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第4話 付き合った途端、ツンデレ姫がデレデレになった

「な、何よ! 付き合うんだから、名前で呼んだっていいでしょ!」


「…………は?」


 この女は、いったい何を言っているんだ?


 付き合う?


 誰と誰が?


(…………ああ、なるほど)


 昨日、俺から告白されたことが、あまりにも不愉快だったのだろう。


 それで姫城は、以前言っていた“好きな人”へ相談した。


 そして、その男と付き合うことになった。


 今からそいつが現れて、姫城を傷つけた俺へ制裁を加える――というわけか。


(なるほど。今から姫城の好きな男が現れて、俺が盛大なざまぁを食らう展開か)


 危なかった。


 もう少しで、俺と姫城が付き合うという、とんでもない鬱展開に突入するところだった。


 俺は大きく深呼吸すると、いつどこから現れるか分からない敵に備えて拳を構えた。


「よし。どこからでもかかってこい」


「……あんた、何言ってるの?」


 姫城が本気で困惑した顔を浮かべる。


「いや、お前の彼氏が俺を殴りに来るんだろ?」


「私の彼氏なら、今、目の前にいるんだけど」


「…………」


 姫城が、まっすぐ俺を指差した。


 俺はゆっくりと後ろを振り返る。


 誰もいない。


「後ろじゃなくて、あんたよ!」


「……俺?」


「ほかに誰がいるのよ!」


 姫城は頬を膨らませた。


 しかし、すぐに何かを思い出したように顔を上げる。


「と、とにかく学校へ行きましょう。カップルなんだし、別に一緒に登校してもいいわよね?」


「えっ」


「何?」


「あ、いや……そうだな」


(いったい、何がどうなってるんだ?)


 状況を理解できないまま、俺は姫城と並んで学校へ向かうことになった。


     ◇


 朝の住宅街を、二人で歩いていく。


 いつもなら一人で歩く通学路。


 その隣に学園一の高嶺の花がいるというだけで、まるで知らない道を歩いているような気分になった。


 コツン。


 歩いていると、姫城の左手が俺の右手へ触れた。


 偶然だろう。


 そう思って少し距離を空ける。


 コツン。


 また触れた。


 もう一度離れる。


 コツン。


 三度目だった。


(……これ、絶対にわざとだろ)


 横目で姫城を見る。


 彼女は正面を向いたまま、何食わぬ顔で歩いている。


 けれど、その頬はうっすらと赤く染まっていた。


「ねぇ……」


「なんだよ」


「ここなら、誰も見てないし……いいよね?」


「……何が?」


「だから、その……」


 姫城の指先が、恐る恐る俺の手へ近づいてくる。


「……えいっ♡」


 小さな掛け声とともに、姫城が俺の手をぎゅっと握った。


「は!?」


 柔らかな指。


 手のひらから伝わる、確かな温もり。


 緊張しているのか、ほんの少しだけ汗ばんでいた。


「お、おい。姫城?」


「何よ。恋人同士なら、手くらいつなぐでしょ?」


「いや、そうかもしれないけど……」


「だったら問題ないじゃない」


(いや、問題大アリですけど?)


 強気なことを言いながらも、姫城は俺と目を合わせようとしない。


 耳まで真っ赤だった。


 やがて、つないだ手に少しだけ力を込める。


「ねぇ……私のこと、好き?」


「え?」


 姫城は俺の肩へ、こつんと頭を預けた。


 桃色の髪が頬へ触れ、ほのかに甘い香りが漂ってくる。


「昨日は電話だったから、顔が見えなかったし……」


 姫城が不安そうに俺を見上げる。


「もう一度、ちゃんと聞きたいの」


「…………」


 その瞬間。


 俺は、すべてを理解した。


(ああ……なるほど)


(やっと姫城の狙いが分かったぞ)


 昨日の告白があまりにも不愉快だったため、普通に振るだけでは気が済まなかったのだ。


 そこで、いったん俺と付き合う。


 恋人として優しく接し、俺を徹底的に心酔させる。


 そして、俺が姫城なしでは生きていけない身体になった瞬間――容赦なく捨てる。


 絶望の底へ突き落とし、復讐を完成させるつもりなのだ。


(なんて恐ろしい女だ……!)


 まず相手の懐へ入り、完全に油断させたところで牙を剝く。


 例えるなら、明智光秀に裏切られる直前の織田信長。


 つまり、今の俺は本能寺にいる。


(だが、作戦が分かれば対処は簡単だ)


 俺が取るべき行動は、ただ一つ。


 全力で姫城に夢中になったふりをする。


 そして姫城が俺を振った瞬間、「お前がいないと生きていけない」と情けなく泣き崩れてみせるのだ。


 目的を達成して満足した姫城は、俺から永遠に離れていく。


 そうすれば今度こそ、俺に平穏な日常が戻ってくる。


(完璧だ)


 俺は空いている左腕を伸ばし、姫城の肩を抱き寄せた。


「当たり前だろ」


「ふぇっ!?」


「こんなにかわいい女の子と付き合えるなんて、俺は世界一の幸せ者だ」


「か、かわっ……!」


「もう姫城がいなければ生きていけない」


 交際開始から、およそ五分。


 早くも作戦を最終段階まで進めようとする俺。


 我ながら、さすがに気が早すぎる。


 姫城は目を丸くして、俺の顔をじっと見つめた。


 やがて嬉しそうに頬を緩めると、肩へ頭を預け直す。


「もぉ……悠介ったら、気が早いぞ♡」


「…………」


 姫城にも気が早いことが見抜かれる。


 どうやら姫城は、まだ俺を釈放するつもりがないらしい。


「でも……」


 姫城が少し寂しそうに呟いた。


「学校では、あんまり話しかけないほうがいいよね?」


「え?」


「だって悠介、目立つのが嫌いでしょ?」


「まあ、そうだけど……」


「私と話してたら、きっとみんなに注目されちゃうから」


 姫城はつないだ手を見つめる。


「だから、教室ではなるべく話しかけないようにするね」


「…………」


「私、悠介の負担にならない彼女でいたいから」


 そう言って、姫城は柔らかく微笑んだ。


「あ、ああ……」


(目立つのが嫌いだと知っていたなら、どうして今まで散々目立つような嫌がらせをしてきたんだ?)


 というか、もうすでに相当な負担がかかっている。


 この状況だけで、頭が破裂しそうだ。


「分かってくれて助かるよ」


「うん。任せて」


 姫城は満足そうに頷いた。


 しかし、すぐに表情を曇らせる。


「でもね、私……寂しいの」


「え?」


「学校で悠介と話せない分、寂しくなっちゃうと思う」


「それなら、普通に話しかければいいだろ」


「でも、悠介の負担になりたくないし……」


 姫城はしばらく悩んだあと、何かを思いついたように顔を上げた。


「だから、今ここでぎゅーってして♡」


「はぁ!?」


「学校で話せない分、今のうちに悠介の“大好き”を前借りしておくの!」


「小遣いみたいに言わないでもらえる?」


「いいから!」


 姫城は俺の返事を待たず、正面からぎゅっと抱きついてきた。


「お、おい!」


「えへへ……温かい♡」


 俺の胸元へ顔を埋め、幸せそうに笑っている。


 どうして俺のことが大嫌いなはずの女が、こんなにも嬉しそうなのだろう。


 もしかすると、俺の考えていることは何か根本から間違っているのでは――。


「お〜お〜。朝からお熱いねぇ、お二人さん」


 背後から、聞き覚えのある声が飛んできた。


「えっ?」


 姫城を抱きしめたまま振り返る。


 そこには、ニヤニヤと笑う宇崎が立っていた。


「宇崎!?」


「やっぱり、こうなったか」


(やっぱり?)


(どうして宇崎は、この状況を予想できたんだ?)


 俺が問い詰めようとするより早く、姫城が俺の胸からすっと離れた。


 そして一瞬にして、先ほどまでの幸せそうな表情を消す。


「……宇崎君。おはようございます」


「いや、いくらなんでも塩すぎるだろ! 俺が何したんだよ!」


「別に、何も」


 姫城は冷たい声で答えたあと、名残惜しそうに俺を見つめた。


「せっかく……二人きりで、イチャイチャできてたのに……」


 ぽつりと呟き、寂しそうに俯く。


 その表情を見た瞬間――。


 なぜか、俺の胸まできゅっと締めつけられた。


(……あれ?)


(どうして俺まで、こんなに寂しくなってるんだ?)


 宇崎は俺の顔をじっと観察したあと、面白そうに口元を緩めた。


「別にいいぜ。俺の前でも、そのままイチャイチャしてて」


「は?」


「親友が幸せそうにしてるの、俺も嬉しいし」


「俺が幸せそう?」


「へ、へぇ……」


 姫城が嬉しそうに俺を見上げる。


「悠介も、私と一緒にいられて幸せなんだ?」


「いや、俺は別に――」


 否定しながら、つないでいた手を離そうとする。


 その瞬間。


 姫城の表情が、目に見えて曇った。


「…………」


 捨てられた子犬のような目で、離れていく俺の手を見つめている。


 なぜ、そんな顔をする。


 これは全部、俺を絶望させるための作戦なのだろう?


 俺が本気で好きになったふりをすれば、姫城の目的は達成されるはずだ。


 だから、これは――。


「……もう、どうにでもなれ!」


 俺は離した手を、もう一度握った。


 今度は、ただ手のひらを重ねるだけではない。


 姫城の細い指の間へ、自分の指を一本ずつ滑り込ませる。


 恋人つなぎ。


「ゆ、悠介……?」


 姫城が驚いたように俺を見つめる。


 その瞳が、見る間に嬉しそうに輝いていく。


 俺はその笑顔から逃げるように、正面へ顔を戻した。


(……あれ?)


 どうして俺は、こんなことをした?


 姫城の作戦に付き合うため?


 本気で惚れたふりをするため?


 そのはずなのに――。


(何で俺の身体が、勝手に動いたんだ?)


 つないだ手の温もりが、先ほどよりもずっと熱く感じられた。


「えへへ……」


 姫城は恋人つなぎになった手を嬉しそうに見つめると、俺の肩へもう一度寄り添った。


「悠介、大好き」


「――っ」


 あまりにも真っすぐな言葉だった。


 照れ隠しも。


 嫌みも。


 いつものような挑発的な笑みもない。


 ただ幸せそうに、俺へ好きだと伝えている。


 その笑顔を見た瞬間、俺の心臓が大きく跳ねた。


(……何だ、今の)


 胸の奥が、妙にくすぐったい。


 俺はその感覚をごまかすように、姫城から顔をそむけた。


 しばらく三人で歩いていると、遠くに同じ制服を着た生徒たちの姿が見えてきた。


 それに気づいた姫城が、名残惜しそうにつないだ手へ視線を落とす。


「もうすぐ学校だね」


「ああ」


「この辺りから、知り合いに会うかもしれないから……」


 姫城は俺の手を離そうとして――一度だけ、ためらった。


 それから、最後にぎゅっと強く握る。


「寂しいけど、手を離すね」


「別に、俺は寂しくないけど」


「…………」


 姫城の頬が、ぷくっと膨らんだ。


「何だよ」


「別に。悠介の薄情者って思っただけ」


「思ったことを口に出してるじゃねぇか」


「学校では話しかけないようにするから。帰りは一緒に帰ろうね?」


「あ、ああ」


「約束だからね」


 念を押すように言ってから、姫城はようやく俺の手を離した。


 温もりが消える。


 ほんの数分前まで何もなかったはずの右手が、急に冷たくなったように感じられた。


「それじゃあ、また学校でね」


 姫城は俺へ満面の笑みを向ける。


「バイバイ、悠介」


 小さく手を振ると、俺たちから少し離れ、先に学校へ向かって歩き出した。


 桃色の髪が、朝日に照らされて揺れている。


 俺はその後ろ姿を、無意識に目で追っていた。


「…………」


「いやぁ〜、驚いたな」


 隣から、宇崎の楽しそうな声が聞こえる。


「何がだよ」


「昨日まであんなに毛嫌いしてたのに、俺の親友は意外とチョロいんだなと思って」


「は?」


 俺は宇崎を睨みつけた。


「違う。これは作戦だ」


「作戦?」


「ああ。姫城は、俺を自分なしでは生きられないくらい夢中にさせてから捨てるつもりなんだ」


「…………」


「だから俺は、姫城の作戦に乗ったふりをする。あいつへ全力で甘えて、あいつがいなければ生きていけない男を演じるんだ」


 宇崎は何も言わず、俺の顔をじっと見つめている。


「そうすれば、俺を捨てた姫城は復讐を果たして満足する。二度と俺へ関わってこなくなり、俺には平穏な日常が戻ってくる」


「へぇ……」


 宇崎の口元が、ニヤリと歪む。


「全部、演技なんだ?」


「当たり前だろ」


「それじゃあ、さっき姫城さんが手を離したとき、お前の右手が追いかけるみたいに動いてたのも?」


「…………」


 俺は自分の右手を見る。


 確かに、何かを求めるように指先がわずかに曲がっていた。


「いや、これは……」


「姫城さんの後ろ姿を、ずっと目で追ってたのも?」


「それは周囲を警戒してただけだ」


「顔が真っ赤なのも?」


「…………うるせぇ」


 宇崎は堪えきれなくなったように、声を上げて笑った。


「ははっ! そっかそっか。全部、姫城さんを騙すための演技なんだな」


「そう言ってるだろ」


「なら、せいぜい頑張れよ。名俳優さん」


「言われなくても、そのつもりだ」


 俺は姫城の背中を追いかけるように、再び歩き出した。


 こうして――。


 俺と、俺のことが大嫌いなはずの高嶺の花。


 姫城菜乃花との、奇妙な交際生活が始まった。


 姫城から解放され、平穏な日常を取り戻すため。


 俺はこれから、誰よりも彼女を愛しているふりをして、誰よりも彼女へ甘えることになる。


 このときの俺は、まだ知らなかった。


 その“ふり”が、いつまで“ふり”でいられるのかを――。

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