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第3話 俺のことが大嫌いなはずの女と付き合った日

「今日中に、姫城に告白してこい」


「…………は?」


宇崎の口から飛び出した予想外の言葉に、俺の思考が停止した。


一瞬、何を言われたのか理解できなかった。


いや、正確には言葉の意味は分かる。


分かるからこそ、理解したくなかったのだ。


「いやいやいや! 何でそうなるんだよ!?」


よりによって、姫城へ告白?


俺のことを世界で一番嫌っている、あの姫城菜乃花に?


そんなもの、罰ゲームを通り越して公開処刑だろ。


「決まりな。今日中にちゃんと告白しろよ」


「ちょっと待て! さすがに――」


(…………いや、待てよ?)


俺は顎に手を添え、冷静に状況を整理する。


姫城は、俺のことが大嫌いだ。


そんな俺が姫城へ告白する。


当然、姫城は俺を振る。


それどころか、激しく嫌悪し、二度と俺に近づかなくなるかもしれない。


すると、どうなる?


姫城からの嫌がらせがなくなる。


俺に平穏な日常が戻ってくる。


「つまり……」


バラバラだった点と点が、俺の頭の中で一本の線につながった。


「姫城に告白すれば、この長きにわたる戦いに終止符を打てる」


「……どうしてそうなる?」


「攻撃は最大の防御とは、まさにこのことだ」


俺は拳を強く握りしめた。


「やっと、この日々から解放されるんだ……!」


目が合えば、喧嘩。


口を開けば、嫌み。


毎日毎日、それの繰り返しだった。


もちろん、罰ゲームで嘘の告白をすることが最低だという自覚はある。


後になって、このクラスにいる姫城の好きな男からぶん殴られるような展開になったとしても、甘んじて受け入れるつもりだ。


それで静かな日々を手に入れられるのなら、むしろお釣りが来る。


だが、これは完全に盲点だった。


どうせ姫城は即座に俺を振る。


ならば、俺の告白が本気か嘘かなど、結果には何の影響もない。


姫城が傷つくこともない。


それどころか、俺への嫌悪感が限界を突破し、今後一切関わってこなくなる可能性すらある。


(完璧だ……)


(俺の告白が通るなんて、天地がひっくり返ってもあり得ないからな)


俺は両手で頭を抱えた。


苦悩しているわけではない。


自分のあまりの天才ぶりに、恐れおののいているのだ。


「どうして今まで思いつかなかったんだ……」


「まあ……お前が思ってるような結果にはならないと思うけどな」


宇崎が意味深に呟き、椅子から立ち上がる。


「どういう意味だ?」


「別に。こっちの話」


宇崎はそれ以上答えず、机の上に残されたバスケットを指差した。


「残りのカツサンドも、ちゃんと食べとけよ」


「はぁ!? 無理に決まってるだろ。俺、マヨネーズ食えないぞ?」


「大丈夫だ」


宇崎は当然のことのように告げた。


「それ、全部マヨ抜きだから」


「…………は?」


俺は慌ててバスケットへ手を伸ばした。


残っているカツサンドを一つ取り、上側のパンをぺろんとめくる。


マヨネーズはない。


別のカツサンドも確認する。


ない。


さらに別のもの。


やはり、ない。


端から順番に確かめてみたが、どのカツサンドにもマヨネーズは使われていなかった。


「本当に……全部入ってない」


俺が毎日食べているものと同じだ。


千切りキャベツとソースだけで味つけされた、マヨネーズ抜きのカツサンドだった。


「宇崎のやつ……何で分かったんだ?」


教室から出ていく宇崎の背中を見つめる。


なるほど。


天才の友達もまた、天才ということか。


類は友を呼ぶとは、まさにこのことである。


俺は一人で納得しながら、姫城が作ったカツサンドへ手を伸ばした。


そして腹がはち切れそうになりながら、昼休みが終わるまでにどうにかすべて完食した。


     ◇


学校から帰宅し、気づけば時刻は午後八時。


自室のベッドへ腰を下ろした俺は、スマートフォンを片手に思考を巡らせていた。


(さて……どうやって告白するか)


直接呼び出して告白するべきか。


それとも、電話で済ませるべきか。


俺は本棚から手当たり次第にラブコメ漫画を取り出し、告白回だけを読み漁った。


どの主人公も、ヒロインと面と向かって告白している。


夕暮れの教室。


誰もいない公園。


夜景の見える展望台。


桜が舞い散る校庭。


舞台は違えど、直接気持ちを伝えるという点だけは共通していた。


電話で告白するのは、離れ離れになっていたり、今すぐ伝えなければ間に合わなかったりする場合だけ。


対して、俺と姫城の家は徒歩で行ける距離にある。


直接告白しようと思えば、今からでもできる。


(まあ……電話でいいだろ。どうせ振られるし)


全国のラブコメ主人公たちよ。


申し訳ないが、俺はお前たちのように真剣な恋をしているわけではない。


これは告白ではなく、嫌がらせから解放されるための儀式なのだ。


俺は姫城の連絡先を表示し、通話ボタンへ親指を伸ばした。


緊張がないと言えば嘘になる。


けれど、それ以上に高揚していた。


これで、やっと終わる。


姫城からの嫌がらせに耐える日々が。


明日から、俺の理想とする静かで平穏な学校生活が始まるのだ。


俺は意を決して、通話ボタンを押した。


プルルルル……。


一回。


二回。


三回。


呼び出し音が鳴るたび、なぜか俺の鼓動も少しずつ速くなっていく。


そして四回目が鳴り始める直前、通話がつながった。


『も、もしもし!?』


姫城の声が、勢いよく飛び込んでくる。


心なしか、少し息が上がっていた。


『な、なななによ、急に!』


「悪いな。こんな時間に電話して」


『べ、別にいいわよ。ちょうど暇だったし』


電話の向こうから、何かが倒れるような音が聞こえた。


続いて、慌ただしく何かを片づける音。


どうやら、本当に突然の電話だったらしい。


『それで……用件は?』


「ああ」


ここで余計な前置きをしても仕方がない。


俺は一度だけ息を吸い、用意していた言葉を告げた。


「俺、姫城のことが好きだ」


『…………』


電話の向こうから、音が消えた。


「姫城?」


『…………は?』


「だから、姫城が好きなんだ」


『えっ、ちょっ……え? あ、あんたが? 私を?』


「ああ」


『な、何で!?』


何でと聞かれると困る。


これは罰ゲームだから――などと、正直に答えるわけにはいかない。


俺は昼間に食べたカツサンドを思い浮かべながら、もっともらしい理由を口にした。


「料理がうまいところとか」


『……っ!』


「何だかんだ、いつも俺に話しかけてくれるところとか」


『そ、それは……』


「あと、たまに見せる笑った顔とか……結構、かわいいと思ってる」


『か、かかかかわっ――!?』


電話の向こうで、再び大きな物音がした。


かなり重そうな何かが、床へ落ちた音だった。


(言葉にならないほど気持ち悪かったのか……?)


だが、ここで引いてはいけない。


どうせ嘘の告白をするなら、中途半端な内容では駄目だ。


姫城が二度と俺へ近づきたくなくなるくらい、徹底的に気持ち悪がらせる。


そのほうが、計画の成功率も上がるはずだ。


「姫城に夢へ出てきてほしくて、毎晩寝る前に姫城のことを考えてる」


『ふぇっ!? い、いきなり何言ってんのよ!』


「それから、毎晩姫城をおか――」


『お、おか……何よ?』


「…………」


待て。


この先を口にしたら、嫌われるどころか通報されるのではないか?


さすがの俺にも、人として越えてはいけない一線くらい分かる。


「いや、今のは忘れてくれ」


『ちょっと! 気になるじゃない! 最後まで言いなさいよ!』


「絶対に嫌だ」


『何でよ!』


危なかった。


もう少しで、穏やかな学校生活ではなく警察のお世話になる生活が始まるところだった。


これ以上引き延ばせば、余計な失言を重ねかねない。


俺は覚悟を決め、最後の言葉を口にした。


「俺と付き合ってほしい」


『――――っ!』


長い沈黙が落ちる。


耳に当てたスマートフォンから、姫城の荒い呼吸だけが聞こえてきた。


やがて姫城は、震える声で叫んだ。


『ば、馬鹿じゃないの!? 誰があんたなんかと!』


(ほら、やっぱりな)


予想どおりの反応だった。


『私、こう見えてモテるのよ!? 毎月何人に告白されてると思ってるの!』


「知らないけど……」


『あんたみたいな、デリカシーがなくて、鈍感で、将来性の欠片もなさそうな男なんて――』


「なんだよ」


『その辺にいる豚と付き合ったほうが、まだ幸せだわ!』


一切の容赦がなかった。


さすがに豚より下に分類されるのは傷つく。


俺にだって、最低限の人間としての尊厳くらいはある。


とはいえ――それも今日で終わりだ。


『でも……』


姫城の声が、急に小さくなった。


『あんたが、どうしても私と付き合いたいっていうなら……』


「いや、そうだよな。悪かった」


『…………へ?』


予想どおり、俺は振られた。


だったら、これ以上姫城を困らせる必要はない。


さっさと電話を終わらせよう。


「突然、変なこと言って悪かった」


『ちょ、ちょっと待って。私、まだ――』


「これから顔を合わせると気まずいだろうけど、心配しなくていいから」


『え?』


「できるだけ姫城に迷惑をかけないように、俺から距離を取るつもりだ」


『待って! そうじゃなくて――』


「ごめんな。こんな豚野郎に告白されて迷惑だったよな」


『だから、豚は言葉のあやで――』


姫城が何か言っている。


けれど、頭の中では長年続いた戦いから解放された喜びが爆発していて、その言葉はほとんど耳に入らなかった。


「今まで、本当にありがとう」


『何でお別れみたいになってるのよ!?』


「大好きだったよ、姫城」


『――っ!』


最後くらいは、本気で告白したように締めくくろう。


そのほうが、罰ゲームとしても格好がつく。


「じゃあな」


『ちょっと待ちなさい! まだ話は終わってな――』


ピッ。


俺は通話終了のボタンを押した。


静寂が戻ってくる。


「…………ブヒ」


しばらくスマートフォンを見つめたあと、俺は大きく息を吐いた。


「姫城……相当怒ってたな」


罵倒の嵐だった。


あれほど俺を嫌っているなら、もう向こうから関わってくることはないだろう。


「はぁ……。これで明日から、平和な学校生活を送れる」


長年背負っていた重荷から、ようやく解放された。


全身から力が抜けていく。


俺はそのままベッドへ倒れ込み、いつの間にか深い眠りへ落ちていた。


     ◇


プルルルル――!


けたたましい音が、部屋中に鳴り響いた。


「……うるさっ」


布団の中から腕を伸ばし、手探りでスマートフォンをつかむ。


どうやら朝の目覚ましらしい。


「もう朝か……」


カーテンの隙間から、柔らかな朝日が差し込んでいる。


目覚めは、これまでにないほど爽快だった。


今日からは、姫城の嫌がらせに怯える必要がない。


清々しい朝だ。


俺は目覚ましを止めようとして、画面を埋め尽くす大量の通知に気づいた。


「……何だ、これ?」


不在着信。


不在着信。


不在着信。


数え切れないほどの着信履歴。


発信者の名前は――。


そのすべてが、姫城菜乃花だった。


「…………」


恐る恐る、メッセージの通知へ目を向ける。


しかし、開く直前で指を止めた。


「朝からとんでもない嫌がらせだな……。よっぽど嫌だったんだな」


もしかすると俺は、とんでもない地雷を踏み抜いてしまったのかもしれない。


だが、大丈夫だ。


姫城からすれば、大嫌いな男から突然告白された挙げ句、自分で振ったのだ。


これほど怒っているのなら、今日学校で顔を合わせても、向こうから声をかけてくることはないだろう。


これで本当に、俺たちの関係は終わった。


俺は大量の着信履歴を見なかったことにして、朝の支度を始めた。


顔を洗い。


制服へ着替え。


簡単な朝食を腹に入れる。


鞄を肩へ掛け、いつものように玄関の扉へ手を伸ばした。


ガチャリ。


扉を開けた瞬間――。


淡い桃色の髪が、朝の風にふわりと揺れた。


「…………え?」


俺は、その場で固まった。


門の前に、一人の少女が立っている。


何度も前髪を整えたり。


スカートの裾を気にしたり。


こちらへ歩き出そうとしては、また足を止めたり。


見るからに落ち着かない様子で、そわそわと俺の家を見つめていた。


学園中の男子が憧れる、高嶺の花。


そして昨日、俺が嘘の告白をした相手――。


姫城菜乃花だった。


「な、何でここにいるんだ!?」


思わず叫んだあと、さらに重大な疑問が浮かぶ。


「というか、何で俺の家を知ってるんだよ!?」


俺の声に気づいた姫城が、びくっと肩を震わせる。


ゆっくりと振り返った彼女の目元には、うっすらと隈が浮かんでいた。


どうやら、あまり眠れていないらしい。


それでも俺と目が合うと、姫城は慌てて背筋を伸ばした。


「……お、おはよう」


いつもの刺々しい声ではない。


俺の顔色を窺うような、ひどく不安げな声だった。


姫城は胸元で鞄の持ち手を握りしめながら、一歩だけ俺へ近づく。


そして、頬を真っ赤に染めながら言った。


「あの……悠介。昨日の話なんだけど……」


「…………え?」


「ゆ、悠介……?」


名前を呼び返すと、姫城の顔がさらに赤くなった。


「な、何よ! 付き合うんだから、名前で呼んだっていいでしょ!」


「…………は?」


付き合う?


誰と誰が?


昨日、俺は振られたはずでは?


俺の頭の中で、無数の疑問符が一斉に弾け飛ぶ。


このときの俺は、まだ気づいていなかった。


俺が姫城から解放されたと思って眠っている間。


姫城は一睡もできず、ずっと俺のことを考えていたことを。


そして、この朝が――。


長いあいだ掛け違えていた俺たちのボタンを、ひとつずつ掛け直していく最初の日になることも。

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