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【完結】獅子の隣で羽ばたく小鳥〜不器用な猛将は、傷ついた令嬢を離さない〜  作者: 桐生 翠月


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11.泥濘からの呼び声

 その手紙が届いたとき、リベラータは一瞬、心臓が止まるかと思った。

 差出人は、実家のコンティ子爵家の義弟。内容は、彼女が予想していたよりも遥かに醜悪なものだった。

 

『父は病に倒れ、家は火の車だ。お前の不備な足を治すために費やした金のせいで、我が家は没落しかけている。王宮で功績を上げたというなら、その知恵で借金を帳消しにしろ。さもなくば、お前の不忠を世に知らしめ、その足を折ってでも連れ戻す』

 

 リベラータの手が、目に見えて震える。

 

(グレイグ様にだけは、知られてはいけない。……やっと頂いたこの夢のような居場所を、私の醜いしがらみで壊してはいけない。私がいることで、あの方を穢してはいけない……)

 

 彼女は咄嗟に、手紙を読みかけの古い魔導書の間に挟み込み、資料庫の奥へと隠した。

 

 しかし。

 扉の影で、その一連の動作を冷徹な瞳で見つめている男がいた。

 グレイグだ。彼はリベラータの顔色が変わった瞬間、すでに異変を察知していた。

 

 ——

 

 その夜から、リベラータの様子は明らかに変わった。

 食事の際も上の空で、グレイグが声をかけても、びくりと肩を揺らして「何でもありません」と力なく笑うだけ。

 

「……リベラータ、顔色が悪い。今日はもう休め」

 

「ありがとうございます……。少し、読み物に疲れただけですから」

 

 リベラータが自室へと引き上げた後、グレイグは暗い執務室でケネスを呼んだ。

 

「ケネス。先日届いた手紙の出処をすべて突き止めろ。それと、コンティ子爵家の最近の動向を洗ってくれ」

 

「承知いたしました。……グレイグ様、リベラータ様に直接お聞きにならないのですか?」

 

 グレイグは、深く椅子に背を預け、苦しげに目を閉じた。

 

「……あいつは、自分という存在が私を損なうことを何より恐れている。ならば、あいつが自ら私を頼ると決めるまで、私は『知らない』を演じ抜く。だが……」

 

 グレイグの拳が、机の上でぎりりと鳴った。

 

「その間に、あの薄汚い連中が彼女をこれ以上傷つけるなら、私はあの家を地図から消し去るぞ」

 

 それから数日、二人の間には、薄氷を踏むような沈黙が流れていた。

 グレイグは「知らないふり」を貫き、リベラータが自ら打ち明けるのを待ち続けた。だが、彼女が選んだのは、限界まで独りで耐える道だった。

 

 日に日に細くなっていくその背中を、グレイグは苦い想いで見守ることしかできなかった。

 

 そしてある日の午後。

 リベラータの元に、ふたたび義弟からの手紙が届いた。

 

『明日の正午までに良い返事がなければ、直接レイヴァーグ侯爵邸に乗り込み、お前がどれほどの不忠者か、そして、その不自由な体でどれほど家計を圧迫してきたかを、侯爵家の者たちにぶちまけてやる。お前の化けの皮が剥がれるのが楽しみだ』

 

 それは、彼女が最も恐れていた「グレイグを自分の醜いしがらみに巻き込む」という宣告だった。

 その夜、リベラータは一睡もできず、ただ震えながら夜明けを待った。

 

 そして迎えた翌日。約束の()()を告げる時計の音が遠くで響く。

 テラスで一人、震える手で茶を口に運ぼうとしたリベラータだったが、カチリと歯が鳴り、陶器の触れ合う乾いた音が響く。

 指先から力が抜け、茶器の重みさえ支えられない。

 視界が急に歪み、春の柔らかな日差しが、刺すような痛みに変わった。

 

「……あ」

 

 カップが手から滑り落ち、テラスの床に砕け散る。その音さえ遠くに感じながら、リベラータの体は力なく崩れ落ちた。

 

「リベラータ!」

 

 背後から響いたのは、切羽詰まったグレイグの声だ。

 地面に叩きつけられる直前、強い腕が彼女の体を抱きとめた。意識が混濁する中、リベラータは自分を呼ぶ声が震えているのを感じていた。

 

「熱いな……。おい、しっかりしろ!」

 

 グレイグの軍服の襟を弱々しく掴み、リベラータは熱に浮かされた瞳で彼を見上げた。

 

「……ごめんなさい、グレイグ様。私、……貴方を、……穢し……な……」

 

 最後まで言い切る前に、彼女の意識は深い闇へと沈んでいった。

 

 それから一晩、リベラータは高熱にうなされ続けた。

 グレイグは軍服のまま一度も彼女の傍を離れようとせず、氷嚢を替え、熱に浮かされて震えるその細い手を、壊れ物を扱うように両手で包み込んでいた。

 

「……。私は、何をしていたのだ……。すぐ傍にいたのに」

 

 グレイグは、苦しげに呼吸を繰り返す彼女の横顔を見つめ、低く掠れた声で自嘲した。

 

 彼女がどれほど我慢強く、一人で重荷を抱え込んでしまう性分か。それを誰よりも理解していたはずだった。王宮であれほど凛として見せた彼女が、その裏でどれほど脆い心を震わせていたのか。

 

(……気づいてやれなかっただけではない。私の考えが、及んでいなかったのだ)

 

「お前を支える」と言っておきながら、彼女が泥濘(ぬかるみ)に足を取られていることにさえ、今の今まで気づけなかった。その不甲斐なさが、鋭い刃となってグレイグの胸を抉る。

 

「……すまない、リベラータ。二度と、こんな真似はさせん。お前を傷つけるすべてを、私がこの手で終わらせる」

 

 グレイグは、意識のない彼女の指先に額を押し当て、祈るように、あるいは自分に誓うように呟いた。

 その瞳には、もはや後悔だけではない。彼女をここまで追い詰めた不届き者たちを、一欠片の慈悲もなく根絶やしにするという、静かな、けれど苛烈な獅子の決意が宿っていた。

 

 

 

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