第6話 俺に女友達ができた途端、彼女の嫉妬が爆発した
「……ねぇ、悠介」
「なんだ?」
姫城は目を閉じ、少しだけ顔を上向けた。
窓から差し込む光が、彼女のピンク色の髪を幻想的に照らしている。
(……えっ。これ、キス待ちってことか?)
(付き合ったその日にキスって、展開が早くないか? ていうか、姫城のこれも演技なんだよな?)
(いや、待て。姫城にメロメロになって心酔するなら、これはチャンスなんじゃないか? 早めに好き好きアピールをしておけば……俺が捨てられる展開も早まるかもしれない)
「ん〜……♡」
「ねぇ、悠介。まだ?」
「……えい! なるようになれ!」
俺はゆっくりと顔を近づけた。
姫城の唇に重ねようとした、その瞬間――。
頭の中に、俺の本音が響き渡る。
(こんな場所でいいのか? もっと雰囲気を大切にしたほうがいいんじゃないか? それに、これが姫城の演技なら、本人が望んでいないキスをすることになるんじゃ……)
迷いが生まれた。
その結果――。
チュッ。
俺は姫城の唇ではなく、頬にキスをした。
「……もう、悠介」
姫城は頬を膨らませた。明らかに不満そうだ。
「ごめん。こういうのは焦らず、俺たちのペースでやっていこうぜ?」
「……もぉ、分かったよ」
納得していない顔で、姫城はぷいっとそっぽを向いた。
(まだ俺が姫城に心酔していないって、見抜かれたか……)
まあいい。今は弁当が食べたい。
「じゃあ……そろそろ弁当を」
弁当へ手を伸ばそうとした、そのとき――。
チュッ。
「――っ!?」
姫城の柔らかな唇が、俺の唇に重なった。
不意を突かれ、俺は反射的に身を引く。
姫城は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「えへへ♡ 隙あり。私は今、したいの!」
「だって、もっともっと悠介に私を好きになってほしいんだもん!」
「おい! だとしても急すぎるだろ! 一気にペースを上げると、すぐマンネリして――」
「私、悠介とマンネリなんて絶対しないもん」
恋愛経験ゼロの俺は、分かったような顔で講釈を垂れる。
それなのに、胸のドキドキは止まらなかった。
まるで本当に、姫城とのキスにときめいているみたいだ。
(いや、待て! しっかりしろ、俺! これは姫城の演技だ!)
「姫城、分かったよ。とりあえず弁当を食べよう」
「ねぇ……菜乃花って呼んで! 名字で呼ばれるの、やだ!」
「いや、さすがに急には――」
「姫城」
俺がそう呼んだ瞬間。
チュッ!
再び、姫城の唇が俺の唇を塞いだ。
「は!? また!?」
「菜乃花って呼んでくれないと、やめないから!」
「いや、姫城、いい加減に――」
チュッ!
また唇を奪われる。
どうやら本当に、菜乃花と呼ばなければ、このキスの連鎖から逃れられないらしい。
「…………」
「分かったよ。菜乃花」
「うんうん! それでいいんだよ、悠介。偉いね♡」
姫城は満足そうに、俺の頭をよしよしと撫でてくる。
まるで俺を犬扱いだ。
(……弁当を食べるまで、あと何回キスすればいいんだ?)
◇
俺は姫城の弁当を食べながら、ふと思い出したことを尋ねた。
「そういえばさ。付き合ってることは、いつもの女子グループには話したのか?」
「ううん。悠介、目立つのが嫌いみたいだから。宇崎君にしか話してないよ」
「……そっか。助かる」
「うん。だから、学校では今までどおりに過ごそうね」
「ああ」
姫城は、俺の「目立ちたくない」という希望を尊重してくれているらしい。
その気遣いには、素直に感謝しておこう。
俺は無事に弁当を食べ終え、弁当箱の蓋を閉じた。
「ごちそうさま。うまかったよ」
「ほんと? よかったぁ!」
姫城は嬉しそうに笑い、俺の腕へ頬を寄せる。
昼休みのあいだずっと抱きつかれていたせいで、弁当を食べるのにも一苦労だった。
「そろそろ教室に戻るから、どいてくれないか?」
「そうだね。分かった」
姫城は素直に身体を離した。
――と思った次の瞬間。
チュッ。
「……なんで今!?」
「今のは、普通にしたかっただけ」
「姫城呼びしたわけでもないのに!?」
「キスしたい気分だったの」
あまりにも堂々と言われ、俺は返す言葉を失った。
こうして俺たちの密会は終わり、二人で教室へ戻ることになった。
◇
教室の扉を開けると、そこには偶然、佐藤瞳がいた。
「あっ、ごめん」
「いや、こちらこそ悪い」
俺たちが同時に謝ると、佐藤さんは不思議そうに首を傾げた。
「二人でどこか行ってたの?」
「えっ?」
俺は一瞬、返答に詰まる。
「ああ……その、姫城とは偶然そこで会ったんだ」
「へぇ。なんか新鮮だったから、つい。二人って、なんだかんだ仲良い印象があったし」
(何を言ってるんだ、佐藤さんは)
どう見ても、俺は姫城から嫌がらせを受けている。
仲が良いなんて、あり得るはずがない。
そのとき、隣にいた姫城が、冷ややかな目で佐藤さんを見た。
「は? 誰がこんな豚と仲良いって?」
「えっ……豚?」
佐藤さんが、ぱちぱちと目を瞬かせる。
「馬鹿馬鹿しい。豚と人間が仲良くなるなんて、不可能でしょ?」
「それに、八王子は女友達だっていないし。可哀想だけどね」
(こいつ、落差エグすぎるだろ……)
さっきまでの甘い態度は、跡形もなく消えていた。
その変わりように、俺は思わず呆然とする。
(こいつ……本当にさっきの姫城と同一人物か?)
だが、すぐに納得した。
(なるほど。さっきまで恋人を演じていた反動で、ストレスが溜まっていたのか)
(やっぱり、さっきの甘い態度は演技だったんだな。よかった……)
そう思ったはずなのに。
胸の奥が、ほんの少しだけ沈んだ。
(……あれ? 何で俺、寂しいんだ?)
そんな俺の顔を、佐藤さんが覗き込む。
「へぇ。八王子君って、女友達いないんだ」
「まあな」
「だったら、私と友達にならない?」
「……え?」
思いがけない提案に、俺は目を見開いた。
「ほら、私たち中学のとき、同じ塾だったでしょ? 私でよければ、友達になろうよ」
「佐藤さんと……友達?」
姫城の言葉が、頭の中で蘇る。
『八王子は女友達だっていないし』
その直後に差し出された、佐藤さんからの思いがけない誘い。
そして――。
少し離れたところでは、宇崎が腹を抱えて笑っていた。
「おい、宇崎! 何笑ってんだよ!」
「いやぁ……昼休みって、いろいろ起きるなぁと思ってさ」
「何の話だ!」
俺の隣で、姫城がむすっと頬を膨らませている。
「……佐藤さん。悠介と友達になるの?」
「うん。本人がよければだけど」
「ふーん……やめといたほうがいいんじゃない?」
姫城は笑顔を浮かべた。
ただし、その目はまったく笑っていなかった。
「それで、八王子君はどうなの? 私と友達になりたい?」
佐藤さんが、俺の顔を覗き込む。
断る理由はなかった。
ついさっき、姫城の甘い態度が演技だったと分かったばかりだ。
姫城に心酔するふり作戦は続けるつもりだが、目の前で手を差し伸べてくれる佐藤さんの手を振り払う理由もない。
「おう。よろしくな、佐藤」
「うん、よろしくね!」
佐藤さんは笑顔で頷いた。
「せっかく友達になったんだし、瞳って呼んでいいよ。陸上部の男子にもそう呼ばれてるし」
「分かった。瞳」
「あれ? 悠介って、女の子を下の名前で呼ぶのに抵抗ないんだね」
「ああ……まあな」
(ついさっき、抵抗がなくなったんだよな)
俺は不意に姫城のほうを見た。
彼女は頬をこれでもかというほど膨らませ、こちらを睨みつけている。
(彼氏として、ここは理由を聞いておくべきか。これから捨てられる予定だけど……)
「……いや、どうしたんだ? 姫城」
「…………」
姫城は俺の問いに答えず、小さく口を動かした。
「このままじゃ悠介が泥棒猫に取られちゃう……なんとかしないと」
「え?」
「ん? 何か言ったか?」
「な、何でもない!」
声が聞き取れず、俺が聞き返す。
姫城は慌てて首を振った。
その様子を見て、佐藤さんも不思議そうに首を傾げる。
「あれ? 姫城さん、今なんか言った?」
「ううん。何もないよ。早く席に戻ろう! 授業始まっちゃうから」
姫城はくるりと背を向ける。
「ほら、行くよ。佐藤さん、バカ王子」
「誰がバカ王子だ!」
俺たちはそれぞれ自分の席へ戻った。
次の授業は家庭科だ。
教科書を取りに行こうと、姫城が後ろのロッカーへ向かう。
そして、俺の席の横を通り過ぎる瞬間――。
ひらり。
四つ折りの紙が、俺の机の上へ落ちた。
姫城は振り返らず、そのまま自分の席へ戻っていく。
(またか……)
俺は紙を広げた。
『今日、絶対一緒に帰る。絶対。放課後、校舎裏で待ち合わせ』
なぜ二回も「絶対」と書いたんだ。
しかも、ずいぶん片言だ。
(……まあ、いいか)
俺は紙を机の中へしまい、前の席に座る姫城の後ろ姿を眺めた。
姫城は教科書を開きながら、こちらをちらりと振り返る。
目が合うと、すぐに顔をそむけた。
(なんだかんだ、俺と帰りたいのか?)
(でも、これはチャンスだ。昼休みはメロメロになっている演技がうまくできなかった。今度こそ……!)
そう自分に言い聞かせながら、俺は放課後を待つことにした。
◇
放課後。
俺は姫城に指定された校舎裏で、彼女を待っていた。
しばらくすると、向こうから姫城の姿が見える。
最初は普通に歩いていた彼女だったが、俺を見つけるなり、少しずつ足を速めていく。
そして俺の目の前で、ぴたりと立ち止まった。
「悠介!」
「お、おう。どうした――」
問いかけを終える前に、姫城が俺の胸へ飛び込んできた。
「はっ!? 急にどうしたんだよ!?」
幸い、周囲に人影はない。
姫城は俺の胸元に顔を埋めたまま、真っ赤な顔を上げた。
「早く、上書きするの!」
「上書き?」
「今日、佐藤さんと話してた時間を!」
姫城は俺の手をぎゅっと握り締め、そのまま胸元へ頬を押しつけた。
「私の悠介なのに……」
「佐藤さん、馴れ馴れしい」
「悠介に女友達なんていらないの」
「彼女の私がいれば、それでいいでしょ?」
姫城の腕に、ぎゅっと力がこもる。
「友達の穴だって、私が埋める。佐藤さんが悠介の心に入り込む隙なんてないんだから」
「だから今、こうしてぎゅっとして、悠介の心から佐藤さんを追い出してるの」
「いや、どんな理屈だよ」
「悠介は、私だけを見てたらいいの」
それは紛れもない嫉妬だった。
それでも俺は、姫城の演技なのだと思い込もうとしていた。
(……演技だって分かってるのに)
腕の中で頬を赤く染めている姫城は、どうしようもなく可愛かった。
「ねぇ……もっと強く抱きしめて」
「豚に抱きしめられてもいいのか?」
「意地悪言わないで」
「悠介は豚なんかじゃない」
「あれ、俺さっき傷ついたんだけど」
「悠介が世界で一番かっこいいの」
姫城の声が、少しだけ寂しげに響く。
俺はそれ以上からかうのをやめ、彼女の背中へ腕を回した。
そして、ぎゅっと抱きしめる。
「……これでいいか?」
「うん。もう少しだけ、このままでいて」
「ああ」
このときの俺は、まだ気づいていなかった。
この日の嫉妬をきっかけに、姫城の愛がさらに重くなっていくことを。




