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第7話 彼女に外堀を埋められ、手錠でつながれた夜

「もうそろそろいいだろ?」


「やだ! まだ離れたくない!」


「いや、もう一時間だぞ? さっきからハグしたり、手をつないだり、その繰り返しじゃないか。そろそろ帰ろうぜ!」


(演技にしては長すぎないか?)


(いや、あれか。ゆっくりじっくり、俺の心をへし折るための布石なのか?)


(それとも――)


 姫城菜乃花は、本当は俺のことが好きなんじゃないか?


 そんな疑念が、ふと頭をよぎった。


(いやいや! それはない! それじゃ、今までの嫌がらせの説明がつかなくなる!)


(惑わされるな。引き続き、メロメロになったふりをするんだ)


 俺は姫城を抱きしめたまま、そっと顔を下げた。


 すると彼女は、不満そうに頬をぷくっと膨らませている。


「もう、私に飽きてきたんだ。別れたいって思ってるんだ。ふーん」


「いや、違う。誰に見られるか分からないだろ?」


「じゃあ、まだ一緒にいていいの?」


「それは……」


 俺が言葉に詰まると、姫城はじっと俺の顔を見つめた。


「それに、その……充電したいなら、キスとかあるじゃん?」


「ふーん。悠介、私とキスしたいんだ?」


 姫城は急に得意げな顔になった。


 どうやら、イチャイチャモードでも嫌みを言うところは変わらないらしい。


「姫城、違う! そのほうが早く充電できるって話だ! ていうか、充電って何だよ。スマホか!」


(くそっ……何で俺、こんなにドキドキしてるんだよ)


「あれ? 私とキスしたいから、まだ『姫城』呼びなの?」


「やっぱり悠介って、かわいい〜♡」


「もういい! 早く帰るぞ!」


「悠介!」


「なんだよ?」


 振り返った瞬間――。


 チュッ。


「――っ!」


 今日、いったい何回キスするんだよ。


 そして俺は、いったい何回ドキドキすればいいんだよ。


(違う。このドキドキは、怒りのドキドキだ)


     ◇


 オレンジ色の夕日が道を染めるなか、俺たちは並んで下校していた。


 姫城は隣で、何やらぶつぶつと呟いている。


「このままじゃ、佐藤さんに……」


「まずは、私の悠介が取られないように外堀から埋めていこうかな……」


「何を物騒なこと言ってるんだ?」


「ううん。何でもないよ」


 姫城は何食わぬ顔で、ポッキーを人差し指に押し込み、ぽりぽりとかじる。


 何を言っているのか、さっぱり分からない。


 ちなみに姫城は、当然のように俺と手をつないでいた。


 そのとき、スマートフォンがピロンと鳴った。


 画面を見ると、母さんからのメッセージだ。


 朝から姫城のメッセージが大量に届いていたせいか、アプリを開いてもすぐに落ちてしまう。通知を確認するのも一苦労だった。


 そんな俺の様子を察した姫城は、今日は四つ折りの手紙で連絡してきたのだ。


「あっ、やっと開いた」


 母さんからのメッセージには、こう書かれていた。


『我がバカ息子よ。牛乳を買ってきてくれ』


(うわ……めんどくさい)


 その瞬間、隣で姫城が呟いた。


「よし。まずは外堀から埋めよう」


「おい、さっきから何言ってるんだよ」


「ううん。悠介には関係ないこと」


「そうか。悪いけど、菜乃花。スーパーに寄ってもいいか? 母さんに牛乳を頼まれてさ」


 当然、「うん」と返事をして一緒に来ると思っていた。


 ところが――。


「ちょうどよかった! 分かった。私、先に帰ってるね?」


「え?」


 姫城はそう言うと、つないでいた手を名残惜しそうに離し、そのまま帰っていった。


     ◇


「うわ、もう真っ暗だよ」


 家の前で、俺はため息をついた。


 片手には、スーパーで買ってきた牛乳の袋。姫城と別れたあと、母さんに頼まれて寄り道したせいで、すっかり遅くなってしまった。


 とはいえ、家族に頼まれたおつかいを面倒だと思ったことはない。


 俺が中学のころ、いじめられていたときも、家族は最後まで俺の味方でいてくれた。


 だから、俺は家族が大切だ。


 いつか自分も、あたたかい家庭を持てたらいいと思っている。


(そのためには、まず俺のことをちゃんと好きでいてくれる人を見つけないとな)


 ガチャリ。


「ただいまー」


 玄関のドアを開けた瞬間――。


「お〜に〜ちゃ〜ん♡」


「うわあっ!」


 ものすごい勢いで飛びついてきたのは、妹の八王子優奈だった。


「お、おい! いきなり抱きつくな!」


「いいじゃん。お兄ちゃん成分が足りなかったんだもん」


「そんな成分は存在しない!」


 優奈は俺の腕にしがみついたまま、にこにこと笑う。


「そうだ、お兄ちゃん。今日、手錠を二つ買ってきたんだけど、いる?」


「……手錠?」


「おもちゃだよ。ちゃんと鍵もついてるの!」


「また百円ショップで変なものを買ったのか? ていうか、兄貴に何を持たせようとしてるんだよ」


 俺の妹はおもちゃが大好きで、百円ショップに行くたび、よく分からないものを買い漁ってくる。


 はっきり言って、お金の無駄だ。


「だって、愛し合う二人が手錠でつながれて、仕方なく一緒に過ごすうちに愛が深まっていくんだよ? お風呂もお手洗いも一緒! ラブコメの定番展開でしょ?」


「悪いが、俺にそんな趣味はない!」


「へぇ〜。言い切るね?」


 優奈は意味ありげに笑った。


「もし今後、お兄ちゃんが誰かとそういう関係になったところを私が目撃したら、どうする?」


「は? そんなことあるわけないだろ」


「もしもの話!」


「……そうだな。五億円やるよ」


「すっご」


「まあ、天地がひっくり返ってもあり得ないからな。強気に七億だ」


「強気すぎて、二億も増えてるよ?」


 そのとき、リビングから母さんが顔を出した。


「おーい、バカ息子。今、二階に――」


「悪い、母さん。今日は疲れてるから、先に部屋で休むよ。ほら、牛乳」


 俺は牛乳を母さんに渡し、そのまま二階へ上がった。


「ちょっと、お兄ちゃん! 手錠の返事は!?」


「いらない!」


 背後から聞こえる優奈の声を振り切り、自分の部屋へ入る。


 ベッドの端に腰を下ろすと、ようやく一息つけた。


「……今日は、いろいろありすぎたな」


 嘘の告白に、突然の交際宣言。


 昼休みのキスに、佐藤さんとの友達宣言。


 そして放課後の嫉妬と抱擁。


 姫城菜乃花と付き合い始めて、まだ一日も経っていない。


 それなのに、俺の日常はもう、すっかり振り回されていた。


(明日から、この生活が続くのかよ……)


(姫城が俺をゴミのように捨てる、その日まで……)


(唯一の休息場所は、この部屋だけだな)


「少しだけ……寝よう」


 俺は部屋の電気を消し、ベッドへ潜り込んだ。


 布団を頭まで引き上げ、目を閉じる。


 今日一日の出来事を思い返すのは、もうやめだ。考えれば考えるほど、頭がこんがらがっていく。


 今はとにかく、眠ろう。


 そう思った、そのとき――。


 ふわり。


 布団の中に、温かな気配が入り込んできた。


 甘い香りが鼻をくすぐる。


「……悠介」


「はっ!?」


 聞き覚えのある声に、俺は勢いよく布団をはねのけた。


「な、なんで姫……菜乃花がここに!?」


「こんばんは、悠介」


「こんばんはじゃない! ここ、俺の家だぞ!? 不法侵入――」


「違うよ。お母さんに許可をもらってるもん」


「許可って……母さんから!?」


 その瞬間、枕元のスマートフォンがブーッと震えた。


 暗闇の中、画面が青白く光る。


 母さんからのメッセージだった。


『バカ息子へ。今、お前の部屋に彼女がいるから。さっき家に来て、いろいろ話してるうちに仲良くなっちゃった。お前にはもったいないくらい可愛くていい子じゃないか。話が盛り上がって、菜乃花ちゃんは泊まることになったよ。向こうの親御さんにも許可をもらってるからね』


「…………」


 俺はスマートフォンの画面と、隣で微笑む菜乃花を交互に見た。


「母さん……何してくれてんだよ!?」


(姫城のやつ、いきなり外堀を埋めてきやがった!)


(っていうか、逆にいいのか? 親同士まで仲良くなったあとで俺を振ったりしたら、気まずくなるだろ!?)


(……いや、まさか俺の唯一の味方である家族まで味方につけて、振られたあとの逃げ場をなくすつもりか!?)


(嫌がらせの規模が、ついに家族を巻き込むレベルにまで……!)


「ねぇ、悠介。迷惑だったかな?」


 菜乃花が、少し不安そうに俺を見上げる。


「私ね、悠介とずっと、ず〜っと一緒にいたいの」


「いや、だからってベッドの中にいるのは……」


「驚かせたくなっちゃって」


「……まあ、いいよ」


「ほんと?」


 菜乃花の顔がぱっと明るくなる。


「ねぇ、悠介。暗闇の中で二人きりって、なんだかドキドキするね」


 菜乃花が俺のほうへ寄り添ってくる。


 俺はそのぶん、少し後ろへ下がった。


 すると彼女も、ささっと距離を詰めてくる。


「だめだよ、悠介。今日一日かけて、私以外の女の子に興味がなくなるくらいメロメロにしちゃうんだから!」


「だからもう、菜乃花にメロメロだって信じてくれ!」


 菜乃花は俺の手をつかみ、ぐいっと胸元へ引き寄せた。


「よしよし、悠介。あなたの彼女の名前は誰ですか?」


「だめだ! 全然信用されてねぇ!」


 そう言いながら、俺の頭を優しく撫でる。


(くそっ! こうなったら、今日中に姫城へメロメロになったと思わせるくらい、全力で演技してやる!)


「姫城菜乃花だよ」


「佐藤さんと姫城さん、どっちがかわいい?」


「いや、だからさっきも言っただろ!」


「もう一回言ってくれなきゃ、やだ」


「……菜乃花のほうがかわいいよ」


「えへへ♡ 偉い、偉い」


(あれ? 何だか俺、調教されて……)


(いや、違う! これは調教されているふりをして、逆に俺が姫城へ心酔したと思わせる作戦だ!)


(そう。これは高度な心理戦だ)


「悠介、顔がすごく嬉しそう」


「嬉しくないよ」


「ほんとかなぁ?」


「馬鹿馬鹿しい! 付き合ってられるか!」


 俺は布団から抜け出そうとした。


「だめだよ、悠介」


 ガチャリ。


「……は?」


 手首に、ひんやりとした違和感が走る。


 見ると、俺と姫城の手首が、おもちゃの手錠でつながれていた。


 これ、さっき優奈が言っていた手錠じゃないか!


「悠介、逃げちゃだめだよ」


 菜乃花は、鍵を指先で揺らして笑う。


「今日一日かけて、悠介の好感度をカンストさせるんだから」


「ギャルゲーみたいに言わないでくれるか?」


「大丈夫。鍵はちゃんとあるよ。お母さん、十九時に夕飯だから降りてきてって言ってたの。まだ十八時だし……あと一時間は、もう少しイチャイチャできるね?」


「できるね、じゃない!」


 こんな姿を優奈に見られたら、俺の生涯所得にまで影響が出る。


 そのとき――。


 コンコン。


「お兄ちゃん〜?」


「…………っ!」


 ドアの向こうから聞こえた妹の声に、俺たちはつながれた手首を見つめた。

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