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【完結】獅子の隣で羽ばたく小鳥〜不器用な猛将は、傷ついた令嬢を離さない〜  作者: 桐生 翠月


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7.綻びの正体

 軟膏の一件から数日。

 資料庫の空気は、甘やかな熱を残しながらも、軍務の厳しさを伴う冷ややかなものへと戻りつつあった。

 

 リベラータは今、グレイグが見守る中、襲撃者が遺した短剣と、例の綻びのある書類を並べて睨み合っている。

 

「……。やはり、不自然です」

 

「何がだ」

 

 グレイグは彼女の背後に立ち、その細い肩越しに手元を覗き込んだ。彼の体温を近くに感じ、リベラータの胸が僅かに高鳴る。けれど、今はそれ以上に確信に近い違和感が彼女を突き動かしていた。

 

「この短剣に刻まれた魔術式……。一見、闇ギルドが好む凶悪なものに見えますが、基幹部分の組み方に無駄がありません。これは、王立魔術学院で学んだ者……それも、軍の枢要(すうよう)にいる人物ではないでしょうか」

 

「……。続けろ」

 

 グレイグの声が、低く鋭くなる。

 

「この書類の改竄(かいざん)です。弟君、ライゼル様のご活躍で王の信任がより一層厚くなった今、レイヴァーグ家の功績を削り、予算を凍結しようとする意図が見え隠れしています。……王家への忠誠を誓うレイヴァーグ家を、王の目から遠ざけようとしている()()がいる」

 

 リベラータは一呼吸置き、かつて過ごした遠い地を思い出すように目を伏せた。

 

「王都から遠く離れたコンティ家にも、王都に危機があったことは聞き及んでおりました。あの騒乱を鎮めたライゼル様、そしてレイヴァーグ家の存在を、快く思わない勢力が潜んでいるようです」

 

 リベラータが杖を置き、震える指で書類の一点を指し示した。

 そこには、魔力の観測数値を書き換えた際に生じた、独特の歪みがあった。

 

「この歪み……。以前、グレイグ様の執務室へ出入りしていた事務官たちが持っていた印章の、魔力残滓(ざんし)と一致します」

 

 グレイグは無言で書類を手に取った。

 彼の表情は、まるで氷細工のように動かない。だが、握りしめられた羊皮紙が、彼の怒りを代弁するようにミシリと音を立てた。

 

「……あの事務官たちを派遣し、私の補佐として推薦したのは、国境警備隊の副官、ガウスだ」

 

「副官の……ガウス様?」

 

 リベラータは息を呑んだ。ガウスといえば、グレイグが最も信頼し、長年共に戦場を駆けてきた男だ。

 

「レイヴァーグ家がこれ以上、ヴェリタス国内で力を持つことを恐れた者が、軍の内部にいたということか。……ガウス。お前ですら、私ではなく己の保身を選んだというのか」

 

 グレイグは資料庫の暗がりに向かって、自嘲気味に呟いた。

 弟が伴侶を得て、最強の騎士として賞賛を浴びるほど、参謀職にあるグレイグの元には、それを快く思わぬ者たちからの嫉妬と裏切りの刃が向けられていた。

 

 グレイグは、不安げに自分を見上げるリベラータに視線を戻した。

 

「……すまない。君を巻き込むべきではなかった」

 

「いいえ……。私に居場所を見つけてくださったのは、グレイグ様です。だから、最後までお手伝いさせてください」

 

 リベラータの言葉に、グレイグは一瞬、驚いたように目を見開いた。

 これまで孤独に戦ってきた獅子の前に、自分を信じ、能力を尽くそうとする()()()()()()が、今や唯一の戦友のように立っている。

 

 グレイグは、彼女の細い手を両手で包み込んだ。

 

「……ああ。君のその鋭い視点があれば、私はもう、背後を取られることはないだろう」

 

 彼は彼女の手の甲に、そっと唇を寄せた。

 それは、これまでの便宜上の関係を脱ぎ捨て、一人の男として、彼女を生涯離さないと誓う「契約」のようでもあった。

 

 ——

 

 ガウスの裏切りという衝撃的な事実を突き止めながらも、グレイグは動かなかった。

 怒りに任せて問い詰めれば、背後の勢力に証拠を隠滅する隙を与えてしまう。彼は参謀として、そして軍人として、完璧な詰みの状態を求めた。

 

「ガウスは慎重な男だ。私が直接動けば、奴は即座に牙を隠すだろう」

 

 資料庫の冷えた空気の中、グレイグはリベラータが書き出した『魔力値の推移リスト』を指でなぞった。

 

「……。リベラータ、君にしか頼めないことがある。奴らが改竄(かいざん)した記録の裏にある、『本来の数値』を完全に復元できるか?」

 

「はい。不自然に均一化された魔力値の揺らぎを逆算すれば、本来、そこにいたはずの精霊の気配が導き出せます。……数値が削られた箇所を繋ぎ合わせれば、彼らが『どこで』『何を』しているのかが、きっと分かります」

 

 リベラータは力強く頷いた。杖に頼るその体は小さく、頼りなげに見えるが、広げられた地図を見据える瞳には、強かな光が宿っている。

 

 それから数夜、二人の作業は、資料庫の灯の下で密やかに行われた。

 グレイグは表向き、通常通り軍務をこなし、ガウスに対しても変わらぬ信頼を見せ続けた。その裏で、夜になれば資料庫に籠もり、リベラータが導き出した座標を自身の戦略地図に落とし込んでいく。

 

「……。見えてきたぞ。奴らが隠していたのは、北域の防衛要衝(ようしょう)における『意図的な精霊の衰退』だ」

 

 グレイグが低く、恐ろしい声で呟いた。

 

「観測数値を書き換え、精霊が減りつつある兆候を『誤差』に見せかけていたのは、そこに駐屯する私の部隊から、魔法の源を奪うためだ。……魔法の使えぬ軍が、北の脅威に晒されればどうなるか、ガウス、貴様は分かっていてやったのか」

 

「そんな……。精霊を追い出し、その土地の守りを内側から崩そうとしていたなんて」

 

 リベラータは戦慄した。魔法は各々の魔力回路を通すとはいえ、源流となる精霊がいなければその力は発動しない。軍の生命線を、目に見えぬ形で少しずつ断とうとする、極めて高度で悪質な計略だった。

 

 ふと、ペンを握るリベラータの手が、疲れで微かに震えた。

 それに気づいたグレイグは、背後から彼女の手をそっと包み込み、ペンを取り上げた。

 

「今夜はここまでだ。……あまり無理をするな。お前が倒れたら、私は何のために戦っているのか分からなくなる」

 

「グレイグ様……。私は、大丈夫です。お役に立てることが、こんなに嬉しいなんて……今まで知らなかったんです。ずっと、いなくてもいい存在だと思っていましたから」

 

 リベラータが振り返り、柔らかな微笑みを向ける。その無防備な献身が、グレイグの胸を激しくかき乱した。

 彼は彼女の細い腰を引き寄せ、その額に自分の額をそっと押し当てた。

 

 熱い吐息が、リベラータの肌をくすぐる。

 

「お前がいなければ、私はこの件を見抜けなかった」

 

グレイグはそこで言葉を切った。

 

 「……リベラータ。この件が終わったら、お前に贈りたいものがある。だから、もっと自分を大事にしろ」

 

 グレイグの不器用で強引な気遣いに、リベラータは瞳を潤ませて頷いた。

 

 網の目は、今まさに完成しようとしている。裏切り者ガウスが、自らの罪に気づくその瞬間は、もうすぐそこまで迫っていた。

 

 

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