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霧灯のラグナ ~崩壊する迷宮世界を、旧人類の《管理者権限》で書き換える~  作者: すいまる
第二章

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霧を歩く者たち

 ――霧が、木々の影を淡く縁どっていた。


 中央層の丘陵地帯。

 臨時駅から少し離れた場所に、木々が密集した小さな森が広がっていた。

 朝の光はまだ弱く、霧の粒を揺らしながら枝葉の隙間を縫って差し込んでいた。

 草の匂いと霧の冷たさが混じり合い、空気そのものがゆっくりとうねる。


 そんな森の奥まった小さな空き地で、ラグナ、セラ、リャナの三人が向かい合っていた。


 リャナが、霧苔石を三つ並べる。

 片手に収まる大きさの石が、淡く光を放ち、周囲に白い靄を吐き出した。


「――よし、それじゃ始めよっか。……まずは霧の術式、基礎から確認ね」


 ラグナとセラは姿勢を正す。

 《霧苔層》の暮らしで扱う霧とは違い、戦場で使う“術式霧”は、性質そのものが別物だった。

 外の階層ではほとんど知られていない、《ミストモス》独自の技。


「今日覚えてもらうのは二つ。一つは《局所霧化》。もう一つは《霧走り》」


 リャナの声は静かだが、張り詰めた空気を含んでいた。

 彼女の視線は時折、森の奥へと鋭く向けられている。


「前者は自分の周囲を霧で覆って姿を隠す。後者は霧を伝って動く術。両方とも、外では生死を分ける切り札になる」


 ラグナは頷き、息を整える。

 掌を前に出すと、空気の流れが変わった。

 霧苔石から発生した霧が微かに脈動し、彼の呼吸に呼応する。


「……この感じ、懐かしい」

「呼吸と魔力を合わせて。霧は“押す”ものじゃない、“誘う”もの」


 リャナの声が低く響く。


 ラグナはゆっくりと目を閉じ、霧の“脈”を拾うように意識を沈めた。

 体温と魔力の境界が曖昧になり、周囲の冷気が肌に絡みつく。

 その瞬間、瞼の裏に光が走った。


 ――無数の青白い光の筋。

 それが網の目のように空間を満たし、ラグナの意思に合わせて組み替わっていく。


(……これは?)


 ミストモスでは感じなかった感覚。

 外の世界の霧は、より純粋な魔力に近いのかもしれない。

 次の瞬間、足元の霧が脈打つように揺れ、白く濃い層となって立ち上がった。


「――《局所霧化》。成功ね」


 リャナが小さく頷く。

 霧がラグナの輪郭を包み込み、姿がぼやけていく。

 動くたびに霧が形を変え、まるで生きているように追随する。


 セラも同じように手を翳し、静かに魔力を放つ。

 彼女の霧はラグナよりも薄いが、安定して揺らがなかった。


「……精度が高いわね、セラ」

「……息を合わせただけ。ラグナよりは、まだ」

「おい」

「事実」


 短いやり取りに、リャナが小さく笑う。

 だが、その笑顔はすぐに消えた。

 彼女は鼻をひくつかせ、風の匂いを嗅ぐような仕草をした。


「……リャナ?」

「いい調子。じゃあ、次は“霧走り”」


 リャナは誤魔化すように、森の奥を指した。


「霧の道を作って、その上を渡る。霧は生き物みたいなもの。焦れば濁るし、迷えば散る。力でねじ伏せようとすれば、逆に反発して足を取られるわ」


 ラグナは深く息を吸い、霧の中へ足を踏み出した。

 霧が足裏にまとわりつき、弾力を持つ。

 最初の一歩は沈んだが、二歩目で軽く浮いた。


(……支えるんじゃない。呼吸に合わせて“迎えに来てもらう”感覚か)


 霧の道を三歩、四歩と進む。

 わずかにバランスを崩しかけた瞬間、リャナの声が飛ぶ。


「焦らない。霧の流れは“意思”に応える。乱すな」


 言葉に導かれるように、ラグナは呼吸を整える。

 霧が脈打ち、彼の足元を包み込んだ。

 その瞬間、風が森を抜け、木々の間を霧が滑った。

 まるで音のない波が広がるようだった。


 セラもその動きを追うように走る。

 彼女の霧は白く細く、流れるように枝の間を抜けた。

 並走する影が、霧の向こうで一瞬だけ重なる。


 ――その光景を、リャナは静かに見つめていた。


 彼女の眼差しには、厳しさと懐かしさが同居していた。

 教えるというより、何かを焦って詰め込もうとしているような、そんな表情。


 セラが息を整えながら振り返る。


「……リャナ。今日、いつもより厳しい」

「そう?」

「うん。なんか、焦ってるみたいだった」


 リャナはしばらく無言だった。

 霧の流れが止まり、森が静まり返る。

 やがて彼女は小さく息を吐いた。


「焦ってる……そうかもしれないわね」

「何か、あったの?」

「……近いのよ。匂いが」


 リャナは森の深部を睨みつけた。


「古い油と、鉄錆の匂い。……嫌な記憶を呼び覚ます匂いね」


 それ以上、彼女は何も言わなかった。

 だが、その横顔には、ミストモスでは見せなかった戦士の冷徹さが宿っていた。


――――――


 訓練を終えた昼下がり、霧はほとんど晴れ、木々の間に淡い光が差し込んでいた。

 木々の間を抜ける風が、まだ少し冷たい。

 リャナは腕の刻印を確認し、ふたりに顔を向けた。


「ここまでにしておきましょ。……で、ちょうどギルドから依頼が入ってる。森の東側、低級魔獣の討伐」

「……もう実戦?」


 セラが眉を上げた。

 リャナが掲げる依頼書は、契約印を交わさず――討伐後の持ち込み証明だけで報酬が出る類い。

 実績には換算されないが、初級者の小遣い稼ぎにはちょうどいいものだった。


「たぶん、いい経験になる。あの術式を試すには、ちょうどいい相手よ」


 リャナはそう言って軽く笑った。


「私は……ちょっと別件の確認。森の奥を見てくる。先に戻ってて。報告は夕方までにギルドへ。気を抜かないようにね」


 言葉を残し、霧の中に身を溶かすように姿を消した。

 風が一度だけ渦を巻き、彼女のいた場所に霧の残滓だけが残る。


 ラグナとセラは互いに頷き合い、森の東側へと足を踏み入れた。


――――――


 森の中は、昼でも薄暗く、さきほどの霧の残り香がまだ微かに漂っていた。

 湿った空気の中に、微かな獣臭が混じる。

 木々の根元には魔獣の足跡が点々と続いていた。


「依頼内容は《影熊》の討伐。数は一体、出没範囲はこのあたりのはずだけど」


 ラグナが地図を広げる。


「《影熊》……中央層の下級種。大きいけれど、動きは鈍いはず」


 セラの声は淡々としている。


 ラグナは腰の剣を軽く抜き、指先に残る霧術の感覚を確かめた。

 呼吸を整え、足元の空気に魔力を流す。


 ――霧が、足元から立ち上がる。


 音もなく広がる白の膜。

 陽光を受けて淡く輝きながら、森の影を呑み込んでいく。


「……すぐに使えるようになった」


 セラが感心したように言う。


「リャナさんの教え方がうまかったんだろ」

「違う。あなたが、向いてる」


 短く言い切るセラの声に、ラグナは苦笑する。


 木々の奥から、低い唸り声が聞こえた。

 地面がわずかに震え、影が動く。

 霧の向こうで黒い塊が、湿った土を踏み鳴らしながら姿を現した。

 巨大な熊に似た魔獣――《影熊》。

 霧の中で目だけが赤く光り、ゆっくりとこちらへ向かってくる。


 ラグナは剣を構え、霧の濃度を高めた。

 魔獣が鼻を鳴らし、警戒するように立ち止まる。


(……効いてる)


 霧は、霧苔層の外の生き物には馴染まない。

 影熊は一歩踏み出すたびに呼吸が乱れ、動きが鈍っていく。


 ラグナは、霧の脈に合わせて地を蹴った。

 足元の霧が反応し、弾むように身体を押し上げる。

 ――《霧走り》。


 《影熊》の腕が唸りを上げて振り下ろされた瞬間、ラグナの周囲で霧粒が一斉に重なり、白い膜をつくった。

 衝撃が音ごと吸い込まれ、地面だけが鈍く揺れる。

 その隙に、ラグナは滑るように側面へ抜けた。

 

 剣が閃き、《影熊》の肩口を深く裂いた。

 霧が刃にまとわりつき、切断面から黒い魔素が煙のように舞い上がった。


「セラ!」

「――了解」


 セラはほとんど唇を動かさず、凝縮した光を放つ。

 光弾が霧を裂き、《影熊》の胸を正確に撃ち抜いた。

 影熊が呻き声を上げ、霧の中で崩れ落ちる。


 静寂。

 霧が音を吸い込み、森は不自然なほど静まり返った。


 ラグナは深呼吸をしながら剣を収めた。


「……思ってた以上に効くな、霧術」

「霧が、この層の魔獣に“合ってない”んでしょう。生まれた環境が違うもの」

「なるほど。俺たちの空気みたいなもんか」

「ええ。……ミストモスの匂いがする」


 セラの言葉に、ラグナは小さく笑う。


「リャナさんが“切り札”って言った理由がわかった。外に出た瞬間、これがどれだけ貴重かって実感するな」


 セラは何かを考えるように、静かに霧を見つめていた。


「……あの人も、誰かに教わったのかな」

「リャナさんが?」

「ええ。教える時の顔、少しだけ“守ってる”ように見えた」


 ラグナは答えられず、ただ頷いた。

 確かに今日のリャナには、教えるというより守れるうちに渡しておきたい――そんな切迫が滲んでいた。

 森を抜ける風が、霧をゆっくりと攫っていく。


――――――


 討伐を終え、森を出ようとした時だった。

 ラグナはふと足を止めた。


「……どうしたの?」

「いや、なんか……変な感じがして」


 ラグナは、影熊が現れた茂みの一角を見つめた。

 胸の《銀の箱》が、微かに冷たくなった気がした。

 近づいてみると、そこの空間だけが不自然に揺らいでいる。


「……これ」


 セラが覗き込む。

 下草が円形に枯れ、その中心の空気が陽炎のように歪んでいた。

 まるで、そこに在ったはずの“何か”が、世界から無理やり切り取られたかのような違和感。

 耳の奥だけが、きぃ、と薄く軋んだ気がした。


「魔素の乱れ……? でも、影熊の痕跡じゃない」

「うん。もっと冷たくて、硬質な……」


 ラグナは鼻を鳴らした。

 リャナが言っていた匂いが、ここにも微かに残っている。

 鉄錆と、古い油の匂い。


(……誰かが、ここにいた?)


 ラグナは思わず手を伸ばしたが、歪みは風と共に消えてしまった。

 残ったのは、得体の知れない不安だけ。

 この森で、魔獣とは違う“何か”が動いている。


「……行こう。リャナさんに報告したほうがいい」


 ラグナは立ち上がり、森の奥を振り返った。

 誰もいないはずの森。

 だが、その静けさは、ただの自然な静寂ではない気がした。


 遠くで飛行船の鐘が澄んだ音を響かせた。

 夕陽に染まった霧がゆっくりと地面を這い、森の奥へと還っていく。

 その流れは、まるで不穏な気配をそっと覆い隠すようだった。



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