港に降りる影
――港が、騒めいていた。
朝の光が雲の切れ間から差し込み、金属の桟橋の上で白くきらめいていた。
いつもより多い人の流れ。
装備を整える傭兵、慌ただしく走る作業員。
港全体の空気が、落ち着かないざわめきで満ちている。
その中心で、ひときわ大きな影が空を覆っていた。
巨大な《浮遊船》――輸送用の艦だった。
船の一番高い所には、《アグニア》の紋章を染め抜いた旗が掲げられている。
赤い炎を模した双翼が、風にあおられて大きく揺れていた。
「……あれが、例の輸送船か」
ラグナが呟く。
朝一番でギルドに顔を出すと、受付嬢が「港へ」と札を差し出した。
内容は「港の補助任務」。
戦災孤児を乗せた輸送船が到着するため、入域と誘導の手伝いが必要だという。
「戦災孤児……」
ラグナの呟きに対して、セラが低く返す。
「アグニアの都市が一つ、焼けたって話。火の連合と中立連合の小競り合いらしい。被害は“限定的”だそうだけど――言い方、便利よね」
「……“限定的”か」
ラグナは苦笑し、港を見渡した。
荷運びの男たちが走り、腕章を付けた監督官が指示を飛ばしている。
その声の端々に、焦りと苛立ちが混じっていた。
“戦災孤児”。
その言葉だけが、喧騒の中でやけに重く響いた。
「おい、そこの二人!」
監督官が声を張り上げた。
黒髪を束ね、薄汚れた外套を着た男だ。
「ギルドの派遣か? 子どもたちの誘導を頼む。こっちも混乱してる、勝手な判断だけはするなよ」
「了解しました」
セラが短く返す。
監督官の指差す先――輸送船の扉が開き、人の列が現れた。
最初に降りてきたのは医療班、その後ろに、子どもたち。
十歳前後の子が多く、薄い布切れのような服はあちこち焦げと煤で汚れている。
皆、一様に俯いていた。
怯えた目、乾いた唇。
その姿を見た瞬間、ラグナの胸に焼けつくような記憶が蘇る。
――赤い空、焦げた花弁。
燃える屋根の下で泣き叫ぶ声。
崩れ落ちる街。
「……リュナメスも、こんなだったな」
セラがラグナの横顔を一瞥する。
言葉はなく、ただ霧のような沈黙だけが二人を包んだ。
――――――
子どもたちの列は長かった。
泣く声、咳き込む声、名前を呼ぶ声。
ラグナは膝をつき、最前列の少年に目線を合わせる。
「大丈夫。すぐ終わるからな」
少年は怯えたように頷き、小さく手を握りしめた。
少年の腕には、魔力刻印がない。
《ティレーン》で暮らすには、本来“契約印”が押されているはずの場所だ。
ラグナの目には、少年たちの頭上に微かな「光」が見えていた。
名前や年齢、健康状態を示すような、淡い情報の輝き。
それはこの世界の住人なら誰でも持っている、生命の灯火のようなものだ。
(……みんな、弱ってる)
光はどれも小さく、風前の灯火のように揺らいでいる。
手続き所では、係官が淡々と印章を押していく。
ひとり、またひとり。
子どもたちは次々と印を受け取り、街の一員になっていった。
だが、その表情に安堵はなかった。
「……この子たち、どこへ行くんだ?」
ラグナが監督官に問う。
「一時的に街の孤児院だ。だが、あそこも定員が限界でな。いずれ傭兵団か職人組に引き取られるだろう」
「“引き取られる”?」
「生きる場所を得る、ってことだ。ここ《ティレーン》は自由な街だからな。力さえあれば、誰でも生きられる」
その言葉に、ラグナは黙った。
“力があれば”。
――力が、なかったから守れなかった。
「ラグナ、次の子」
セラの声が飛ぶ。
思考を断ち切り、再び列に目を向ける。
――――――
全員の入域が終わる頃には、陽が傾きかけていた。
監督官が書類をまとめ、部下に指示を出している。
ラグナが息を整えていると、背中に小さな声が届いた。
「ねぇ、お兄さん」
振り返ると、薄茶の髪の少女が立っていた。
年の頃は十二、十三歳。孤児の中では年長だ。
痩せた腕を抱え、けれどその瞳は不思議と強い光を宿していた。
その瞬間、ラグナの心臓がドクンと鳴った。
胸の《銀の箱》が、冷たい警告を発する。
『――警告。対象の存在情報に、重度の欠落を確認』
(……え?)
ラグナは目を凝らした。
少女の輪郭が、テレビの砂嵐のように一瞬だけザザッと揺らいだ気がした。
彼女の頭上にあるはずの「光」が見えない。
いや、あるにはあるが……黒く塗りつぶされたように濁っている。
「どうした?」
ラグナは動揺を押し殺し、努めて平静に問いかけた。
「……私、攻略者になりたいの」
少女の言葉に、ラグナは一瞬、耳を疑った。
「攻略者? 君が?」
「うん。力がほしいの。誰にも奪われない、力」
その声に、セラが目を細めた。
「理由を聞いても?」
「街が燃えたの。私の街。みんな死んじゃった。でも、私だけ……逃げてきた」
少女の声が震えた。
だが、涙はなかった。
枯れたような静けさだけが残っていた。
(この子は……)
ラグナは直感した。
この少女の抱えている闇は、ただの戦争被害じゃない。
もっと根深い、世界の歪みに触れてしまった者の気配がする。
監督官に報告すると、男は面倒くさそうに肩をすくめた。
「本人が望むなら止めはしない。……お前たち、登録まで連れて行ってやれ。孤児院も手一杯だ」
「……いいんですか?」
「ティレーンは“自由”をうたう街だ。止める奴なんていないさ」
言葉は冷たくも、どこか投げやりだった。
ラグナは小さく頷き、少女――ミナの手を取った。
その手は氷のように冷たく、そして触れた瞬間、再び視界にノイズが走った。
――――――
ギルドの扉をくぐると、夕陽が窓から差し込んでいた。
受付嬢は少し驚いた顔をしたが、手続きは手慣れていた。
「孤児の攻略者への登録ですね。本人確認は不要、意思の確認だけです」
ミナが小さく頷き、震える声で名を告げる。
「……ミナ・レーヴァ。十ニ歳」
契約印が刻印器に触れる。
白い光が弾け、腕に淡い模様が浮かぶ。
「これで登録完了です。おめでとうございます――攻略者さん」
受付嬢が微笑み、薄い金属のカードを差し出した。
ミナはそれを両手で受け取り、じっと見つめた。
その手はまだ、震えていた。
「……早いな」
ラグナが呟く。
セラが小さく笑う。
「自由の街、だから」
“自由”。
その言葉の裏側で、誰の手も伸びない場所がある――そんな気がした。
ギルドを出る頃には、空が赤く染まっていた。
ミナは歩きながら、小さく言った。
「……お兄さんたち、すごいね。あんな風に戦えるんでしょ?」
「最初は誰だって初心者だよ」
「でも、私は違うの。絶対に強くなる。もう、何も失くしたくない」
その言葉に、ラグナの胸が痛んだ。
リュナメスの夜、彼自身も同じことを誓った。
守れなかったものを思い出すように。
――――――
夜。
宿の廊下を、三人が並んで歩く。
リャナが手配してくれた宿は一人部屋だったが、セラが二人部屋に移ってミナと同室になった。
セラの部屋に集まり、灯光石のランプを囲む。
外では風が鳴り、窓の外に雲が流れていた。
「……それで、ミナ。あなたはどこの街から?」
セラが問うと、少女は少しだけ視線を落とした。
「無理に話す必要はないよ、ミナ」
慌ててラグナがフォローの言葉をかけたが、ミナの視線は力強いものだった。
「大丈夫。私が住んでたのは《カルヴァ》って街。火の連合の都市だったの」
「カルヴァ……」
ラグナは記憶を探った。
地理にはそこそこ詳しいつもりだが、聞き覚えがない。
セラも眉をひそめている。
「ヴァルト=ヴァルドの人たちが攻めてきたって、みんな言ってた。街が燃えて、みんな逃げた」
「ヴァルト=ヴァルドが……?」
セラが訝しげに呟く。
専守防衛を貫くヴァルト=ヴァルドが、他国を侵略するとは考えにくい。
「でも、そうじゃないって人もいた。“戦争なんてなかった”って。なのに、街は焼けた。どうして?」
ミナの声が小さく震える。
記憶の欠片が、どこか噛み合っていないように聞こえた。
“戦争がなかったのに、街が焼けた”。
ラグナの脳裏に、不吉な予感がよぎる。
ミナの頭上で見た、黒く濁った光。
そして告げられた『欠落』という言葉。
(……もしかして、消されたのか?)
街ごと。記録ごと。
以前見た「剪定」の儀式のように、世界によって。
「……情報が混ざってる。どちらかが嘘をついてるのかも」
「どちらも真実かもしれない」
ラグナが静かに言う。
「この世界には、そういうことがある」
ミナは眉間にしわを寄せていたが、やがて力なく口元だけで笑った。
「……難しいね。でも、私、もう泣かないよ」
その言葉に、セラが小さく頷いた。
「泣くのは、弱いことじゃない。でも……今の君には、それより強い何かがある」
「……うん」
ランプの炎が揺れた。
霧の街の薬草を混ぜた香が、淡く漂う。
ラグナは椅子に背を預け、静かに目を閉じた。
ミナの笑みが、かつてのリュナメスの人たちの面影に重なる。
守ること――それが、自分の居場所を示すもののように思えた。
窓の外で、夜風が船の鐘を揺らした。
ティレーンの空は澄んでいたが、その奥に広がる“戦火の影”――あるいはもっと深い“深淵の影”は、確実に近づいていた。




