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第90話 火は金より重い…あるいは生死にかかわる温かさ

 ようやく辿り着いた林の中に薪を見つけただけで、兵たちの目つきがはっきりと変わった。

 乾いた枝、倒れた幹、雪の下から黒くのぞく根。昨日までならただの燃える木切れに過ぎなかったものが、今は火になり、湯になり、失われた足の感覚を戻すものに変わる。今の彼らにとって、薪は金貨よりもずっと重い…まさに命のそばにあった。

 最初の兵が枝を抱えた瞬間、別の兵が背後からそれを奪おうと掴みかかった。

「おい、俺が先に拾ったんだ!」

「こっちはずっと後ろで凍えてたんだよ!」

「知るか。遅れたお前が悪いんだろうが」

 言い争いは長く続かなかった。この凍えるような寒さの中では、大声で怒鳴る息さえも惜しいため、言葉よりも先にすぐ手が出るのだ。

 ミュロンが二人の間に割って入り、低く「離せ」と凄んだ。それだけで片方の手の力がわずかに緩む。もう片方の反応が遅れると、ミュロンの拳が容赦なくその肩を打ち据え、男は雪の上に膝をついた。

「薪は主計殿の前に積め。勝手に火を起こすんじゃねえぞ」

 ミュロンのその一言で、今度はレオンへ一斉に視線が集まった。

 ありがたいが、できれば別の形で頼りにしてほしかった。

 レオンは濡れて重くなった外套の裾を踏まないように気をつけながら、雪をかき分けて平らな場所へ進み出た。足元の雪は膝下まで積もっているため、火を置くにはまず雪をどけて地面を出す必要があった。

「火床を三つ作ります。凍えた者、濡れた者、そして遅れて来る者用です。先着順にはしません」

 レオンが宣言すると、兵たちの顔が一気に険しくなった。

「おい、先に来た奴が損するってのか」

「先に来た者は、その体力で薪を集めてください」

「ふざけるな!」

「ふざけてはいません。ここで体力のある強い者だけが火を抱え込むと、後ろの弱い者が倒れます。後ろが倒れれば明日の荷を運ぶ者が減り、荷が減れば、結果的に全員の飯が減るんです」

 理屈は通っているはずだが、彼らの腹の虫は納得しない。火の周りには、そんな不満げな顔ばかりが並んでいた。

 家政オイコノミアなどと、塔の授業では偉そうに習ったものだ。家を回すには、足りないものを足りないまま配る技術が要るのだ、と。

 立派な言葉だが、今の僕には、凍えた兵たちが靴紐をほどくための場所すら足りていない。

主計殿(レオン)

 ダフネが隣に立った。

 ただ短槍を構えてレオンの半歩前に立つ。それだけで、怒鳴り込んで来ようとしていた兵が一人、舌打ちをして足を止めた。

 守られているのか、それとも仕事をさせられているのか。どちらにせよ、今は彼女の存在がありがたい。

「テオドルス、火床ごとに札を置いてください。赤が凍傷寸前、黒が濡れ、白が遅着組です。ミュロン殿、歩ける者を薪集めへ。座り込んだ者は火の前へ回してください」

「おう。聞いたな、てめえら。立てる奴は働け。立てねえ奴は運ばれろ」

 ひどい意訳だったが、相変わらずミュロンの声には人を動かす力があった。

 ちなみに動かないと鉄拳が降ってくる。二段構えである。なお、本格的に秩序を乱す兵は、ミュロンと部下たちにどこかに連れて行かれる。


 雪を掘り返すと、ようやく下から黒い土が顔を出した。そこに細枝を組み、レオンは火打石を持つ兵の横で、指先から微弱な火魔法の熱を火口へと寄せた。

 一つ目の火はなかなか育たず、煙ばかりが上がって目にしみた。二つ目は少し早く着いたが、三つ目を起こす頃には指先がひどく痺れ、レオンはたまらず手を握り込んだ。

 やがて火が大きくなると、兵たちの顔つきが変わった。だが、その変わり方は少し異様だった。誰もが我先にと火へ寄りたがり、濡れた外套を広げ、足を突き出して他人の肩を押し退ける。火のそば一尺の熱が、ダレイコス金貨よりもはっきりと命の値段になっていた。

「押すな」

 ダフネが短く言い放ち、強引に割り込もうとした一人を槍の柄で押し返す。

 ふと見ると、別の火床ではすでに危険な取引が始まっていた。

「おい、干し肉を半分やる。そこを空けろ」

「麦なら一握りだ」

「火に当たれなきゃ麦も噛めねえんだよ」

 遅着組の兵が、火の外側から干し肉を差し出している。先に火の近くを取っていた男は迷いなくそれを受け取り、ほんの少しだけ体をずらして隙間を作った。

 商いとしては成立しているかもしれないが、生存の手段としてはあまりに危うい。このまま放っておけば、火の近くに座れるかどうかが、持っている食糧の量で決まってしまう。足の感覚がない者ほど食糧を手放し、明日の朝に食う物を失って死ぬことになる。

「その取引は止めてください」

 レオンは煙で少し掠れた声を張り上げた。

 肉を受け取った男が、不満げに顔を上げる。

「あ? 俺の干し肉だぞ。誰にやろうが勝手だろうが」

「ええ、肉はあなたのものです」レオンは一歩前に出た。

「ですが、その火の前の場所はあなたのものじゃありません。勝手に場所を売らないでください」

「なんだと? じゃあこの場所は主計殿のものかってのかよ」

 男の憎まれ口に、周囲の兵たちも同調するように睨みつけてくる。嫌な汗が背中に滲んだが、ここで引くわけにはいかない。

「僕のものでもありません。火床は軍のものです。だから、売らせません」レオンは熱が脛に当たるのを感じながら続けた。

「火に近い場所は、持っている食糧ではなく、足の色で決めます。食糧で席を売り買いすれば、明日の行軍が破綻します」

「足の色だと?」

「靴を脱いでください。白い者、紫の者、感覚がない者から内側へ入れます。文句があるなら後で僕に言ってください」

 後で怒る体力が残っていればの話だが、とは言わずに飲み込んだ。

 ミュロンが横で低く笑う。

「聞いたな。主計殿が直々にてめえらの汚え足を見てくれるそうだ。ありがたく脱げ」

 効果は抜群だった。兵たちは渋々といった様子で、凍りついた生皮の靴紐をほどき始めた。強く引けば皮膚まで裂けそうな硬さだ。

 レオンは「火に近づけすぎるな」と注意しながら、白い、紫、赤すぎる、まだ動く、動かない、と一人ひとりの足指を確認していった。宣告するたびに胸の中で何かが削れていく感覚があったが、僕が言わなければ誰も場所を譲ろうとはしないのだ。

「この三人は内側へ。あなたは外側で足踏みをしていてください。座りっぱなしにしないように。あなたは布を替えて」

「おい、なんで俺が外なんだよ!」

「指が動いています」

「動く奴が損するってのか!」

「動くなら、まだ感覚を取り戻せます」

 兵は悪態をつきながらも、立ち上がって足踏みを始めた。

  火の内側へ押し込んだ三人のうち、一人は安堵からか声を上げて泣いていた。泣く力があるなら、まだ目はある。


 だが、その代償として恨みも残った。火の外側へ追いやられた男が、干し肉を握ったままレオンを睨みつけている。感謝などしていない。明日の食い物を守られたとも思っていない。ただ、自分の有利な取引を邪魔されたことへの怒りだけがあった。

 善意だけで回るなら、帳面など最初から要らない。僕の仕事は、いつだって誰かの『自由な不公平』を止めることなのだ。


 夜が深くなるにつれ、火床の周りの雪は大きく溶け、黒い土が円く顔を出して外側に水の溝ができた。火から少し離れれば濡れた布はすぐに硬く凍り、近づきすぎれば乾く前に焦げてしまう。

「回してください!」レオンは声を張った。

「内側の者は数を数えて外へ。外の者は足を動かして待つ。寝るなら二人組で、必ず片方が起きていてください」

「寝るなってことかよ」

「寝てもいいですが、起こす者を残してください」

「起きられなかったらどうするんだよ」

 その問いには、すぐには答えられなかった。火がぱちりと鳴り、薪の皮が弾けて小さな火の粉が黒土に散る。

「……その時は、半分の確率で、ずっと眠ることになります」

 弱い答えだった。だが、今夜の秩序を保つには、その程度の弱い紐を何本も結び合わせていくしかなかった。

 ダフネはずっとレオンの脇に立ち、何も言わずに近づきすぎた兵を押し戻し、倒れそうな者へ肩を貸し続けていた。短くなった外套の裾から覗く彼女の脚が、冷たい風にさらされている。

「あなたも火へ当たってください」

「ここでいい」

「よくありません」

「レオンが倒れたら、もっと悪いだろ」

 素直に頷きたくはない。

 レオンは言い返す代わりに、自分の火口袋を彼女の胸元へ押しつけた。

「せめてこれを持っていてください。絶対に濡らさないで」

「命令?」

「……お願いです」

 ダフネは少しだけ目を細めると、無言で袋を受け取り、外套の内側へしまった。

「なら、持つ」

 それだけだった。


 夜半になり、遅れていた者たちが少しずつ林へ辿り着いた。彼らは薪を持たず、食糧も少ない。ただ火の場所だけを目当てに、ふらふらと近づいてくる。

 先に火へ当たっていた兵たちは、当然のように顔をしかめて場所を詰めようとした。

 レオンは重い腰を上げてまた立ち上がった。

 足を見て、場所を替えさせ、食糧との交換を止め、そのたびに罵声を浴びた。ミュロンが怒鳴り、ダフネが前に立ち、テオドルスが震える手で札を持って走る。

 火床はなんとか守れた。全員を等しく温められたわけではないし、不満も多い。それでも、凍傷寸前の者を何人かは明日の行軍へ戻すことができたはずだ。その代わり、冷たい恨みは火の外側にしんしんと積もっていった。


 夜明け前、レオンは火のそばにへたり込んだ。座るつもりなどなかったが、限界を迎えた膝が勝手に折れたのだ。

 黒土の周りには、溶けた雪が浅い溝を作っている。火の近くでは湯気が立ち、少し離れた場所に置かれた外套は白く凍りついていた。

 眠っている兵たちの間を、ミュロンが静かに歩いて見回っている。

「起きろ」

 ミュロンが一人の肩を揺すった。

 返事がない。もう一度強く揺すっても、男は動かない。

 すぐそばで火はまだ赤々と燃えているというのに、その男だけが、火のぬくもりの中で動かなかった。

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