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神様は、明日を知らない』 ――全知全能の神が、人間になった理由――  作者: 亀


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第八十一章 温かい手

朝。


アポロンは目を覚ますと、少しだけ手を握った。


寒い。


昨日より冷えている。


枕元を見る。


黒い手袋が置いてある。


それを手に取ろうとして、やめた。


「今日は、まだ大丈夫だ」


そう言って、布団から出る。


台所へ行く。


美咲が湯を沸かしていた。


「おはよう」


「おはよう」


「寒いね」


「うん」


美咲がカップを二つ並べる。


「コーヒー飲む?」


「飲む」


二人でテーブルにつく。


しばらくして、美咲がカップを両手で包んだ。


「こうすると暖かい」


アポロンも真似をする。


カップの熱が手のひらに伝わる。


「本当だ」


「手袋より簡単でしょ」


「そうだな」


アポロンはカップを持ったまま、しばらく動かなかった。


温かい。


それだけだった。


仕事へ向かう。


駅まで歩く。


風が強い。


アポロンはポケットに手を入れた。


駅のホームで電車を待っていると、隣に立っていた老人が手を擦っていた。


「寒いですね」


アポロンが声をかける。


「寒いねえ」


老人は笑った。


「手袋、忘れちゃってね」


アポロンは自分の手袋を見る。


それから、老人の手を見る。


「これを使いますか?」


黒い手袋を差し出す。


老人は驚いた。


「いやいや、君が寒いだろう」


「もう一つあります」


嘘だった。


手袋は一つしかない。


けれど。


「私は大丈夫です」


老人は少し迷ってから、手袋を受け取った。


「ありがとう」


「どういたしまして」


電車が来る。


老人は手袋をつけた。


「暖かいね」


「そうですか」


「助かったよ」


老人はそう言って、別の車両へ向かった。


アポロンは手袋を持っていない自分の手を見た。


少し寒い。


けれど。


さっきより寒くない気がした。


仕事が始まる。


健一がアポロンの手を見る。


「手袋は?」


「人に貸した」


「貸した?」


「寒そうだったから」


健一は少し笑った。


「じゃあ、今日はこれ使え」


厨房から薄い手袋を一組持ってくる。


「予備だ」


「いいのか?」


「使ってないからな」


アポロンは受け取った。


「ありがとう」


「返してくれればいい」


「分かった」


仕事をする。


新しい手袋は少し大きかった。


けれど。


十分暖かかった。


昼休み。


アポロンは自分の手を見た。


神だった頃。


寒さを感じなかった。


だから、手袋というものの意味も、ただ知識として知っていただけだった。


今は違う。


寒い。


だから、誰かが手袋を貸してくれる。


自分も、誰かに手袋を渡す。


それだけのことだった。


仕事が終わる。


駅へ向かう。


朝の老人を探した。


けれど、見つからなかった。


「返さなくてもいい」


そう思った。


家に帰る。


美咲が玄関まで来る。


「おかえり」


「ただいま」


「手袋は?」


「人に貸した」


「また?」


「うん」


美咲は少し笑った。


「アポロン、最近そういうこと増えたね」


「そうなのか?」


「うん」


アポロンは少し考えた。


「自分でも、よく分からない」


「いいんじゃない?」


「またそれか」


「だって、本当にそうだから」


二人で夕食を食べる。


今日は鍋だった。


湯気が部屋いっぱいに広がる。


アポロンは両手を椀に添えた。


「暖かい」


美咲が笑った。


「今日はそればっかりだね」


「寒いからな」


二人で笑った。


夜。


玄関を見る。


いつもの場所に、黒い手袋はない。


けれど。


アポロンは、そのことを気にしなかった。


手袋がなくても。


明日は来る。


寒ければ、また何かを考えればいい。


人間の生活は。


そうやって続いていくのかもしれない。


アポロンは布団に入った。


両手を胸元に置く。


まだ少し冷たい。


それでも。


不思議と、眠れそうだった。

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