて、志穂のために奮発することにした。

 出来上がるのは五日後、

「志穂、喜んでくれるといいな」

 そう心の中で呟きながら、私はレジでいつものようにスマホの決済画面を表示させてみる。一万円ほどあった残高はほとんどなくなってしまったけど、コンビニのコーヒー一杯分くらいのポイントがつくからまぁ、いいかな。いい買い物ができたし。

 決済完了の画面の下に、クーポンが表示される。

『日頃よりご愛顧いただいている皆様へ、指輪のサイズ直し無料』

「えっ、日頃よりご愛顧って?」

 思わず声に出してしまった。一体、どういうことだろう。初めて買い物をしただけなのに、『日頃よりご愛顧』していることになるのだろうか。もしかして、このお店はこうやって、パーコード決済をした人すべてにこのクーポンを配信しているのだろうか。そのようには見えないけれど。

「あのう、すみません。このクーポンって……」

 勝手に私の口が訊いているといった感じだった。

 店員の女性は、私が示したスマホの画面をのぞき込むように見ると、笑顔を作って言った。

「あっ、いつもありがとうございます。過去に一定金額以上、お買い求めいただいた方に、ささやかながらプレゼントさせていただいているクーポンです」

「えっ、過去に一定金額以上?」

「あっ、はい。このクーポンが表示されたということは、以前に当店でお買い求めいただいていたはずなんですか……」

「はぁ……」

 女性の話していることが、よくわからない。私が、この店を訪れたのは今日が最初。前に駅でもらったフリーペーパーを読んだときに、このお店のことが記事に紹介されていて、一度来てみたいと思っていたけれど、アクセサリーを買う機会がなかったので、今日の今日まで引き延ばしてしまっていた。もちろん、この店の通販などで買い物をした記憶もないし……。

 女性は、不思議そうな視線を私に向け続けているが、これ以上訊いても何もわからなさそうだった。

「ペンダント、よろしくお願いします」

 ぼそぼそと小さく声に出すと、私はそのお店を後にした。


「ねぇ、お母さん。お母さんも、スマホのバーコード決済を使っているでしょ」

 夕飯を食べ終えた後、キッチンの流し台に向かう母に向かって訊いてみた。

「バーコード決済って、スマホの画面をお店の人に見せて、機械で読み取ってもらうあれのこと?」

 母は、私の方を振り向くことなく、皿洗いを続けている。

「うん、それのこと。買い物をしたら、そのお店のクーポンが届くでしょ」

「あっ、それなら、お母さん、よく使っているわよ。今日だって、いつも行くお肉屋さんでクーポンを使って、ハンバーグを安く買えたんだから」

 恐らく、今食べたばかりのハンバーグのことを言っているのだろう。

「そのクーポンのことだけどさ、自分が行ったことのないお店のクーポンが配信されるってことはない?」

 母の手がほんの一瞬止まったのは、そんなことがあったかどうかを思い出しているのだろうか。

「うんん、お母さんのスマホに出てくるのは、いつも買い物をしているパン屋さんや花屋さんでしょ。それにあそこのクリーニング店に……」

 その話し振りでは、私が言ったようなことはなさそうだった。

「莉乃たちが話しているのは、販売促進ツールってものだよ。お父さんの会社が運営しているお店でも使っているけど、過去にお客が購入したものを、今流行りのAIとやらが分析して、自動的にそのお店のクーポンが表示される仕組みだよ。買ったことのあるお店のクーポンが届くと、使ってみたくなるだろ」

 それまで、新聞を読んでいた父が急に話に割って入ってきた。

「それは、わかっているんだけど……」

「どうしたんだ、莉乃。なんだか元気がないぞ。大学で、何かあったのか?」

「うんん、大学は関係ないんだけどさ……」

 慌ててかぶりを振ってみせる。父は、なおも気になると言いたげな表情で見つめてきたので、私はここのところ立て続けにスマホの決済画面に表示されるクーポンのことを、話してみることにした。

「へぇ、莉乃、いいじゃないの。知らないお店のクーポンが届くのなら、お母さん、喜んでそのお店に行ってみるけど」

 先にそう反応したのは、母だった。母は、いつしか皿洗いを終えて、洗ったお皿を布巾で拭いて、食器棚に片づけている。

「そりゃ、お母さんみたいに、買い物が好きな人はいいと思うけど……」

「それに何か問題でもあると言うのか?」

 ビールの缶を口に運びながら、ぶっきらぼうに訊く父。

「うんん、そういう訳じゃないんだけど、なんとなく気持ちが悪いって言うか……誰かが、私の代わりに買い物をしているみたいで……」

 ふと思ったことを、口に出してしまった。

「えっ、でも、莉乃の決済アプリって呼ぶのかしら、そこから残高が減ったりはしていないんでしょ」

 と、今度は母。

「うん、私も気になって、最近チェックするようにしているんだけど、それはないみたい」

「お父さんは、残高が知らないうちに増えるのは大歓迎だけどな」

 冗談っぽく父が言うのを聞いて、私は思わず頬を膨らませる。

「もう、お父さん、真剣に悩んでいるんだから、そんなこと言わないでよ」

「ごっ、ごめんごめん。そういうつもりで言ったのではないよ」

 とっさにそう言い繕う父の顔は、適度にアルコールがまわっているようで、すでに赤くなっている。どういうつもりで言ったのかを聞いてみたくなったが、寸でのところでやめた。こんなことで、言い合いになるのが嫌だったから。

「お父さんは、決済アプリの仕組みのことはよくわからないけど、きっと機械の誤作動か何かだろう。AIか何だか知らないけど、人間の知らないところで、勝手に動いているからな。でも、いいじゃないか、そのクーポンのおかげで、行きつけのお店ができるかも知れないぞ」

「そうよ、莉乃。お父さんの言った通り、お気に入りのお店が見つかるかも知れないじゃない。そんなことぐらいで、いちいち気にしていたら駄目よ」

 両親が続けざまに言ったので、私は口を閉じるしかなかった。

 なんとなく釈然としないけど、まぁいいか。確かに、母にケーキを買ったあの洋菓子店には、また今度行ってみたいし、今日行った雑貨屋さんだって、なんだかよさそうなお店だった。

「ごちそうさま」

 そう言うと、私はレポートの続きを書くために、自分の部屋に上がった。


「志穂、お誕生日おめでとう」

「えっ、なになに」

大学の講義の合間での一コマだった。

細長い小さなケースから志穂が取り出したのは、シルバーのペンダント。

「わぁ、かわいいペンダント。着けてもいい?」

 そう言って、志穂がペンダントをつけるのを手伝ってあげた。

 志穂が着ている白のセーターに、よく似合っている。

「高かったんじゃないの。いいの、私がもらっても?」

 志穂が、伏し目がちに眉を寄せながら訊いてきたので、私は、

「前に、志穂、ペンダントが欲しいって話していたでしょ。私、志穂にペンダントをプレゼントしたくてお店に行って、これを作ってもらったの。ハートの形は私たちの心、そして真ん中のトパーズは友達の証。気に入ってもらえると嬉しいんだけど……」

 と、明るく振る舞った。

「莉乃、私、こんなのもらったのは初めてだよ。ありがとう。嬉しい。私、大事にするからね」

 志穂は、ペンダントの飾りをいつまでもじっと見つめている。どうやら、本当に気に入ってもらえたようでよかった。

「あっ、それじゃ、私からも。昨日が休みだったから、一日遅れてしまったけど、莉乃、お誕生日おめでとう」

 今度は、志穂がその場にはやや不釣り合いな、大きな紙袋を手渡してきた。

 まわりの学生たちは、それぞれお喋りに夢中になったり、机に向かって講義ノートをまとめたりしている。

 大きな包みの中から出てきたのは、枕だった。弾力性があって、触り心地がいい感じの。

 その様子を見つめながら、志穂は得意げに言った。

「この枕ね、中に、ハーブの香りが詰まっていて、安眠効果のある枕なの。ほら、莉乃、よく眠っている間に夢を見るって言っていたじゃない」

『夢』という言葉を聞いて、私はとっさにこれまでのことを振り返った。そうだった、祖母が亡くなってから、毎晩のように祖母の夢を見ていた。でも、最近は見る頻度が少し減ってきていたけど。

「えっ、うん……おばあちゃんの夢をよく見ていたんだ……」

 しばらく忘れていたのに、急に祖母の話を出してしまったものだから、寂しさがぶり返してきて、語尾を下げてしまった。

「去年受けた心理学の講義で、先生が言っていたでしょ。夢を見るのは眠りが浅いときが多いって」

「えっ、そうだったかな」

「莉乃、大好きなおばあちゃんが亡くなって、毎日、辛い思いをしていたんだと思う。だから、夜もゆっくり休めなくて、それで毎晩のように夢を見ているんだって思ったんだ。大学でも、疲れた顔を見せていたから」

「えっ、うん……」

「私ね、莉乃には辛いことがあっても、ずっと笑顔でいて欲しいんだ。だから、莉乃には夜、しっかり眠って欲しくて、何を贈ろうかといろいろ悩んだけど、枕をプレゼントすることにしたの」

「そっ、そうだったんだ……。あっ、ありがとう、志穂」

 そう答えた私の心の中は、少し複雑だった。確かに、志穂が言ったように、葬儀の後、私は心に負ったショックから、ゆっくり眠れない日が続いた。そのせいで、朝一番の講義に遅れそうになったことだってあるし、体調を崩して講義を休んだこともある。

 だけど、夢の中に出てくるおばあちゃんは、いつだって私に笑顔を見せてくれていた。悲しみに暮れる私に、「大丈夫、何にも心配はいらないよ」って微笑んで、優しく抱きしめてくれていた。私が深く眠ることで、おばあちゃんに会えなくなるような気がして、なんだかもらった枕を使うことが怖かった。

「莉乃、どうしたの? なんだか、元気がないみたいだよ。具合でも悪いの?」

 はっと我に返ると、志穂が心配そうに見つめていた。

「えっ、うんん、大丈夫。それよりも、この枕、ありがとう。大事に使わせてもらうね」

 私が作り笑いをして見せたことに安心したのか、志穂は、

「ねぇ、今日のお昼は、外でサンドウィッチを食べてみない? 生協で新商品が発売される日なんだ」

 と、嬉しそうに話す。

「そっ、そうだね。サンドウィッチにしよう」

「やったぁ。そうこなくっちゃ」

 そんな二人の声が、午前の講義室に響き渡っていた。


 それからしばらくは、何事もなく月日が流れた。何となく待ち焦がれていたクリスマスは、家庭教師のアルバイトで潰れた、というよりも潰した。勉強を見ていたのは、二人の中学三年生の女子生徒。高校入試を控えて、彼女たちにとっては、クリスマスを浮かれて過ごすどころではなかった。その日一日の頑張りが、彼女たちの未来を左右してしまうのだ。

 必死になる彼女たちの姿を見ていたら、私の心も動かされた。なんとかして、彼女たちの力になってあげたいと思った。だから、遠慮する彼女たちの気づかいに背いてまで、勉強を見てあげた。正規の授業としてではなく、お金の発生しない特別授業として。

 どうせ、クリスマスを一緒に過ごす人はいなかった。憂鬱になりながら一人で過ごすよりも、彼女たちに勉強を教えている方が、気分を紛らわすことができたから。

 そうやって慌ただしく過ごしているうちに、年が明けた。祖母が亡くなっていたので、祝い事はせずに静かに過ごした。

 新年早々に、成人の集いがあり、予約していた振袖を着て参加した。よく、成人の集いは、中学校の同窓会に例えられるけど、五年ぶりの再会を喜び合う同い年の人たちを横目に、私は控えめに過ごしただけで、その後の同級生たちの輪には加わらなかった。中学時代に、あまりいい思い出はなかったから。

 後になってから聞いたけれど、別の会場で出席していた志穂も、私と同じような感じで過ごしていたようだった。違ったのは、着ていた振袖の色くらい。「私たちって、こんなところでも、よく似ているね」と、お互いに顔を見合わせて笑ったほどだった。

そんな志穂と一緒に、合同説明会に行ってきた。説明会だというから、少し構えてしまっていたけど、「大丈夫、今日は話を聞いて、どんな会社にどんな仕事があるのかを知るだけだから」と、志穂は実にあっけらかんとしている。細かいことをいちいち気にしてしまう私とは、大違い。そんな志穂のことが、羨ましくもあった。

 その合同説明会の帰り道で、私は駅前の本屋さんに寄った。本をスマホなどで読む時代になり、さらにネットで気軽に情報を手にすることができる今、最寄り駅の商店街に本屋さんが残っていること自体が奇跡だった。そう言う私だって、書店に入ったのは、大学入試のために、問題集を買ったとき以来だったけれど。

『資格一覧最新版』と背表紙に書かれた本を手に取ってみる。実は、その日行った説明会で、ある企業の担当者から、資格を取っておくことを勧められた。今の時代、新卒で会社に入るにしても、転職するにしても、即戦力になりそうな人材が求められているのだという。それまでのように、会社が高い教育費を払ってまで、人材育成に力を入れる時代ではなくなってきているらしい。そういう意味では、あらかじめ仕事に関する知識を持っていたり、資格を取っていたりすると、入社後すぐにでも即戦力として、部署に配属できる。働く側としても、自分の能力を活かしながら働ける訳だから、どちらにとってもウインウインと言ったところだろうか。

 手に取った本自体は、分厚くて何ページにもわたっている。ちらっとページをめくってみただけでも、初めて耳にする資格ばかりで、とても立ち読みできるレベルではなかった。少し値が張るけど、これも自分のため。買うことに決めたのだった。

 レジで、スマホのバーコードを読み取ってもらう。ポイントが十倍になる抽選に当たった。ラッキー。画面を閉じようとしたとき、ふと気になって、決済完了画面をスクロールしてみる。こうやって見るのは、もう何度目だろうか。

 やはり見つけた。でも、再販制度によって本の値引きはできないから、代わりに出てきたのは『過去の受講者限定 入会金無料・受講料10%OFF 資格学園』と書かれたクーポン。

 こうやって驚かされるのにも、慣れてしまった。まさか、この街の小さな本屋さんと、資格の専門予備校とが繋がっている訳ではないと思いながらも、なんとなく釈然としない。

 用事が住んだら早く出て行くようにと、年配の男性店主から無言の圧力をかけられているようで、居心地の悪さを感じた私は、とりあえずお店を出た。スマホのその画面を見ながら、とぼとぼと歩き始める。

改めて見てみると、クーポンには『過去の受講者限定』と、わざわざ太字で協調して書かれている。運転免許と高校時代に取った英検一級、それと小学生の頃に通っていた、書道教室で取った毛筆初段以外に、資格と言えるものは持っていない。だから、この資格学園なる予備校に通ったことだってなかったのだが、いかにも私がそこの修了生のような書き方をしている。これって、一体、どういうことだろう。

 商店街を抜けて住宅街の道路に出ると、冬の短い日の光が、今まさに道路正面に見える山並みに隠れるところだった。突き刺すような光が、私の身体をオレンジ色に染めている。

「明日は、きっといい日になるよ」

 夕日に向かって、それとなく呟いてみた。ふわっと身体が浮いたみたいに、足取りが軽くなった。なんだか、この先に本当にいいことが待っているように思えてきて、自然に心がワクワクしてきた。


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