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霧灯のラグナ ~崩壊する迷宮世界を、旧人類の《管理者権限》で書き換える~  作者: すいまる
第二章

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港に降りる影

 ――港が、騒めいていた。


 朝の光が雲の切れ間から差し込み、金属の桟橋の上で白くきらめいていた。

 いつもより多い人の流れ。

 装備を整える傭兵、慌ただしく走る作業員。

 港全体の空気が、落ち着かないざわめきで満ちている。


 その中心で、ひときわ大きな影が空を覆っていた。


 巨大な《浮遊船》――輸送用の艦だった。

 船の一番高い所には、《アグニア》の紋章を染め抜いた旗が掲げられている。

 赤い炎を模した双翼が、風にあおられて大きく揺れていた。


「……あれが、例の輸送船か」


 ラグナが呟く。

 朝一番でギルドに顔を出すと、受付嬢が「港へ」と札を差し出した。

 内容は「港の補助任務」。

 戦災孤児を乗せた輸送船が到着するため、入域と誘導の手伝いが必要だという。


「戦災孤児……」


 ラグナの呟きに対して、セラが低く返す。


「アグニアの都市が一つ、焼けたって話。火の連合と中立連合の小競り合いらしい。被害は“限定的”だそうだけど――言い方、便利よね」

「……“限定的”か」


 ラグナは苦笑し、港を見渡した。

 荷運びの男たちが走り、腕章を付けた監督官が指示を飛ばしている。

 その声の端々に、焦りと苛立ちが混じっていた。


 “戦災孤児”。

 その言葉だけが、喧騒の中でやけに重く響いた。


「おい、そこの二人!」


 監督官が声を張り上げた。

 黒髪を束ね、薄汚れた外套を着た男だ。


「ギルドの派遣か? 子どもたちの誘導を頼む。こっちも混乱してる、勝手な判断だけはするなよ」

「了解しました」


 セラが短く返す。


 監督官の指差す先――輸送船の扉が開き、人の列が現れた。

 最初に降りてきたのは医療班、その後ろに、子どもたち。

 十歳前後の子が多く、薄い布切れのような服はあちこち焦げと煤で汚れている。

 皆、一様に俯いていた。


 怯えた目、乾いた唇。

 その姿を見た瞬間、ラグナの胸に焼けつくような記憶が蘇る。


 ――赤い空、焦げた花弁。

 燃える屋根の下で泣き叫ぶ声。

 崩れ落ちる街。


「……リュナメスも、こんなだったな」


 セラがラグナの横顔を一瞥する。

 言葉はなく、ただ霧のような沈黙だけが二人を包んだ。


――――――


 子どもたちの列は長かった。

 泣く声、咳き込む声、名前を呼ぶ声。

 ラグナは膝をつき、最前列の少年に目線を合わせる。


「大丈夫。すぐ終わるからな」


 少年は怯えたように頷き、小さく手を握りしめた。

 少年の腕には、魔力刻印がない。

 《ティレーン》で暮らすには、本来“契約印”が押されているはずの場所だ。


 ラグナの目には、少年たちの頭上に微かな「光」が見えていた。

 名前や年齢、健康状態を示すような、淡い情報の輝き。

 それはこの世界の住人なら誰でも持っている、生命の灯火のようなものだ。


(……みんな、弱ってる)


 光はどれも小さく、風前の灯火のように揺らいでいる。


 手続き所では、係官が淡々と印章を押していく。

 ひとり、またひとり。

 子どもたちは次々と印を受け取り、街の一員になっていった。

 だが、その表情に安堵はなかった。


「……この子たち、どこへ行くんだ?」


 ラグナが監督官に問う。


「一時的に街の孤児院だ。だが、あそこも定員が限界でな。いずれ傭兵団か職人組に引き取られるだろう」

「“引き取られる”?」

「生きる場所を得る、ってことだ。ここ《ティレーン》は自由な街だからな。力さえあれば、誰でも生きられる」


 その言葉に、ラグナは黙った。

 “力があれば”。

 ――力が、なかったから守れなかった。


「ラグナ、次の子」


 セラの声が飛ぶ。

 思考を断ち切り、再び列に目を向ける。


――――――


 全員の入域が終わる頃には、陽が傾きかけていた。

 監督官が書類をまとめ、部下に指示を出している。

 ラグナが息を整えていると、背中に小さな声が届いた。


「ねぇ、お兄さん」


 振り返ると、薄茶の髪の少女が立っていた。

 年の頃は十二、十三歳。孤児の中では年長だ。

 痩せた腕を抱え、けれどその瞳は不思議と強い光を宿していた。


 その瞬間、ラグナの心臓がドクンと鳴った。

 胸の《銀の箱》が、冷たい警告を発する。


『――警告。対象の存在情報に、重度の欠落を確認』


(……え?)


 ラグナは目を凝らした。

 少女の輪郭が、テレビの砂嵐のように一瞬だけザザッと揺らいだ気がした。

 彼女の頭上にあるはずの「光」が見えない。

 いや、あるにはあるが……黒く塗りつぶされたように濁っている。


「どうした?」


 ラグナは動揺を押し殺し、努めて平静に問いかけた。


「……私、攻略者になりたいの」


 少女の言葉に、ラグナは一瞬、耳を疑った。


「攻略者? 君が?」

「うん。力がほしいの。誰にも奪われない、力」


 その声に、セラが目を細めた。


「理由を聞いても?」

「街が燃えたの。私の街。みんな死んじゃった。でも、私だけ……逃げてきた」


 少女の声が震えた。

 だが、涙はなかった。

 枯れたような静けさだけが残っていた。


(この子は……)


 ラグナは直感した。

 この少女の抱えている闇は、ただの戦争被害じゃない。

 もっと根深い、世界の歪みに触れてしまった者の気配がする。


 監督官に報告すると、男は面倒くさそうに肩をすくめた。


「本人が望むなら止めはしない。……お前たち、登録まで連れて行ってやれ。孤児院も手一杯だ」

「……いいんですか?」

「ティレーンは“自由”をうたう街だ。止める奴なんていないさ」


 言葉は冷たくも、どこか投げやりだった。

 ラグナは小さく頷き、少女――ミナの手を取った。

 その手は氷のように冷たく、そして触れた瞬間、再び視界にノイズが走った。


――――――


 ギルドの扉をくぐると、夕陽が窓から差し込んでいた。

 受付嬢は少し驚いた顔をしたが、手続きは手慣れていた。


「孤児の攻略者への登録ですね。本人確認は不要、意思の確認だけです」


 ミナが小さく頷き、震える声で名を告げる。


「……ミナ・レーヴァ。十ニ歳」


 契約印が刻印器に触れる。

 白い光が弾け、腕に淡い模様が浮かぶ。


「これで登録完了です。おめでとうございます――攻略者ミナさん」


 受付嬢が微笑み、薄い金属のカードを差し出した。

 ミナはそれを両手で受け取り、じっと見つめた。

 その手はまだ、震えていた。


「……早いな」


 ラグナが呟く。

 セラが小さく笑う。


「自由の街、だから」


 “自由”。

 その言葉の裏側で、誰の手も伸びない場所がある――そんな気がした。


 ギルドを出る頃には、空が赤く染まっていた。

 ミナは歩きながら、小さく言った。


「……お兄さんたち、すごいね。あんな風に戦えるんでしょ?」

「最初は誰だって初心者だよ」

「でも、私は違うの。絶対に強くなる。もう、何も失くしたくない」


 その言葉に、ラグナの胸が痛んだ。

 リュナメスの夜、彼自身も同じことを誓った。

 守れなかったものを思い出すように。


――――――


 夜。

 宿の廊下を、三人が並んで歩く。

 リャナが手配してくれた宿は一人部屋だったが、セラが二人部屋に移ってミナと同室になった。


 セラの部屋に集まり、灯光石のランプを囲む。

 外では風が鳴り、窓の外に雲が流れていた。


「……それで、ミナ。あなたはどこの街から?」


 セラが問うと、少女は少しだけ視線を落とした。


「無理に話す必要はないよ、ミナ」


 慌ててラグナがフォローの言葉をかけたが、ミナの視線は力強いものだった。


「大丈夫。私が住んでたのは《カルヴァ》って街。火の連合の都市だったの」

「カルヴァ……」


 ラグナは記憶を探った。

 地理にはそこそこ詳しいつもりだが、聞き覚えがない。

 セラも眉をひそめている。


「ヴァルト=ヴァルドの人たちが攻めてきたって、みんな言ってた。街が燃えて、みんな逃げた」

「ヴァルト=ヴァルドが……?」


 セラが訝しげに呟く。

 専守防衛を貫くヴァルト=ヴァルドが、他国を侵略するとは考えにくい。


「でも、そうじゃないって人もいた。“戦争なんてなかった”って。なのに、街は焼けた。どうして?」


 ミナの声が小さく震える。

 記憶の欠片が、どこか噛み合っていないように聞こえた。

 “戦争がなかったのに、街が焼けた”。


 ラグナの脳裏に、不吉な予感がよぎる。

 ミナの頭上で見た、黒く濁った光。

 そして告げられた『欠落エラー』という言葉。


(……もしかして、消されたのか?)


 街ごと。記録ごと。

 以前見た「剪定」の儀式のように、世界によって。


「……情報が混ざってる。どちらかが嘘をついてるのかも」

「どちらも真実かもしれない」


 ラグナが静かに言う。


「この世界には、そういうことがある」


 ミナは眉間にしわを寄せていたが、やがて力なく口元だけで笑った。


「……難しいね。でも、私、もう泣かないよ」


 その言葉に、セラが小さく頷いた。


「泣くのは、弱いことじゃない。でも……今の君には、それより強い何かがある」

「……うん」


 ランプの炎が揺れた。

 霧の街の薬草を混ぜた香が、淡く漂う。


 ラグナは椅子に背を預け、静かに目を閉じた。

 ミナの笑みが、かつてのリュナメスの人たちの面影に重なる。

 守ること――それが、自分の居場所を示すもののように思えた。


 窓の外で、夜風が船の鐘を揺らした。

 ティレーンの空は澄んでいたが、その奥に広がる“戦火の影”――あるいはもっと深い“深淵の影”は、確実に近づいていた。



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