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神様は、明日を知らない』 ――全知全能の神が、人間になった理由――  作者: 亀


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第八十三章 小さな間違い

朝。


アポロンはいつものように目を覚ました。


時計を見る。


いつもより少し早い。


まだ美咲は起きていなかった。


台所へ行き、二人分のコーヒーを淹れる。


カップを並べる。


そして、自分のカップに砂糖を入れた。


一杯。


もう一杯。


そこで手が止まった。


「……多いな」


いつもより多い。


けれど、飲めないほどではない。


アポロンはそのまま口をつけた。


甘い。


「やはり多い」


後ろから声がした。


「何が?」


美咲が起きてきた。


「砂糖」


「入れすぎた?」


「うん」


美咲はカップを覗いた。


「じゃあ、次は少なくすればいいよ」


「それだけ?」


「それだけ」


アポロンはカップを見た。


神だった頃。


間違いというものは、起こる前に分かっていた。


起きたとしても、すぐに直せた。


正しい結果を知っているから、失敗する必要がなかった。


けれど、人間は違う。


砂糖を入れすぎる。


服を汚す。


道を間違える。


言葉を間違える。


そして、そのたびに次を考える。


アポロンは甘すぎるコーヒーを飲んだ。


「これは、今日しか飲めない味だな」


美咲が笑った。


「じゃあ、記念に全部飲んだら?」


「そうする」


朝食を終える。


仕事へ向かう。


店に着くと、健一が仕込みをしていた。


「おはよう」


「おはよう」


アポロンはいつものように仕事を始める。


昼前。


注文が重なった。


アポロンは料理を運ぶ。


一つ。


二つ。


三つ。


四つ目の皿を持ったところで、客の一人が突然椅子を引いた。


「すみません!」


アポロンは止まった。


皿が少し傾く。


ソースが一滴だけ、テーブルに落ちた。


「……」


アポロンは皿を戻した。


「申し訳ありません」


すぐに布巾を取りに行く。


客は笑った。


「大丈夫ですよ」


テーブルを拭く。


料理は無事だった。


健一が横から言う。


「惜しかったな」


「うん」


「でも、料理は落ちなかった」


「そうだな」


仕事が続く。


その後は問題なく終わった。


休憩時間。


アポロンはさっきのことを思い出していた。


「どうした?」


健一が聞く。


「少し考えている」


「何を?」


「間違える前には、気づけないことがある」


健一は笑った。


「まあ、人間だからな」


「人間だから?」


「全部分かってたら、間違えないだろ」


「そうだな」


「でも、間違えたら直せばいい」


アポロンは黙って考えた。


それは、昨日聞いた話にも少し似ていた。


借りたものを返す。


間違えたら直す。


失敗したら、次に変える。


人間の生活には、最初から完璧な答えが用意されていない。


だからこそ。


毎日少しずつ修正していく。


仕事が終わる。


外へ出ると、空が暗くなっていた。


アポロンは駅へ向かう。


途中でコンビニに寄った。


飲み物を選ぶ。


いつもなら、同じものを買う。


けれど今日は、別のものを手に取った。


少し迷ってから、レジへ持っていく。


家に帰る。


美咲がテレビを見ていた。


「おかえり」


「ただいま」


「今日は何買ったの?」


「これ」


アポロンは飲み物を見せた。


「珍しいね」


「いつもと違うものを選んでみた」


「どうだった?」


「まだ飲んでない」


美咲が笑う。


「じゃあ、これから分かるね」


アポロンは蓋を開ける。


一口飲む。


「……」


美咲を見る。


「どう?」


アポロンはもう一口飲んだ。


「悪くない」


「よかった」


「でも、いつもの方が好きかもしれない」


「じゃあ、次はいつものに戻せばいいじゃん」


アポロンは頷いた。


「そうする」


間違えたからといって。


最初から選ばなかったことになるわけではない。


一度選んだものを試して。


違うと思えば戻ればいい。


戻れないこともある。


けれど。


戻れることもある。


夜。


アポロンはベッドに入った。


今日の甘すぎるコーヒー。


傾いた皿。


いつもと違う飲み物。


どれも大きな出来事ではない。


それでも。


一つずつ、自分で選んだ。


一つずつ、間違えたり、直したりした。


神だった頃には必要なかったことだった。


けれど今は。


明日のために、少しだけ覚えておく。


「次は、砂糖を一杯にしよう」


そう呟いて、アポロンは目を閉じた。

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