表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
霧灯のラグナ ~崩壊する迷宮世界を、旧人類の《管理者権限》で書き換える~  作者: すいまる
第二章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/20

空の街

※第2章開始です。

 ――霧の外に、空があった。


 低くうなるような音が、丘の上の空気を震わせた。

 ラグナが顔を上げると、空の高みに影が見えた。


 霧の切れ間を割って、丘を覆うほどの巨大な飛行船がゆっくりと降下してきた。

 金属の外殻は淡く光を帯び、風に流れる砂塵を巻き上げながら、臨時で設けられた駅へと近づいていく。


「……すごい」


 ラグナの口から、自然と声がこぼれた。

 空を飛ぶもの――それ自体が、閉ざされた《霧苔層》では信じられない光景だった。


「見るのは初めて?」


 隣からセラの声がした。

 ラグナは頷きながら、もう一度空を仰ぐ。


「あぁ。あんな大きなものが、どうして落ちないんだろう」

「“どうして”を考え始めたら、迷宮はどこから見ても不思議」


 セラが淡く微笑む。

 その言葉に、ラグナは小さく笑った。

 確かにそうだ。だが、ラグナの目には、不思議以上の“何か”が見えていた。


 船体を包む淡い光。

 それが単なる魔力光ではなく、無数の「光脈ライン」と「コード」によって織り上げられた、極めて精緻なシステムであることを。

 胸の《銀の箱》が、衣の下で微かに共鳴している。


(あれも……旧文明の遺産か)


――――――


 今、三人が立っているのは、中央層のちょうど真ん中に位置する《転移門》のそばだった。

 この階層にいくつもある転移門の中でも、ひときわ大きな門だ。


 環状に組まれた石の門が、周期的に光を放っている。

 その脇に設けられた桟橋が、ティレーン行きの飛行船が発着する臨時の駅だった。


 門の周囲はすでに要塞化され、灰色の石壁と監視塔が立ち並ぶ。

 ここは最寄りの都市《ヴァルト=ヴァルド》の管理区域だ。

 門の向こう側には小高い丘が広がり、遠くにその巨大な城壁が見えた。


 光を反射する塔の上には、空を巡る鳥のような影がちらつく。

 そのさらに上空では、小さな巡回艇らしき影がゆっくりと輪を描いていた。

 穏やかな空の下にも、見えない警戒が絶えず張りつめている。


 ラグナは息を吸い込む。

 湿り気のない、澄んだ風だった。

 《霧苔層》の重たく閉じた空気に慣れた身には、この風の軽さが少し眩しい。

 草の香り、光の温もり、遠くで聞こえる鐘の音――

 そのすべてが、懐かしいようで、痛みを伴って胸に染みた。


(……中央層の匂いだ)


 あの花のリュナメスも、こんな風の中にあった。

 思わず視線を遠くへ向けると、かつての街の残像が瞼の裏をよぎった。

 華やかで、優しくて、そして――もう、帰れない場所。


(感傷に浸ってる場合じゃないな)


 ラグナは首を振り、意識を切り替えた。

 ここに来たのは観光のためじゃない。

 「外を知る」ため。そして、ミストモスを狙う敵の正体を探るためだ。


――――――


「ラグナ、ぼーっとしてると置いていくよー」


 少し離れた場所から、リャナの声が飛んだ。

 声はいつもより張りがない。


「す、すみません。ちょっと見惚れてて」

「気持ちは分かるけどね……こっちはもう三回目だもの。慣れたって言いたいけど……うぅ……」


 ラグナが振り返ると、リャナは手すりにもたれながら、顔をしかめていた。


「……顔色、悪い?」


 セラが心配そうに覗き込むと、リャナはむっと口を引き結ぶ。


「だ、大丈夫。別に怖くなんかないんだから。ただちょっと……あの浮く感じが、ね」

「苦手なんですね」

「“苦手”じゃないって! ただ……落ちたら死ぬと思うと……ほら、足が勝手に震えるの」


 その必死な言い訳に、ラグナが吹き出す。


「魔獣相手でも動じなかったのに……」

「笑わないでよ! あれとは次元が違うんだから! 空の上なんて、頼れる地面がないでしょ!」

「ふふ、地面に頼る人が“引率役”っていうのも面白い」

「セラ! あんたまで!」


 慌ただしく口を尖らせるリャナに、ラグナは思わず笑顔を見せた。

 だが、リャナの言葉は核心を突いていた。

 頼れる地面がない――それは、これからの自分たちの状況そのものだ。


「……ま、視界が開ける分だけ、“見える危険”も増えるんだけどね」


 ふっと声の調子を落として、リャナは空を一度だけ見上げる。

 その横顔には、歴戦の狩人の鋭さが戻っていた。


「気を抜かないように、って話」


 霧の街では見られなかった、こんな他愛のないやり取り――

 それだけで、外の世界の空気を実感する。


――――――


 飛行船の着陸音が地面を震わせた。

 艦体の側面を走る光の紋様が明滅し、結界杭のような柱が静かに埋め込まれていく。

 古びた金属の継ぎ目から、風とともに術式の光が流れた。

 リャナが目を細める。


「やっぱり、結界塔と同じ仕組みね。浮いてるのは……あの遺物の力」


 セラが小さく頷く。


「つまり、旧文明の遺産をそのまま使ってるってこと?」

「そう。誰も直せないけど、まだ動いてる。――ほんと、不思議なもんよね」


 ラグナは光の走る船体をじっと見つめた。

 “誰も直せないけれど動いているもの”。

 その言葉に、ミストモスの結界塔が重なった。

 そして、自分の胸にある《銀の箱》も。


(……似てる)


 ラグナの目には、船体を走る光の脈動が、はっきりと見えていた。

 正常に機能している箇所と、経年劣化でノイズ混じりになっている箇所。

 まるで生き物の血管のように、光が循環している。


「ラグナ?」

「え、あぁ。……ミストモスの結界と、どこか同じ感じがして」


 誤魔化すように答えると、セラが小さく目を細めた。


「……確かに。どちらも“遺された技術”ね」


 ラグナは小さく頷き、船に向かって歩き出した。

 この船もまた、自分が干渉できる対象なのだろうか。

 そんな疑問を胸に秘めたまま。


――――――


 駅の中は、人と声で溢れていた。

 旅装束の傭兵、商人、薬師、道化めいた吟遊詩人まで――誰もが次の便を待ち、笑い、叫び、取引をしている。


「ティレーンの市中には、魔獣はまず現れないからね」


 隣でリャナが肩をすくめる。


 ラグナとセラは、足を止めて人の流れを見つめた。


「すごい……まるで、街が動いてるみたい」

「ミストモスの広場とは、比べものにならない」


 ラグナの言葉に、セラは小さく頷く。


「閉じた里の空気を出た途端、こんな喧騒だなんて……目が回りそう」

「……でも、悪くない」


 セラの言葉に、ラグナは微笑んだ。

 風に紛れて、懐かしい花の香りがかすかに鼻先をくすぐる。

 リュナメスの花祭りのざわめきが、一瞬だけ胸の奥でよみがえった。


「あの街も、こんなふうに人で溢れてた」


 その声に、セラがわずかに目を伏せる。


「――懐かしいのね」

「うん。懐かしい。でも……同じ空の下にいるのに、違う世界みたいだ」


 違う世界。

 そうだ、今の自分はもう、あの頃の無力な子供ではない。

 自分の世界を守る力と意志を持って、ここに立っている。


――――――


 出発を告げる鐘の音が響く。

 リャナが肩をすくめながら、ため息をついた。


「ほら、行くよ。席、早く取らないと揺れる甲板しか残らないんだから」

「……揺れる甲板、ね」


 セラが悪戯っぽく笑う。


「ちょっと、やめてよ……その言葉だけで足が震えるの!」


 三人の笑い声が、駅の喧騒の中に溶けていった。

 空へと向かう飛行船の影が、光を受けて静かに輝いている。


 甲板に足を踏み入れた瞬間、足裏がふわりと浮く感覚がした。



――――――



 ――視界の端で、世界が反転した。


 甲板がぐっと沈み、欄干に指が食い込む。

 船底が鳴動し、白い雲を突き抜けた瞬間――視界がまばゆい光に染まった。

 そこに広がっていたのは、果てのない蒼――

 そして、その蒼の中に浮かぶ巨大な岩の群れだった。


 巨岩の群れは雲海の果てまで連なり、どこまでが地で、どこからが空なのか分からなかった。

 大小さまざまな岩塊が層を成しており、その上に街が築かれている。

 光を反射する金属の屋根、風を受けてはためく帆布の橋、岩と岩を繋ぐ空中橋の下には、雲海が流れていた。

 これが、《浮遊都市ティレーン》。


「……こんな世界、ほんとうにあったんだ」


 ラグナは息を呑む。

 船の縁から覗き込むと、下には何もない――

 ただ、空の底が広がっているだけだ。

 《霧苔層》の閉じた世界とは正反対の、底知れぬ開放感だった。


「落ちたら終わりね」


 セラが静かに言う。

 言葉の“落ちどころ”で、隣のリャナが引きつった笑みを浮かべた。


「や、やめてよ……本気で怖いんだから……!」

「先に言っておきますけど、揺れても泣かないでくださいね?」

「泣かない! 泣かないけど……今、もう泣きそう……!」


 ラグナは笑いながら、そっと視線を空へ戻した。

 だが、その目は美しさだけを見ているのではなかった。

 空を飛ぶ鳥の群れ、風の流れ、そして都市を支える巨大な浮遊岩。

 その全てに、微かな「歪み」が混じっていないか、無意識に探してしまう自分がいた。


――――――


 飛行船が港へと近づいていく。

 《ティレーン》の外縁部は、空中に突き出した石の桟橋でできていた。

 桟橋には、結界杭のような光る柱が等間隔に並び、淡い膜が風に揺れている。


 どうやらここも、旧文明の遺物を利用した構造らしい。

 船体が接近すると、柱と船体の術式陣が一瞬だけ同じ紋を描き、光が“輪”になって甲板の端を抱え込む。


 甲高い鐘の音とともに、飛行船が停止した。

 操縦士の声が響く。


「――《ティレーン》、到着です。お足元にご注意を」


 その瞬間、ラグナの頬を風が打った。

 霧を含まない、乾いた風。

 それは未知の世界の匂いを運んでいた。


――――――


 降り立った港は、まるで祭りのような騒がしさだった。

 到着したばかりの乗客と、出発を待つ傭兵たちが入り混じり、声と笑いと金属音が絶え間なく飛び交っている。

 ラグナとセラは、あまりの人の多さに足を止めた。


「すごい……まるで、空そのものが市場みたい」

「ここの人たちは、みんな強そうですね」

「そりゃそうよ」


 リャナが肩をすくめる。


「ティレーンには魔獣がいないから、仕事のある連中はみんな“地上”に降りるの。つまり、ここにいるのは戦いを生業にしてる人ばかり」

「地上に……降りるための街?」

「そう。空の上の拠点――それが《ティレーン》よ」


 セラが周囲を見渡す。


 人の流れは複雑だ。

 装備を整える傭兵、武具の修繕を請け負う商人、薬草の束を抱えた薬師、情報を売っているらしい詩人までいる。

 《ミストモス》の静けさとは、まるで別世界だった。


――――――


 やがて三人は、入域手続きの列へと並んだ。

 《ティレーン》では身分証の提示は不要だが、代わりに“契約印”と呼ばれる刻印を押される。

 街の中や外で起きたトラブルに、責任を持つための制度――らしい。


 列の先では、係官が一人ずつ腕に赤い印章を押している。

 風に揺れる布のテントの下で、紙束をめくる音、印章を打つ乾いた音が規則的に響く。

 行商人が台車を押して通り過ぎ、香辛料の匂いが風に流れた。


 ふと、ラグナの視線が群衆の一点に吸い寄せられた。

 フードを目深にかぶった小柄な影が、路地の奥へと消えていく。

 その背中に、一瞬だけ奇妙な「ゆらぎ」が見えた気がした。


(……今のは?)


 目を凝らすが、もう誰もいない。

 ただの雑踏だ。気のせいかもしれない。

 だが、胸の《銀の箱》が、チリリと小さく熱を持った。


「ラグナ、次よ」


 セラの声に引き戻される。

 ラグナは頭を振って前に進んだ。


 印章が触れた刹那、皮膚の下で“律動”が微かに震えた。

 遠くを流れていたはずの人いきれと足音が、一瞬だけ遠のいたように感じる。

 皮膚に光の紋様が浮かび、すぐに沈む。


「……これで、入域完了です」


 係官が慣れた手つきで言う。


 ラグナは腕を見下ろす。

 “自由”の印――けれど、それは同時に“自分で責任を負う”という証でもあった。

 セラが横で小さく呟く。


「自由って、意外と重いのね」

「……そうだね」


 リャナが後ろから笑いながら二人の背を軽く押した。


「ほら、立ち止まらない! ティレーンの入り口は混むんだから!」


 すぐ脇では、青い腕章の巡回隊が通行人の契約印を携帯刻印器でなぞり、印が一瞬だけ白く光っていた。


――――――


 桟橋を抜けると、眼前に街が広がった。


 金属の街並みと石造りの建物が混ざり合い、高低差のある橋や塔が複雑に絡み合っている。

 風に揺れる帆布橋の上では、子どもたちが紙凧を追って走り、屋台では焼き魚の香ばしい匂いが漂っていた。

 路地裏では芸人が笛を吹き、旅人がその音に足を止める。


 市場の喧騒、鉄の響き、笑い声、風――それらが層になって、《ティレーン》という“音”を作っていた。


「……これが、空の街」


 ラグナが小さく呟く。

 その横顔に、セラはふと目を留めた。

 リャナはというと――船を降りてからずっと、地面をしっかりと踏みしめるように歩いている。


「はぁ……ようやく固い地面……」

「リャナさん、やっぱり怖かったんですね」

「うるさい。命懸けだったのよ、こっちは」


 三人の笑い声が、風に紛れて消えていく。


 空の街――《ティレーン》。

 その風は軽やかで、光に満ちている。

 だが、その光の陰に、ミストモスとは違う種類の“闇”が潜んでいることを、ラグナは本能的に感じ取っていた。


 さっきの影。そして、時折視界をよぎる微かなノイズ。

 霧の外に広がる世界は、思っていたよりも、ずっと“歪んで”いるのかもしれない。


 ラグナは拳を握りしめ、一歩を踏み出した。

 答えを探す旅が、ここから始まる。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ